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第31話 夢喰いの訪問者

 守り手の言葉は、夜が明けても耳の奥で燻っていた。

 「次は――おまえの番かもしれん」

 その“かもしれん”の曖昧さが、やけに現実味を帯びて胸に居座る。あの能面が、わざわざ条件付きで脅す必要があったのか――いや、脅しじゃない。あれは“予告”だ。予告はだいたい、的中するために存在する。的中しなければ、ただの独り言だ。


 町には妙な噂が出回り始めていた。

 ――寝ている間に記憶をひとつ盗まれる夢を見る。

 ――目覚めると、大事なことを思い出せない。

 噂は、最初は笑い話だったらしい。だが数が増え、被害者が「笑えない」と言い出した瞬間、それは怪談になった。笑い話と怪談の境目なんて、だいたい笑い声の有無ひとつだ。


 昼間の『あたし』は、いつも通りに見えて、妙に視線の動きが速かった。

 「最近ね、枕元に立つ夢を見るって人が増えてるの」

 「それ、ホラー映画の宣伝ですか」

 「現実の方が安上がりで質が悪いわよ」

 『あたし』は帯をきゅっと締め直し、こちらを見ずに続ける。

 「藤次郎、あんた最近、夢の中で知らない風景を見たことは?」

 「夢なんて、だいたい知らない風景ですけど」

 「そういう屁理屈は、寝言のときだけにして」


 たまは、その会話を知ってか知らずか、昼間から僕の枕元を占領していた。丸くなったり、目だけ開けたり、「ニャ」と短く鳴いてはまた目を閉じる。

 ――まるで、僕の夢の番人みたいに。


 夜。

 僕は夢の中で見知らぬ路地に立っていた。

 空は黒ではなく、古びた写真みたいな茶色がかっている。家々の窓はすべて閉ざされ、代わりに路地の両側には無数の屋台が並んでいた。

 屋台の商品は――全部、僕の記憶だった。

 ランドセルの匂い。

 初めての自転車の感触。

 『あたし』と初めて交わした意味のない会話まで、瓶詰めや布包みにされて並んでいる。


 「ようこそ、記憶市へ」

 声の方を向くと、守り手がいた。能面は相変わらずだが、今夜は笏ではなく、古びた秤を持っている。

 「私は買い手ではない。査定人だ」

 「査定って……フリマアプリの出品チェックですか」

 「その冗談、安くはないな」

 守り手は屋台をひとつずつ覗き込み、僕の記憶を値踏みしていく。手つきは骨董商のそれだ。

 「これは重い。売れば十年は軽くなる」

 「軽くなっても、命が軽くなったら困るんですけど」

 「では、これはどうだ」

 指差した先には、僕がまだ名前も知らなかった『あたし』の笑顔があった。

 「それは非売品です」

 「非売品ほど、高値がつくものだ」


 気づけば、屋台の影から、赤眼がこちらを見ていた。

 燃えるような視線は現実と同じだが、夢の中ではやけに小さい――子供の背丈ほどだ。

 「……次は灯りごとだ」

 短く、鋭く。

 その言葉だけを残し、影は路地の奥に消える。


 目が覚めると、たまが僕の胸の上で丸くなっていた。

 『あたし』は襖を開けて入ってきて、僕の顔を一瞥する。

 「寝汗がすごいわよ。何を見たの?」

 「フリマで過去を売る夢です」

 「買ったのは?」

 「査定人」

 『あたし』は口の端を上げた。

 「そいつが現実に来るのも、時間の問題ね」


次回予告

夢の中で再び開かれる“記憶市”。並ぶのは藤次郎自身の過去、失いたくないものばかり。

しかし、買い手は現れず、代わりに現れたのは値を付ける“査定人”――守り手。

値切りと駆け引きの末、藤次郎の記憶はひとつ落札され、日常に小さな穴が空く。

第32話「記憶市・深層」――記憶の値段を、誰が決めるのか。

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