余話その四 白紙召喚! 未記入の証言台
夜の散歩はまだ続いていた。前回の裁判ごっこで『あたし』は有罪の執行猶予をもらったはずなのに、どうも夜はその判決を認めていないらしい。再審請求という名の延長戦。舞台は移り、今回は白紙が主役だという。主役って何。黙ってる紙が証言できるわけないだろう、と『あたし』は即座に突っ込みを入れる。けれど夜はニヤニヤと目配せして、「黙ってるのも証言の一種だよ」と囁いた。そういう屁理屈だけは抜群に用意してある。
法廷――いや、今回は河川敷のベンチの周囲が法廷に変形していた。地面に白線が走り、その内側が証言台と決められた。椅子も机もない。代わりに置かれているのは、真っ白なA4の束。それが小刻みに震え、まるで自分の番を待ちきれない子どものように前へにじり出る。
「証人、白紙。証言をどうぞ」猫裁判官が尻尾をたたいて促す。
白紙は口を開かない。まあ当然だ、紙だもの。沈黙が夜風に膨らみ、霧がその沈黙を誇張する。傍聴席の『あたし』が笑い出す。「ほらやっぱり無理だ! 証言なんてできるもんか!」。しかし次の瞬間、白紙が一斉にめくれた。数十枚の真っ白なページが夜空に舞い上がり、月光をスクリーンに変える。そこに浮かび上がったのは、見えない文字の影。読めそうで読めない、読めないのに意味が押し寄せてくる、そんな圧。
「記録なき証人が叫んでいる!」猫が立ち上がって絶叫する。お前の声のほうが叫んでるわ、と『あたし』は心で突っ込む。でも確かに、胸の奥にざわざわと音が響いた。白紙の沈黙は音よりもうるさい。
白紙の主張は単純だった。〈ここにまだ書かれていないことがある〉。それだけ。だがそれが強烈だった。未記入こそ可能性。空欄こそ証拠。つまり『あたし』が今夜見落としている何かが、まだ未記入のまま残っているのだ。
『あたし』は焦る。何を見落とした? 鍵? 勇気? 傘? それとも三つ目のビー玉? いや、もっと別の何か。考えれば考えるほど、未記入の欄がページの数だけ増えていく。頭の中がアンケート用紙の山みたいになり、回答欄は全部空白。ああ、未記入の圧迫感! 書けと言われるとますます書けなくなる。夏休みの宿題と同じ構造だ。
やがて白紙の一枚が『あたし』の手に収まった。ぴたりと掌に貼りつき、離れない。冷たく、薄い。けれど重い。そこに書け、と夜が迫る。『あたし』は震える指でペンを探す。ない。ポケットにあるのはビー玉だけ。ならば、と一つ取り出して紙の上を転がした。すると丸い跡が文字に変わる。〈証拠不十分〉。
「おお!」猫たちが一斉にうなずいた。いやいや、うなずくのは裁判官であって陪審員じゃないだろ、と再び心の中で突っ込む。でもビー玉の書いた判決文は確かに読めた。『証拠不十分』――つまりこの事件はまだ終われないということだ。
すると白紙は次々に証言を始めた。声はないが、表面に浮かぶ跡が言葉に変わる。〈失くした傘の持ち主はまだ名乗り出ていない〉、〈二個目のビー玉はまだ回収されていない〉、〈電話の相手は未来の『あたし』ではなく、さらにその先だった〉。次から次へと課題が並ぶ。未記入が未解決を呼び、未解決が夜を延命する。
傍聴席の『あたし』が悲鳴をあげる。「事件が増えてるじゃない! 減らすんじゃなかったの!?」。確かにそうだ。整理するはずの裁判が、むしろ謎の在庫を膨らませている。夜は在庫過多の倉庫だ。処理能力を超えると笑うしかない。だから『あたし』は笑った。ひきつりながら。
その時、白紙の一枚がふわりと浮かび、街灯の下に舞い降りた。表面に濃く浮かんだ言葉は〈召喚〉。え、召喚? 魔法陣かよ、とツッコミを入れる間もなく、地面に白い円が描かれ、光が走った。猫たちが飛び退き、夜風が巻き起こる。そこに立ち上がったのは――真っ黒な人影。形は『あたし』に似ているが、輪郭が白紙でできている。書かれていない『あたし』。未記入の分身。
影は静かに言った。「私が証言する番だ」
声が低い。無機質で、でもどこか懐かしい。『あたし』の中に押し込めてきた「書かなかった選択肢」が、今こうして擬人化して立っている。怖い? うん、怖い。だが同時におかしい。だって未記入が立ち上がって歩くなんて、ありえない。でも夜はありえないことを次々にメニューにして出してくる。
影の『あたし』は証言台に立ち、白紙を一枚手に取った。そこに勝手に文字が浮かぶ。〈この事件の真犯人は――〉。喉が鳴る。猫たちが一斉に前のめりになる。白紙の上のペン跡は、しかしそこで止まった。名前は記されない。未記入のまま。
「おい!」『あたし』は叫ぶ。「言いかけで止めるなよ!」
影は微笑んだ。「未記入こそ証言だ」
ドッと笑いがこみ上げる。何だそれ、屁理屈にもほどがある。けれど同時に、不気味な納得が胸を締める。たしかに名前を言われるより、言われない方がよほど重い。空白は誰にでもなる。つまり全員が犯人。つまり誰も犯人じゃない。
夜はますます濃くなる。白紙が空を舞い、影が証言台に立ち続ける。『あたし』はペンを持たない傍聴人に過ぎない。事件は書きかけだらけ、証拠も未記入だらけ。終われない裁判。けれど奇妙に楽しい。コミカルな混乱と、不気味な沈黙が入り交じり、夜の散歩はまた新しい裏メニューを追加してしまった。
結論は? まだ書かれていない。白紙が主役だから。
次回予告
『弁護ニャんて聞いてない! たま弁護士、登場』
「異議あり!」――鳴き声ひとつで法廷は大混乱。
依頼人は『あたし』、依頼内容は「無罪放免とついでに夜明け」。
けれど証拠は白紙、証人は影、そして依頼人自身が容疑者!?
猫耳法廷で繰り広げられる、論理と鳴き声と毛づくろい。
勝訴か敗訴か、それとも爪痕だけが残るのか。
次回、『弁護ニャんて聞いてない! たま弁護士、登場』
夜の散歩は、もはや漫才裁判の修羅場へ――!




