第4話 夜の招待状④ ― 境界の見えない神社
幻灯の光が消え、路地は闇に沈んだ。
提灯の赤い灯りだけが、僕と『あたし』と、たまの輪郭を縁取っている。
「……今の、絶対にこっちを見ましたよね」
自分の声が妙に響く。
『あたし』は首を横に振るでもなく、軽く肩をすくめた。
「見ることと、視ることは違うのよ」
意味を問おうとした瞬間、たまが僕の足首にすり寄り、「ニャ」と短く鳴く。
「行くわよ」
『あたし』は提灯を掲げ、路地のさらに奥へ。
進むごとに空気がひやりと変わる。石畳の色も、さっきよりわずかに濃く見える。
気づけば、木造町家の並びがいつの間にか石垣に変わっていた。
「……これ、茶屋街じゃないですよね」
「境界に入ったの」
『あたし』はあくまでさらりと言う。
たまが先頭に立ち、尾をぴんと立てた。
石垣の先に、小さな神社が見えてきた。
鳥居は苔むし、注連縄はほつれている。
けれど、その奥の拝殿は妙に新しく、光沢すら帯びていた。
「境内は……誰もいませんね」
「見える人には見える、見えない人には見えない場所。ここが“境界の見えない神社”よ」
『あたし』は提灯を拝殿に向けた。
その瞬間、灯りがかすかに揺らぎ、僕の背中に冷たい汗が伝う。
「ここで契約の代償を払ってもらう」
『あたし』の声色が、少しだけ硬くなる。
「代償……?」
「この町の裏側を歩くには、あんたの“記憶”を一部預けてもらう」
僕は思わず笑ってしまった。冗談だろうと。
だが、『あたし』は笑わなかった。
「軽く思わないほうがいい。預けた記憶は、いつでも返せるとは限らない」
沈黙。たまが拝殿の階段を一段だけ上り、振り返って僕を見た。
その金色の鈴が、わずかに鳴った。
――記憶を差し出すか。
この町の裏側を覗くために。
そして、あの赤い瞳の男の正体を知るために。
「……預けます」
言葉が口をついて出た瞬間、拝殿の扉が音もなく開いた。
中から、白いひとだまがすっと漂い出る。
『あたし』は小さく頷き、そのひとだまを両の手で受け止めた。
「これで、あんたはもう“外”には戻れないわ」
不思議と、その言葉は脅しではなく、約束のように響いた。
たまが静かに鳴き、拝殿の奥の暗がりをじっと見つめている。
僕は、その視線の先に何かが潜んでいることを確信した。
次回予告
記憶を預けた藤次郎は、いよいよ“裏メニュー”の入口へ。
次回「第5話 夜の招待状⑤ ― 最初の案内」で、三人は境界の奥へ足を踏み入れる。