第9話 再開発案と対立
金沢市東山、古い町家が連なる一角。町内会館の座敷には、藤次郎、絢子、正玄、絹代おばあちゃん、そして町内会長・橋本をはじめとする旦那衆がずらりと並んでいた。外では浅野川の水音が低く響き、障子越しに差し込む昼の光が畳に四角く落ちている。
「では…再開発案についてご説明します」
藤次郎はスーツ姿で立ち上がり、観光課の資料を机に広げた。
「茶屋街の夜間活性化、観光客の回遊ルート拡充。それにあわせて、地元の“裏伝承”を活かしたナイトツアーを…」
橋本会長が静かに手を上げる。
「待ちなさい、藤次郎さん。再開発そのものは否定しないが、我々の誇りを守るため、本物の話を聞こうではないか」
低く通る声に、会場の空気が一段引き締まった。
「会長、その“本物の話”というのは?」
藤次郎が問い返すと、橋本は視線を絹代おばあちゃんへ向けた。
「絹代さん、お願いできますか」
会長の言葉に、杖をついた絹代おばあちゃんが立ち上がる。
「ほれ行くがいね。梅の囲いまでついてきまっし」
豪快に笑って畳をトントン叩く。会場の旦那衆は半信半疑ながらも、自然と身を乗り出した。
絹代おばあちゃんは語り出す。
「この茶屋街には昔、夜な夜な梅の枝にひとだまが集まるという話があったんや。あれはの、ただの灯りやない。人の心に灯る“案内火”や」
その声は柔らかくも、畳を通じて響くような力があった。
絢子が横から補足する。
「実際、兄さんもこの前、梅の枝にひとだまが乗ったんよ」
旦那衆がざわつく。「ほんなだらな」「いや、昔も聞いたことがあるぞ」と囁き合う。
そのとき、藤次郎の膝元でたまが低く「ウゥ…」と唸った。
「たま、どうした?」
藤次郎が覗き込むと、たまの視線の先──開け放たれた障子の外に、一瞬、影が揺らいだ。黒ずんだ鎧の輪郭、赤く光る二つの眼。すぐに消えたが、その場の空気がわずかに冷え込む。
正玄が眉を寄せ、経文を小さく唱える。
「気ぃつけんなんよ。あれは…封印が解けた影やもしれん」
藤次郎の背筋を冷たい汗が伝った。町内会の議論は続いているのに、頭の片隅で先ほどの影が焼き付いて離れない。
「藤次郎さん、どうします?」
橋本会長の声で我に返る。
「…まずは、この町に残る本物の伝承を洗い出しましょう。それを基に再開発計画を練り直します」
藤次郎の言葉に、橋本はゆっくりと頷いた。
外では再び浅野川の水音。だが藤次郎の耳には、あの影の足音が、遠くから近づいてくるような気がしてならなかった。
次回予告
町内会の合意を得るため、藤次郎と『あたし』は夜の梅の囲いへ。そこで待ち受けるのは、ひとだまの群れと、赤い瞳の影──。次回「第10話:町内会と裏伝承② ― 梅の囲いの灯り」をお楽しみに!