小さな一歩
工房に戻ったコウジは、森狼の毛皮を作業台に広げた。
「さて、どう加工するか……」
三枚の毛皮。それぞれサイズは微妙に違うが、どれも状態は悪くない。血や汚れは最小限で、鞣し作業もやりやすそうだ。
「まずはなめし、だな」
コウジは鞣し用の薬剤を用意した。この世界の鞣し剤は、植物の樹皮から抽出したタンニンが主成分らしい。匂いはきついが、効果は確かだ。
毛皮を水で洗い、余分な脂を削ぎ落とす。それから鞣し剤に漬け込んで――
「三日ほど放置、か」
待っている間も、コウジは他の作業を続けた。家畜革で小物を作り、スキルの熟練度を上げる。
そして三日後――
「よし、いい具合だ」
鞣し剤から取り出した革は、柔らかく、しなやかになっていた。毛並みも美しい灰色で、触り心地も良い。
『革なめしスキル熟練度が上昇しました』 『革なめし LV3になりました』
「よし、じゃあ本格的に加工するか」
コウジは革を乾燥させてから、何を作るか考えた。
「腕当てでも作ってみるか」
設計図を描く。腕を覆う形に切り出し、縫い合わせる部分を計算する。前世の経験が活きる。
「よし、切るぞ」
革包丁で、慎重に革を裁断する。
一枚目――成功。
二枚目――
「あっ」
手が滑った。
切るべきでない部分を切ってしまった。
「くそっ……」
二枚目の革は、使い物にならなくなった。
「落ち着け、落ち着け……」
コウジは深呼吸した。
三枚目――
今度は慎重に、ゆっくりと切る。
「……よし」
何とか成功した。
だが、二枚のうち一枚を無駄にしてしまった。
「もったいねえことしたな……」
コウジは自分の不注意を悔いた。
だが、諦めるわけにはいかない。
残った一枚で、腕当てを作る。
穴を開け、縫い合わせ、調整する。
数時間後――
「……できた」
最初の作品が完成した。
森狼の革で作られた腕当て。シンプルなデザインだが、縫い目は均等で、装着部分もしっかりしている。
「試しに着けてみるか」
コウジは自分の腕に装着してみた。
ぴったりとフィットする。
そして――
『森狼の革・腕当て(品質:普通)』 『効果: 敏捷性+1』
「おお!効果が付いてる!」
コウジは喜んだ。
だが、次の瞬間――
「あれ?品質が『普通』?」
素材は『中』だったはずだ。なのに、完成品は『普通』に下がっている。
「加工が下手だったから、品質が落ちたのか……」
コウジは落胆した。
せっかくの素材を、十分に活かせなかった。
「くそ……俺の技術が足りないから……」
その夜、コウジは一人工房に残って、完成した腕当てを見つめていた。
決して悪い出来ではない。
だが、完璧でもない。
「もっと上手く作れたはずだ……」
後悔と悔しさが、胸に渦巻いた。
「素材を無駄にした……」
コウジは作業台に頭を乗せた。
「俺、本当に職人として、やっていけるのかな……」
初めて、弱音が口から漏れた。
転生して一週間。
順調だと思っていた。
だが、現実は厳しかった。
技術不足。経験不足。周囲からの軽視。
そして、自分自身への失望。
「……」
コウジは黙って、腕当てを見つめた。
不完全な作品。
だが、それでも自分が作ったものだ。
「……もう一回、やり直すか」
コウジは顔を上げた。
「失敗したなら、次は成功すればいい」
「素材を無駄にしたなら、次は無駄にしなければいい」
「技術が足りないなら、もっと練習すればいい」
コウジは立ち上がった。
「俺は、諦めない」
前世でも、三十年間革職人として生きてきた。
挫折も、失敗も、何度も経験した。
だが、その度に立ち上がってきた。
「この世界でも、同じだ」
コウジは新しい革を手に取った。
「明日も、頑張ろう」
工房の明かりは、深夜まで消えなかった。
翌朝、コウジは冒険者ギルドを訪れた。
「すみません、これを……」
受付嬢のリーナに、完成した腕当てを見せた。
「あら、これは……森狼の革で作った腕当てですか?」
「はい。もし、欲しいという冒険者の方がいれば、譲りたいんですが」
「わかりました。掲示板に貼っておきますね」
リーナは親切に対応してくれた。
「ありがとうございます」
コウジはギルドを後にした。
売れるかどうかはわからない。
だが、自分の作ったものを、誰かに使ってもらいたい。
それが、職人としての願いだった。
*
三日後、工房に一人の冒険者が訪れた。
「すみません、ギルドで見た腕当て、まだありますか?」
「あ、はい!あります!」
コウジは腕当てを取り出した。
冒険者――若い人間の男性――は、腕当てを手に取って確認した。
「いいですね。軽くて、動きやすそうだ」
「ありがとうございます」
「いくらですか?」
「え、と……銀貨三枚で」
「安いですね。じゃあ、買います」
冒険者は銀貨三枚を支払い、腕当てを装着した。
「おお、ぴったりだ。ありがとうございます」
「いえ、こちらこそ」
冒険者は満足そうに去っていった。
コウジは、一人工房に残された。
「……売れた」
初めて、自分の作った装備が売れた。
銀貨三枚。素材費を引けば、利益はほとんどない。
だが、それでも――
「嬉しいな」
コウジは笑顔になった。
誰かが、自分の作ったものを使ってくれる。
それだけで、十分だった。
「よし、次も頑張ろう」
コウジは新しい素材を手に取った。
職人としての道は、まだ始まったばかりだった。
挫折もあるだろう。
失敗もあるだろう。
だが、それでも進み続ける。
一歩ずつ、確実に。
それが、コウジの生き方だった。




