第35話「伝説の炎と断熱の極致」
コウジが炎斧のゾルグとの間で伝説級のサラマンダー・ドレイクの鱗革(以下、サラマンダー革)の加工契約を交わした瞬間、万族工房の空気は一変した。それは、ドワーフギルドの査察による緊迫感とは比較にならない、純粋な素材が持つ圧倒的な熱量によるものだった。
「師匠、この熱気は尋常じゃありません」
ボルドが顔を近づけただけで、作業着の袖が微かに焦げ付きそうになるのを慌てて打ち消した。ゾルグが置いていったサラマンダー革は、コウジの作業台の上に置かれているが、その周囲の空気は揺らめき、まるで炉の近くにいるかのような熱を放射している。
『素材解析』の警告通り、この伝説級の革は、触れることすら危険なのだ。
コウジは慎重に、魔力耐性の高い革手袋を二重にはめ、さらに熱を防ぐために事前に水を吸わせた厚手の布で手を覆った。そして、サラマンダー革の端に指先で触れた。
「――ッ!」
手袋越しでも、皮膚が焼けるような激しい熱を感じ、コウジは反射的に手を引っ込めた。
「伝説級とは、こういうことか……」
コウジは真剣な顔で弟子たちを見回した。「この革を加工するためには、まずこの熱を遮断し、制御する必要がある。これは、単なる『防熱』ではない。『熱吸収』と『温度制御』の極致を追求する戦いになるぞ」
前回のクリスタル・ドレイクの鱗加工が「硬度」への挑戦であったならば、今回は「熱」というエネルギーそのものへの挑戦だった。
コウジはすぐに全体会議を招集した。
「ゾルグの要望は、炎の魔力を最大限に活かせる鎧だ。だが、この熱量を制御できなければ、鎧を着用した人間は内部から燃え尽きてしまう」
コウジは設計図ではなく、まず熱対策の「障壁」をどう構築するかという概念図を提示した。
「ケンタ、前世の知識で、究極の断熱材として知られているものは何だ?」
ケンタは真剣な顔で答えた。「師匠、地球上では『真空層』が究極の断熱材とされます。熱は分子の振動で伝わるため、分子が存在しない真空状態では、伝達が極めて困難になります。しかし、この世界で鎧の中に真空層を作るのは現実的ではありません」
「真空層……」コウジは思案した。「それに近い構造、つまり熱伝導率の低い、複数の空気層を構築すれば、断熱効果を高められるはずだ」
そこでリリアが古代エルフの知識から提案した。「師匠、私の村で古くから使われている『空蝉の繊維』があります。これは、植物の細胞壁から抽出した極細の繊維を多層構造に編み込むことで、内部に微細な空気層を無数に作る技術です。熱伝導率が極めて低く、軽量です」
「空蝉の繊維!リリア、それは素晴らしいヒントだ!」コウジは即座に指示を出した。「リリア、テイル、君たちエルフとケンタウロス族の機動力を活かして、すぐにその空蝉の繊維の素材を調達してくれ。このサラマンダー革の熱を遮断する内装材として不可欠だ」
次に、コウジは熱そのものを「吸収」する技術を考えた。
「ボルド、この熱を吸収し、そのエネルギーを拡散・制御できる金属はないか?」
ボルドは即答した。「師匠、ドワーフの伝説にある『冷鉄』があります。極寒の地底湖の底でしか採れない特殊な鉄鉱石で、熱を瞬時に吸収し、周囲の空間に放散する性質を持ちます。しかし、加工が極めて難しく、熱量が大きすぎると暴走する危険性もあります」
「暴走のリスクは承知の上だ。この伝説級の革を制御するには、伝説級の金属が必要だろう」コウジは決意を固めた。「ボルド、冷鉄の加工技術と、その暴走を抑えるための魔力制御機構の設計を任せる。ケンタ、お前はボルドの補助につき、冷鉄の熱力学的な挙動を予測し、制御に必要な冷却効率の計算を行え」
ケンタは張り詰めた表情で応じた。「熱力学ですか……前世で少しかじりました。熱量と効率の計算は、理論的に詰めます」
熱の遮断と吸収の計画が立つ一方で、サラマンダー革を扱うための繊細な加工技術も不可欠だった。
コウジはシルフィとギギを呼んだ。「シルフィ、ギギ。お前たちには、このサラマンダー革を裁断・縫製する役割を任せる。だが、素手での作業は不可能だ」
シルフィは真剣な眼差しで答えた。「師匠、私の糸と、ギギの精密な工具で、熱を極限まで抑えながら作業します。私が『冷水の加護』を込めたアラクネ糸を使い、革の縫製部分を常に冷却しながら縫い上げるのはどうでしょうか」
「冷水の加護……素晴らしい発想だ!」
コウジはシルフィの提案を採用した。シルフィは縫製を行う前に、水魔法の加護を受けたアラクネ糸を生成する。この糸が革に触れることで、縫製部分周辺の熱を奪い、作業に必要な温度まで下げるのだ。
ギギは、革の裁断と穴あけの工程を担当することになった。
「ギギ、お前の役割は、革に触れる時間を極限まで短くすることだ。熱伝導率の低い特殊な石製の包丁と、冷却材を仕込んだ目打ちを使って、裁断・穴あけを正確に行え」
「はい、師匠!精密加工は僕の得意分野です。熱による革の歪みを瞬時に計算し、最短時間で正確に裁断します」ギギは、その小さな体躯に似合わず、大きな責任感を背負っていた。
そして、ピピには、製作過程における「熱暴走の監視」という最も重要な役割が与えられた。
「ピピ、君のハーピー族の聴覚は、熱エネルギーが魔力的に暴走する際の微細な『音の歪み』を察知できるはずだ。工房全体に張り詰めた熱の魔力的なバランスを監視しろ。もし、冷鉄が暴走の兆候を見せたら、すぐに音波を放って熱を拡散させろ」
「はい、お師匠!工房の安全は、私が守ります!」
リリアとテイルは、極めて難易度の高い素材調達へと出発した。空蝉の繊維の原料は、エルフの里から遠く離れた、霧深い高山地帯に自生する特殊な植物の細胞壁からしか採取できない。
「テイル、この道はケンタウロス族の脚力が必要だ。一刻も早く、リリアの里へ向かおう」
「任せてください、リリア!四本の脚の力、存分に発揮します!」
二人は工房を後にして、山脈へと駆け上がっていった。
一方、ボルドは、冷鉄の調達と加工の準備に取り掛かった。冷鉄は、古くからドワーフ族が忌み嫌う金属の一つであり、採掘場所も加工法も厳重に秘匿されている。ボルドは、古文書を漁り、冷鉄の採掘場とされる「氷結の谷」の情報を突き止めた。
「師匠、冷鉄の採掘場がわかりました。しかし、冷鉄は熱を奪う性質が強いため、採掘者自身が凍死する危険性がある。これは、物理的な力だけでは難しい」
コウジはゾルグからもらった炎の魔石一ダースを取り出した。
「この炎の魔石を、採掘用の道具に組み込め。炎の魔力を逆利用し、熱源を確保するのだ。そして、ボルド、採掘には俺も同行する。伝説級の素材を加工する前に、伝説級の金属の性質を肌で感じておきたい」
「はい、師匠!」ボルドは目を輝かせた。師との同行は、ドワーフ職人にとって最大の栄誉である。
二人は、炎の魔石を組み込んだ特殊な採掘道具を携え、極寒の「氷結の谷」へと旅立った。
氷結の谷は、常にブリザードが吹き荒れる極寒の地だった。コウジとボルドが足を踏み入れた途端、サラマンダー革の熱気とは真逆の、凍てつくような冷気が全身を襲う。
「さ、寒い……!師匠、この谷の冷気は、魔力を帯びています!」ボルドが震えながら言った。
コウジは、炎の魔石を埋め込んだ特殊な手袋をはめた。手のひらから微かに熱が放出され、辛うじて凍え死ぬのを防いでいる。
採掘場は、谷の奥深く、地底湖の底にあると古文書に記されていた。二人は凍りついた洞窟を数百メートル降りていく。
「ここです、師匠!冷鉄の鉱脈があるはずです!」
洞窟の最深部には、巨大な氷の湖があった。湖の底は、青白い光を放っており、そこに冷鉄の鉱脈が眠っているという。
「ボルド、この氷を割らねばならない」
「ですが、師匠、この氷は普通の氷ではありません。ドワーフの呪文で強化された『凍結の壁』です。通常の熱源では溶けません」
コウジは炎の魔石を採掘用のタガネに装着し、氷の壁に当てた。
ジュウッ!
一瞬にして熱が奪われ、タガネの先端が霜に覆われた。
「やはり、ダメか……」
コウジは考えた。熱で溶けないならば、硬度で砕くしかない。しかし、クリスタル・ドレイクの鱗粉は持っていない。
その時、コウジの脳裏に、サラマンダー革の「熱吸収」という特性がよぎった。
「ボルド、お前の知識で、冷鉄を加工する際に、あえて熱を加える工程はあったか?」
「あります!冷鉄は、極度の熱を加えることで、一瞬だけ、その熱を吸収する際に『超硬質化』します。その一瞬の硬度を利用して、他の素材を加工するのです!」
「それだ!だが、俺たちの持つ熱源では、冷鉄を一瞬で超硬質化させるほどの熱を生み出せない」
コウジは炎の魔石を全て集め、ボルドのタガネの刃に集中させた。
「ボルド、お前の鍛冶の加護で、この炎の魔力を、一点に集中させろ。俺が合図したら、タガネを一気に氷の壁に打ち込むんだ!」
「はい、師匠!」
ボルドはタガネを構え、炎の魔石に魔力を集中させた。刃が赤く発光し、その熱が、逆に冷鉄の性質により一瞬で奪われ、刃が青白く輝いた。
「今だ!打ち込め!」
ボルドは渾身の力を込めて、凍結の壁にタガネを打ち込んだ。
キィィィィィン!
凄まじい轟音と共に、凍結の壁に微かな亀裂が入った。
「もう一度だ!」
二人は何度もその作業を繰り返し、ついに凍結の壁を砕き、冷鉄の鉱脈へとたどり着いた。鉱脈は、周囲の冷気を全て吸収しているかのように、真っ黒な輝きを放っていた。
コウジとボルドは、冷鉄の極度の冷たさに耐えながら、必要量の冷鉄鉱石を採掘した。
「これで、サラマンダー革を制御する準備が整ったな、ボルド」
「はい、師匠!この冷鉄と炎の革を融合させ、最高の鎧を作ってみせます!」
二人は、伝説級の素材と伝説級の金属を携え、極寒の谷から工房へと帰還した。工房では、リリアとテイルが空蝉の繊維を、シルフィとギギが特殊な縫製道具を準備し、師の帰りを待っていた。
コウジの目は、帰路につく中、炎の魔石と冷鉄の鉱石を交互に見つめ、その相反する二つの力をいかに鎧の中で制御するか、その設計思想を構築し始めていた。それは、革職人の枠を超え、熱力学と魔力制御の分野に踏み込む、職人としての新たな境地だった。




