第38話「硬質山脈の吹雪と絶望の波長」
コウジ率いる五人の精鋭部隊――コウジ(解析)、ケンタ(工学)、ボルド(鍛冶)、ピピ(音波)、リリア(魔力)――は、北方の「硬質山脈」へと旅立った。彼らを護衛するのは、風翼商会が手配した四名の熟練した人間の傭兵だ。討伐隊の目的はただ一つ、全身がダイヤモンドの如き鱗に覆われたクリスタル・ドレイクを討伐し、その伝説級の素材を獲得することである。
硬質山脈は、その名の通り、岩肌が水晶のように鋭利で硬い、過酷な環境だった。標高が上がるにつれて気温は急降下し、容赦のないブリザードが一行を襲った。
「師匠、この山脈の岩は、冷鉄に匹敵する硬度を持っています。歩くだけで装備が削られる」ボルドが顔を覆いながら報告した。
コウジは、寒さに強い氷熊の毛皮で裏打ちされた厚手の革コートを羽織り、前進を続けた。「ピピ、斥候を頼む。ドレイクの生息域を探れ」
ピピは冷たい風の中、翼を震わせながら高く舞い上がった。その間、コウジたちは雪を掘り、音波共鳴装置の設営準備を進めた。音波共鳴装置は、ボルドの特殊合金製ケースに厳重に格納されており、精密な水晶レンズは熱音響変換機構と接続されている。
二日間の行軍の末、ピピがドレイクの生息地を発見した。山脈の最深部、巨大なドーム状の洞窟だ。
「師匠!洞窟の奥に、巨大な影を確認しました!あれが、クリスタル・ドレイクです!」ピピは報告したが、その声は不安に揺れていた。
洞窟の入り口に、音波共鳴装置を設営した。ボルドとケンタが炉に点火し、熱音響変換機構を作動させる。炉の炎が銅製のパイプを伝い、集音器へと熱エネルギーを供給する。
「ケンタ、リリア、波長の最終調整だ。この硬度なら、誤差は$0.001$Hzも許されない」コウジが指示した。
ケンタは極度の集中力で水晶レンズと魔力調整ダイヤルを操作する。リリアは、ピピの歌声の波長と、ドレイクの鱗が持つ魔力の波長を重ね合わせようと、静かに魔力を流し込んだ。
そして、討伐隊がドレイクをおびき出す作戦を開始した。炎斧のゾルグと契約した屈強な傭兵たちが、洞窟へと侵入し、巨大なドレイクの注意を引く。
ドレイクは姿を現した。全長十メートルを超える巨体。その全身は、光を反射する青白い結晶質の鱗に覆われており、まさに生きたダイヤモンドのようだった。ドレイクが咆哮すると、結晶質の鱗が共振し、凄まじい衝撃波が放たれる。
「今だ!ピピ、リリア、共鳴の歌を放て!」コウジが叫んだ。
ピピは渾身の力を込めて歌い始めた。リリアの古代エルフの旋律がそれに重なる。炉の熱エネルギーが音波に変換され、水晶レンズを通して、ドレイクの心臓部を覆う鱗へと集中していく。
キィィィィィィィィィィィン――!
音波がドレイクの鱗に命中した瞬間、火花が散った。ドレイクは苦悶の声を上げ、その巨大な爪で岩盤を掻きむしる。
「ヒビが入った!波長は合っている!」ケンタが歓喜の声を上げた。
しかし、そのヒビは、次の瞬間、ドレイクの魔力によって瞬時に修復されてしまった。
「な!?修復しただと!?」ボルドが驚愕に目を見開いた。
「ダメだ!硬度を上回る修復速度だ!」コウジは顔面蒼白になった。ドレイクは、その鱗の硬度だけでなく、魔力による自己修復能力をも有していたのだ。
ドレイクは、音波を放った装置の方へと顔を向けた。その目には、憎悪の炎が燃えている。
「退避!装置を撤収しろ!」
コウジは即座に撤退を命じたが、ドレイクの動きは速かった。巨大な尾が振り払われ、音波共鳴装置に直撃。ボルドの合金製のケースはひしゃげ、水晶レンズは砕け散り、炉は岩盤にめり込んだ。
「装置が……!くそっ!」ボウルドは膝から崩れ落ちた。
傭兵たちの援護を受け、一行は辛うじて洞窟から離脱したが、クリスタル・ドレイクの鱗を加工する唯一の手段は、無残にも破壊されてしまった。
撤退後、コウジたちは山脈の中腹、雪を掘って作った簡素な避難壕に身を潜めた。損傷した装置を前に、重苦しい沈黙が広がる。
「師匠……申し訳ありません。僕の鍛冶の加護が足りませんでした。装置を護りきれなかった」ボルドは顔を覆った。
ケンタも悔しさに唇を噛んだ。「修復能力まで計算に入れるべきでした。魔獣の生態知識が、工学知識に勝った……」
リリアはピピを庇うように抱きしめた。「私の波長調整が甘かったのかもしれません。もっと深い共鳴を引き出せていれば……」
コウジはただ、砕けた水晶の破片を拾い上げた。職人としての挫折。完璧な理論と技術が、自然の猛威と未知の魔力の前に無力であったという事実が、コウジの心を深くえぐった。
「誰も悪くない。俺の読みが浅かった」コウジは静かに言った。「魔獣の修復能力を上回る、瞬間的な破壊力が必要だった。だが、今の俺たちの技術では、それを生み出せない」
討伐隊のリーダーが、重い足取りで避難壕に入ってきた。「コウジ殿。討伐は失敗です。これ以上は、我々の命に関わる。撤退を。素材獲得の報酬は諦めます」
コウジは頭を下げた。「申し訳ない。報酬は契約通り支払います。どうか、安全に帰還してください」
傭兵たちが去り、避難壕には、コウジたち五人の職人だけが残された。
リリアが、震える声で尋ねた。「師匠……このまま、帰るのですか?」
コウジは、その問いにすぐに答えられなかった。帰れば、風翼商会との契約不履行。工房の評判は地に落ち、せっかく築いた独立の足場が揺らぐ。何よりも、職人としての誇りが許さない。
「ピピ」コウジはハーピーの少女に声をかけた。「クリスタル・ドレイクの鱗の、修復能力が及ばない、一瞬の波長は存在すると思うか?」
ピピは目を閉じ、耳を澄ませた。山脈の冷たい風と、岩の微かな振動だけが聞こえる。
「……分かりません。ですが、もしあるとすれば、それは生命が持つ極限の感情に近い波長かもしれません。悲しみ、怒り、そして、諦め……」ピピの声は、弱々しかった。
コウジは再び砕けた水晶の破片を見つめた。その時、彼の脳裏に、前世の記憶が鮮明に蘇った。
あの商店街の夕暮れ。古びた革ジャケットの焦げる匂い。そして、トラックに轢かれる直前、誰かを助けたいと願った、生の極限の衝動。
「極限の感情……」コウジは呟いた。「ピピ、お前は、その極限の感情を音波に乗せられるか?」
ピピは怯えて首を振った。「無理です、師匠。私には、その感情がありません。ハーピー族の歌は、喜びや戦意を高めるもの。絶望や衝動を歌うことは……」
コウジは立ち上がり、冷たい岩盤に手を置いた。このまま、何の手も打てずに帰ることは、職人として死ぬに等しい。
「ボルド」コウジは弟子の名を呼んだ。「この装置を、一週間で修復できるか?最高の合金素材は工房にある。だが、工房に帰るには四日かかる」
「一週間ですか……山脈の極寒の環境で、熱源も限られている。最低でも二週間はかかります。そして、砕けた水晶レンズは、工房の精密工具なしには再生できません」ボルドは絶望的な表情で答えた。
二週間。食料も尽き、凍え死ぬリスクが高い。
コウジは、苦渋の決断を下した。
「わかった。ボルド、ケンタ、リリア、君たち三人は、食料と魔力を温存し、自力で工房へ帰還しろ。装置の残骸と、破片は全て持っていけ。ケンタは、このドレイクの修復能力と結晶構造のデータを徹底的に解析しろ」
「師匠、貴方は!?」ケンタが叫んだ。
「俺とピピは、ここに残る」
弟子たちは驚愕した。「師匠!それは危険すぎます!食料も尽きます!」
「俺の目的は、素材の獲得だけではない。ドレイクの鱗の真の波長を見つけることだ」コウジはピピを見た。「ピピは、ドレイクの生態音を、最も近くで聞き取れる。俺は、その波長を見つけるための時間を稼ぐ。そして、ピピと共に、その極限の波長を音波に乗せる方法を探す」
「師匠!置いていかないでください!」ボルドは涙を浮かべた。
「これは、職人の責任だ。お前たちは生きて帰れ。そして、装置を修復しろ。俺は、必ずピピと共に生きて帰る。そして、お前たちが修復した装置で、必ずドレイクを打ち破る」
コウジは、自身の最も得意とする「革加工」の道具すら持たなかった。彼は、一人の職人として、その知恵と決意だけを頼りに、伝説級の魔獣の領域に残るという、最も過酷な道を選んだ。
三人の弟子たちは、涙を流しながらも、師の決意を受け入れた。彼らは、砕けた装置の部品と、わずかな食料を分け合い、山脈を下り始めた。
避難壕には、コウジとピピ、そして、ドレイクの荒い呼吸音だけが残された。コウジは、工房への帰還を諦め、己の命を賭すことで、職人としての最後の意地を示したのだ。
「ピピ。生きるぞ」
「……はい、師匠」




