第26話 風鈴狩りの夜
香林坊の通りは、秋祭り前夜の提灯で彩られていた。
オレンジ色の灯りが風に揺れ、夜空にちらちらと瞬く。
空気は澄み、冷たさがひと呼吸ごとに肌を切るようだった。
『あたし』は帯の端を整えながら、ちらと横目をくれる。
「眠そうね」
「いや、作戦のシミュレーションしてただけです」
「ふーん。“居眠り”って名前の作戦?」
「違います」
軽口を交わしつつも、目は周囲を探っている。
今夜は――“風鈴狩り”だ。
腰には、九尾から借りた“音封じの紐”を巻きつけている。
深い藍色の組紐に、小さな金細工の留め具がついていて、締めるとわずかに冷気が走る。
この紐をつけている間、鈴や鐘の音は直接心に届かない。
まるで音の刃に防御膜を張るようなものだ。
あの九尾が、なぜこんな便利なものを貸してくれたのか――。
『あたし』が説明するには――。
「この子のひいおばあちゃんがね、昔、あんたの尾を守ったことがあるのよ」
「この子って……僕、もういい大人なんですけど」
不服そうに口を尖らせた僕を見て、『あたし』はいたずらっぽく笑った。
「そう呼ぶのには理由があるの。今はまだ秘密だけどね」
九尾は、自らの尾を失う寸前だった過去があるらしい。
明治の末、ある陰陽師が九尾の尾を封じようとし、秘蔵の祠に隠したという。
その隠し場所を知っていたのが、藤次郎のひいおばあちゃん。
彼女は命をかけて尾を守り抜き、九尾は恩を忘れなかった――と『あたし』は言う。
だから今回も、その恩義から貸し出された紐。
「もっとも、ただの情けじゃないよ」と『あたし』は笑った。
「九尾も、風鈴の怪が広がるのは面白くないのさ。自分の縄張りに異音を撒かれるのは嫌なんだろうね」
たまが先回りして路地の角に立ち、金色の鈴をちりんと鳴らす。
その音は“音封じの紐”に遮られて僕の鼓膜には届かないが、胸の奥でかすかに共鳴する感覚がある。
――あれが合図だ。
僕は『あたし』と目を合わせ、うなずく。
「音を消すルート、試してみます」
「やってごらん」
『あたし』の声は軽いが、その視線は真剣だ。
主計町の茶屋街へと足を運ぶと、路地の奥から風鈴の音が細く、しかし執拗に伸びてくる。
九尾の紐がなければ、すぐに記憶を削り取られそうな鋭さだ。
町内会の面々も合流する。
大工の弥市が、にやりと笑って言う。
「こういう時は釘より言葉のほうが効くがや」
魚屋の源吉は、背負った網から金魚すくいのポイを取り出してひらひら振った。
「鈴も魚も、網で取るよりこっちのが早いかもしれんぞ」
くだらないやり取りに見えて、その実どれもが奇妙に役立ちそうな手段ばかりだ。
たまが小走りで軒下に飛び込み、前足で瓦を引っかく。
そこから小さな鈴が転がり落ちる――中から淡い白煙のようなものが漏れたが、紐が守ってくれている。
「一個目、確保」
『あたし』が手早く布袋に鈴を包む。
まだ数は多いが、手応えはある。
提灯の明かりが揺れ、秋祭りの準備をしている通りが不意に静まり返った。
風もないのに、どこからか鈴の音だけが、薄く、鋭く、忍び寄ってくる。
――これが今夜、僕らが狩るべき“風鈴”だ。
次回予告
薄闇の廃祠で、藤次郎と『あたし』はついに“守り手”と対面する。
記憶を通貨とする異形との、奇妙で緊張感あふれる交渉戦が始まる。
次回「第25話:風鈴の影と交渉戦」をお楽しみに――。




