第72話 夜明けの散歩 ― 花びらと猫の足跡
夜の終わりと朝の始まりのあいだ、街はいちばん静かだ。静かさにも段位があるのなら、今は五段くらい。静けさの有段者。
浅野川の水面は、薄い膜みたいな霧を両手で持ち上げて、朝の顔にかぶせている。僕と『あたし』は、その縁を並んで歩いた。歩幅は合っている。合わせているわけじゃなく、気がついたら合っている。意識しない一致ほど、意味深な一致はない。意味深だと意識した時点で、もう意味は深くないのだけど。
「藤次郎、足跡、見える?」
「濡れた石畳の暗いところだけ、光ってる。目よりも耳で見える感じだ」
「ふーん。耳で見るなら、今日は勝ち目あるね」
「勝ち負けの話じゃないだろ」
「勝ち負けじゃないことに、勝ち負けを持ち込むのが人間。……で、猫は猫」
「にゃあ」と、先に答える声がした。たまが、いつの間にか僕らの前に出て、尻尾で朝の霧を撫でていく。撫でられた霧は、金箔の粉のようにきらりと光った。金沢は、朝さえ金色にする。
「たま、今日はガイド?」
「にゃあ」
「頼りにしてるぞ」
「にゃあ!」
頼りにされた猫は胸を張る。胸があるのかどうかはさておいて、張りたそうだから張らせておく。猫の誇りは、街の誇りとだいたい同義だ。たまの足跡は、濡れた花びらの上に小さな句読点を打っていく。僕と『あたし』の足跡が文章だとしたら、たまは間合いで意味を整える編集者だ。
「ところで、『あたし』」
「はいはい。『あたし』は『あたし』だよ。今日は、名前を出し過ぎないでおこう。引き過ぎる線の方が、輪郭は濃くなるから」
「僕の独白に、編集権まで持ち込むのはやめてほしい」
「編集権? それは、歩幅を合わせる権利の別名でしょ」
そんな調子で、川べりを行く。風鈴の音が、遠くで一回だけ逆再生した。音が生まれる前に戻っていく、あの奇妙な吸い込み方。あれが呼び声で、呼ばれているのは僕でも『あたし』でもなく、街だ。街そのものが、次のページをめくる準備をしている。
曲がり角に差しかかると、正玄が待っていた。約束なんてしていなかったのに、待っている風に立っているのがすごい。待ち合わせの天才だ。片手に紙袋、もう片手には、たま用の小さな紙袋。
「おはようさん。遅刻、五分」
「時間、決めてたっけ?」
「決めてないけど、街が決めとる。ほら、温いの買うてきた。花見団子の季節でもないけど、団子はいつでも咲く」
たまが真っ先に「にゃ」と跳ね、正玄の足もとに収まる。正玄はお約束のように、たまの額に指を当てる。額へのタッチは合言葉。たまの瞳は、合言葉にだけ開く秘密の窓だ。
「絹代さんは?」
「先に行っとる。川の向こうで、ベンチの縄張り取ってくれとるはずや」
「絢子は?」
「眠そうやけど来る。眠そうに来て、眠そうに笑うて、眠そうに幸せいうて帰る。幸福ってのは、眠い顔して来るもんや」
「なるほど」と『あたし』が笑う。笑い方の文体まで知っているような笑いだ。笑いは文体になる。泣き方も。沈黙は特に。
川にかかる橋を渡る。欄干をすべる風が、金泥の花びらを一枚、ひっそり運んできた。花びらは、たまの鼻先にとまり、ひらりとまた舞い上がる。そこに、薄い声がまぎれた——声とも、思い出ともつかない、声の残像。
「……また、呼んでる」と『あたし』。
「呼ばれているのは僕たちじゃなくて、街のほうだろ」と僕。
「街に呼ばれた人間が、街を呼び返す。往復葉書みたいで、好き」
正玄はそんな僕らを横目で見ながら、何も言わない。言わないけど、聞いている。聞いているけど、裁かない。たぶん、街の長老を長年務めると、耳の置き方だけがうまくなるのだ。
ベンチは本当に確保されていて、絹代がすでにお茶を配っていた。配るというよりも、湯呑みを置くとそこにお茶が生じる、みたいな手つきだ。湯気の背筋が良い。
「遅かったねえ」と絹代。
「遅刻、五分やと」と正玄。
「五分は誤差でしょ。人生の誤差は、だいたい五分くらいが可愛い」
「可愛い誤差しか許さんってことや」と正玄。
絢子は、眠そうにやって来た。宣言どおりだ。眠そうに笑って、眠そうにおはようと言って、眠そうに座る。眠そうに幸せそう。眠そうは万能の形容詞か。
「たまちゃん、ほら」と絢子が小袋を開ける。猫用の焼き魚。たまの目が一瞬で晴天になる。もし天気が猫の気分で決まるなら、世界は今、快晴の真ん中だ。
団子が配られ、朝の甘さが口の中に咲く。正玄が何本目かの串を持つ。絹代が湯を足す。絢子が眠そうに相槌を打つ。僕と『あたし』は、同じタイミングで同じ景色を見る。浅野川は、ほんの少しだけ早かった夜を、ゆっくり返している。
「藤次郎」と『あたし』。
「なに」
「歩幅、忘れないでね」
「忘れないさ。忘れられる事と、忘れちゃいけない事は、語感が違う」
「語感の違いを、語彙の違いで埋めるのは、好き」
「埋めてるのか、掘ってるのか、時々わからなくなる」
「わからなくていいよ。わかろうとするのが、歩幅の半分だから」
たまが、僕と『あたし』の靴のあいだにすっと収まって、尻尾を左右に振る。メトロノームみたいに。猫が二人の呼吸を合わせているのだとしたら、猫はもう音楽家で、街はオーケストラだ。
ふと、風鈴が鳴る。遠い、逆再生の一音。高音が低音に吸い込まれ、低音が生まれる前へ滑っていく。気配だけが、こちらを覗く。
欄干の向こう、霧の薄い箇所に、三つの影が重なる一瞬があった。花びらが描く輪郭。水面を歩く猫の足跡。霧に咲く淡い火——煙草の火の、記憶。
泉鏡花、室生犀星、徳田秋声。名前を口にしないで、ここまで言及するのは、ずるい。でも、ずるいことが許される時間帯というのが、世の中にはある。夜明けは、ずるい時間帯の代表だ。
「見えた?」と『あたし』。
「見えなくても、知っている」と僕。
「知っているのに、確かめないのは?」
「確かめることが、壊すことになるときもあるだろ」
「壊れても、残るものがあるよ」
「その残るものの名前を、たまは知っている気がする」
「にゃあ」
猫の返事は、正答の音程だ。僕と『あたし』は笑って、団子の串を一本ずつ積み上げる。積み上げた串は、小さな塔のかたちになり、塔の影が川に落ちる。影の落ち方が、どこか懐かしい。懐かしいのは、未来の形見だ。
「ところで藤次郎、例の“欠落”は、具合どう?」
絹代が、湯気越しに尋ねる。湯気は質問を柔らかくする。
「……多分、まだ増える。けれど、増えるということは、まだあるということだ。空白は紙がある証拠だ」
「うちは、紙を用意し続ける係や」と正玄。
「私は、文字を薄く読む係」と絹代。
「私は……眠そうに喜ぶ係」と絢子が笑う。眠そうな喜びは、たぶん本物だ。眠りと幸福は、似ている。どちらも無防備だから。
僕は川面を見た。霧の薄いところに、猫の足跡が、ほんの一瞬、浮かんだ。足跡は二股に分かれて、すぐに消える。見間違いかもしれない。見間違いであっても、街はいつも、正しい見間違いを用意する。逆再生の風鈴も同じ。間違って鳴ったように聞こえる正しい音だ。
「藤次郎」と『あたし』が、もう一度、呼ぶ。
「なに」
「今日は、楽しいで締めよう。借りも勘定も、明日に回す。甘いもので、未払いを包む」
「賛成だ。借りを甘くするのは、金沢のやり方だ」
「ね。街に教わったことは、だいたい甘い」
団子の串が、塔から塔へと渡っていく。正玄が真面目にふざけ、絹代が真面目に笑い、絢子が眠そうに拍手する。たまは拍手をしない代わりに、尻尾でリズムを打つ。僕と『あたし』は、何も拍手しない代わりに、目で拍手をする。目のひらで、そっと。
朝が昼になるまでの短いあいだに、街は今日の顔を決める。今日の顔は、少しだけ優しい顔だった。優しさは、誰が決めたって、誰かの顔を借りてくる。街はときどき、『あたし』の顔を借りる。僕はそれに賛成している。賛成を表明する勇気はないけれど、賛成を沈黙で支払う方法なら、いくらでも知っている。
「藤次郎」
「なに」
「ありがとう」
「どういたしまして」
「言い方が、他人行儀」
「他人に見えるくらいの距離のほうが、今は、丁度いいんだ」
そう言うと、『あたし』は満足そうに目を細めた。満足と不満足の境界線上の表情。境界に立つのは、癖になる。癖になった境界の末路が、洋館だ。
風が、花びらをもう一枚、運んできた。たまがそれを追いかけ、僕らの足元に戻してくる。花びらは、たまの鼻先から僕の靴へ、僕の靴から『あたし』の靴へ、そして川面へ。小さな旅の経路表。
空はすっかり明るい。逆再生の音は聞こえない。けれど、聞こえない音ほど、耳に残る。残響は、耳で聞くものじゃない。歩幅で聞くものだ。二人と一匹の歩幅で。
そうやって、僕たちは笑って解散した。笑って散らばるということは、次に笑って集まれるという合図だ。合図は猫が一番よく知っている。たまは一度だけ振り返り、「にゃあ」と短く鳴く。了解の鳴き方。了解の鳴き声は、了承の鳴き声よりも短い。
そのとき、遠くで、ほんとうに遠くで、一音だけ、風鈴が逆向きに鳴った。
僕は顔を上げる。『あたし』も同時に上げる。歩幅どころか、顔幅まで合うのは、さすがに偶然だ。偶然は、偶然らしく、偶然のふりをする。街はそれを、にやりと見ている。
今日の終わりを、今日の朝に仕込んでおく。そんな街だ。そんな僕らだ。そんな『あたし』だ。
次話予告
欠けは映され、名は今夜ぶんの深さを得る。
二股の足跡は、湿り気を取り戻し、窓は窓らしからぬ顔でこちらを覗く。
呼ぶ声と呼ばれる名、残った「りん」の一拍。
扉はもう、こちらを見ている。
第73話 もう一つの呼び声 ― 洋館の窓の影
逆再生は一度きりでは終わらない。——笑ったのは、誰の影だろう。




