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第67話 三つの扉 ― 裏メニューへの選択と同時開放の鍵

 扉が三つ、横一列に並んでいた。ありふれているのに、見れば見るほど同じで、同じであるほど不気味だった。木目も蝶番も剥げた塗装も、三つとも一致する。違うのは——奥で鳴る風鈴の音だけ。


 館のいちばん奥、逆再生の気配が濃い突き当たり。僕と『あたし』と本多正玄は、出題の前に立つ。問題文は短い。〈三つの扉を、同時に開けなさい〉。ただし脚注がある。〈音を止めること。止められるなら〉。


 右の扉の向こうで黒鉄の風鈴が低く鳴り、真ん中は銀の鈴が水滴みたいに跳ね、左は花模様の薄鈴が紙の摩擦に似た音を立てる。三つは絶対に揃わない。ずらされている。わざとだ。


『あたし』が囁く。「どれか一つだけ開けたら、残り二つは“過去に戻る”。だから——同時に音を止める」

「止めるって、どうやってや」本多正玄が懐中電灯を持ち直す。

「風じゃない。鳴ってるのは鈴じゃない。記憶のほう」


 記憶が鳴らされている。止めるには、僕らの側の“覚悟”を押さえる必要があるらしい。理屈は分からないが、分からないからこそ足は動く。そういう場所に来ている。


「割り当て、決めよう」『あたし』が三つの取っ手を順に撫でる。指先から無色の光が広がる。花、銀、黒鉄。——泉鏡花、室生犀星、徳田秋声。名前は言わない。言った瞬間に何かが壊れる気がする。匂わせは匂わせのままでいい。


 本多正玄が笑う。「うちは花、似合う思うけど」

「正玄さんは合図と照明を」僕は制した。「三つ同時はタイミング命です」

「うちはタイミング見るの得意やけどなぁ」

「だから頼むんです」


『あたし』が僕を見る。「じゃあ三人目は?」

「僕と君の二人じゃダメなんだろ」

「二つまでは届く。三つ目は“向こう側”から押さえないと」


 向こう側。扉の内側。逆再生の側。右の黒鉄の鈴の奥に、帽子の影が立っている気配がした。煙草の煙が上ではなく下へ流れていく。輪郭を曖昧にする逆流。名前は、やっぱり言わない。


『あたし』は断言する。「三人目は来る。でも、待ってはくれない。私たちが“同時”の形を作った瞬間だけ、間に合う」


 取っ手の金属は冷たく、それでいて薄くなっていく。時間が削れている。


 本多正玄が天井へ光の輪を投げる。「合図はうちが出す。三つの鈴が一瞬でも揃ったとき——そこで止めぇ」

「どうやって止める」

「指で触る。指先は記憶の先端だから」『あたし』は言う。説明になっているようで、十分だった。僕は左の花の気配に掌を向け、『あたし』は中央の銀に呼吸を合わせる。右の黒鉄は——向こう側の誰か。


 待つ。鈴は——ずれる。揃いそうになると悪戯みたいに引き延ばされる。逆再生は待たない。


 二度、三度、失敗するほど“同時”が遠のく。焦りは音を早め、怖さは音を遅らせる。心拍がメトロノームを裏切る。


『あたし』が短く言う。「藤次郎」

「うん」

「考えるのを、やめる」

「それ、僕の十八番だ」

「違う。君の十八番は、考えたふりをして走ること」

「ひどい」

「褒めてる」


 笑いが一瞬、胸の重しを軽くした。その隙間に三つの波形がふっと重なる。


「——今!」正玄の声が落ち、僕は左の空気を掴み、『あたし』は中央の気配を押さえ、右では帽子の影が取っ手に触れた——気がした。音が止まる。止まった音は、残響を置き去りに床下へ沈んだ。


 静寂は逆再生の毒らしい。三つの扉の奥で、ひび割れる音。取っ手の金属が硬度を取り戻し、鍵穴がまるで同じ心臓に繋がっているかのように、同時に脈打つ。


「開ける」僕は言う。『あたし』が頷き、正玄がライトを構え、右の影が煙を逆流させたまま顎を引く。合図は揃った。


 数えない。数えると遅れる。僕らは同時に取っ手を回す。三方向のきしみが重なり、たちまちゼロに還元される。不協和が逆再生されて無音になる。


 扉が開く。廊下が三本。三本なのに一本。視界が三分割され、同時に一つに結ばれる。花びらが漂う書斎の影、水文様が床を覆う回廊、黒い煙が壁になって立ちのぼる径。どれも互いの色を帯び始めている。混ざり合う前ぶれ。


『あたし』が低く言う。「ここからは、戻れないよ」

「戻る必要があるなら、最初から来てない」僕の声は、自分でも驚くほど落ち着いていた。落ち着きは、怖さを抱えたまま立っている証拠だ。


 本多正玄が光で壁をなぞる。「時間、動き出しとる。さっきまで戻っとったけど、今は前」

「今だけが現世、か」僕は三本の境目を見る。そこだけが地図みたいに平らだ。現実の迷いは段差に宿る。なら、段差ごと越えていけばいい。


 右で、帽子の影が一歩先へ出る。煙が足元に吸い込まれ、すぐ吐き戻される。彼は何も言わない。言葉を置いた瞬間にこの世界を傷つけることを知っている人の沈黙だ。


『あたし』が口角を上げる。「心配しないで。選択はもう終わってる」

「選んでないのに?」

「“三つ全部を開ける”を選んだ。それが選択」


 選ばないことを選ぶ。言葉遊びに見えて、実装は過酷だ。道のほうにこちらを選ばせる。僕らはその“同じ場所”へ行く。


「行こう」僕は踏み出す。花びらの廊下に一歩、銀の水面の廊下に一歩、黒い煙の廊下に一歩。三歩で一歩。体は一つでも、足跡は三つぶん残る。この場所では整合性は後から来る。先に進むのが先。


 廊下は先へゆくほど渦の中心へ寄っていく。花は水に沈み、煙は花に絡み、水は煙を洗い流す。互いに打ち消しながら、全体は濃くなる。矛盾の合成。世界は矛盾で案外丈夫だ。


 振り返らない。振り返った瞬間、どれかが過去へ行く。過去は便利そうで、不親切だ。同じところへは二度と戻さないのに、戻れると信じさせる。巻き戻しは再生のフリをして、別の未来を作る。ここが、それを証明している。


『あたし』が僕の袖を軽く引く。止まれ、の合図。耳を澄ます。三つの鈴がまた少しずつずれてきた。永遠に同時ではいられない。だから同時の瞬間は貴重で、そこにだけ道が現れる。


 帽子の影が顔を上げ、右手で軽く招く。招かれたのは僕たちか、それとも——次の扉か。境目が細くなり、遠くの光が太く見える。そこに、もう一枚の扉。入口らしくない顔で、余計に入口らしい。


『あたし』が囁く。「ようこそ——本当の裏メニューへ」

「注文は?」

「注文しない人にだけ、出す料理」


 僕は手の平の熱を確かめる。さっき押さえた音の残滓が、痛みとして残っている。触覚に刻まれた記憶。痛みがあるなら、生きている。生きているなら、進める。

 扉の木肌に頬を寄せると、冷たさの奥で脈が打っていた。僕の脈か、館の脈か、それとも街全体の鼓動か。区別は今さら必要ない。開けば分かる、分からなくても進む。


 本多正玄が短く息を吐く。「時間や。今や」

「分かってる」僕は頷き、最後の扉の前で目を閉じた。逆再生の音が、ぴたりと止む——気がした。『あたし』の指先が僕の袖から離れ、帽子の影が煙をたたむ。


 僕らは、扉に手をかける。三人で。三つの影と三人の影が、重なる。世界が、ほんの一拍、呼吸を忘れた。


次話予告


三空間は混ざり、道は一本に。花びらは水に沈み、煙は光のかたちを覚える。崩れ始める逆再生の街で、交わらないはずの三つの影が、一瞬だけ同じ方向を見る。

第68話「影の交差 ― 三空間の融合と最深部への招待」

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