表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
21/79

第21話 境内の鈴は誰が吊るした

 昼下がりの本多家菩提寺は、真夏の白い空を背に、静かすぎるほど静かだった。

 山門をくぐった瞬間、外よりも温度が一段下がったように感じる。

 けれどそれは涼しさではなく、空気の質が変わったような、息の中に別の成分が紛れたような――そんな感覚だった。


 藤次郎はトートバッグの紐を握り、横を歩く『あたし』に目をやる。

 「……本当に、ここにも吊ってあるのか?」

 『あたし』はわざと答えを遅らせるように、口の端だけを上げた。

 「見てからのお楽しみよ」


 たまが先導し、砂利を踏む音だけが境内に響く。

 ――たまからすれば、今日は散歩のはずだった。

 なのに、空気はじっとりしていて、耳の奥がむず痒い。

 「(ああ、これ、好きじゃない音の匂いだ)」


 庫裏へ続く回廊に差しかかった瞬間――。

 ――チリン。

 涼しげなはずの音が、どこか濁って耳の奥に残る。

 音が止んでも、金属の粉が舌に触れたような嫌な感覚が消えない。


 そこに吊るされていたのは、透き通ったガラスの風鈴。

 胴には金色の梵字がひと筆だけ刻まれている。

 普通なら御守りめいた厳かさを感じてもいいはずなのに、見れば見るほど、腹の底に冷えた泥水が溜まっていくような、不快な圧迫感があった。


 「……普通の風鈴には見えんが」藤次郎が呟く。

 『あたし』は小さく鼻を鳴らした。

 「この梵字、経文の力を偽装してるわね。正玄の仕事じゃない」

 「……これ、誰が夜中に“飾り付け”して回ってるんだよ。町内会の趣味にしては悪趣味すぎる」


 「何を見とるんや、藤次郎くん」

 背後から低く穏やかな声がした。振り返れば、正玄住職が立っている。

 白い作務衣には汗一つなく、まるで風鈴よりも澄んだ空気をまとっていた。

 「住職、この風鈴……」

 「わしは吊っとらん」即答する声に、冗談の色は一切ない。


 そこへ庫裏から、ショートパーマを揺らした絢子が顔を出す。

 「兄さん、何しに来たん?」

 「風鈴の調査だ」

 「また面倒ごとかいね……」と口では言いつつ、彼女の視線もすぐにその鈴へ引き寄せられる。


 正玄は軒先まで歩み寄る。

 その動きは合気道の型のように、ゆるみなく滑らかだ。

 「……この高さ、誰かが脚立を使わんと吊れんぞ」

 『あたし』が眉をひそめる。

 「じゃあ、いつの間に?」

 「夜の間やろな」正玄は目を細めた。

 「梵字は本物やが、込められた“音”は別や。これ、経文すらかき消すぞ」


 藤次郎はバッグから町内会で預かった風鈴を取り出した。

 「これと同じ現象が……」

 ――チリン。

 境内の鈴が小さく鳴り、その音が空気をゆがませた。


 途端に藤次郎の頭の中が白く塗りつぶされる。

 「……今、何を……」

 「やめとけ!」

 正玄が一歩で間合いを詰め、藤次郎の肩を掴む。

 触れた瞬間、濁った膜が剥がれ落ち、視界が澄んだ。

 「間合いを詰めすぎや。……ほれ、その呼吸は悪うない」

 褒められたのか叱られたのか、藤次郎には判別できなかった。


 絢子が低く呟く。

 「じゃあ、これ……外の風鈴とつながっとるんやね」

 『あたし』は頷き、口元を引き締めた。

「ええ、根は同じ。音を伝わせて町中を網みたいにつないでる」


 たまが唐突に唸り声をあげた。

 耳は一点に向けられ、背中の毛が逆立っている。

 「……来る」

 『あたし』の声と同時に、松の影がふっと揺らめいた。


 正玄は数珠を握り直す。

 「境内に足跡を残したな。追うぞ」

 たまが鋭く鳴き、地面を蹴る。


 松林を越えると、涼しいはずの日陰で、また鈴が鳴った。

 ――チリン。

 たまの尾がピンと立ち、弓なりの体勢で走り出す。

 藤次郎もあとを追いながら、心の中でぼやく。

 「……夜の散歩は好きだが、真昼間に怪異追跡ってのは聞いてないぞ」


 小さな祠の前に差しかかった瞬間、黒い影が揺らぎ、地面に溶けて消えた。

 たまは祠の前で踏みとどまり、鼻先を土に押し付ける。

 「……匂いは?」藤次郎が尋ねる。

 『あたし』が答える。

 「残ってる。でも下へ逃げた」


 正玄は祠の周囲を一周し、低く言った。

 「祠の下に“抜け道”がある。この結界を潜れるのは限られた者だけや」

 『あたし』は軒先を見上げる。そこにもやはり、あの梵字入りの風鈴が揺れていた。

 「……これ、町ごと記憶を狩るつもりよ」


 たまが風鈴の下に座り込み、尻尾をゆっくり揺らす。

 その目は、「次に鳴らしたら壊す」と言っていた。


 藤次郎は深く息を吐く。

 「……つまり、この音の“主”はまだ町のどこかにいる」

 正玄は頷いた。

 「おる。しかも――おぬしらのことを、もう知っとる」


 坂の下から吹き上げた突風が、祠の鈴を鳴らす。

 ――チリン。

 藤次郎のこめかみに、冷たい汗がにじんだ。


次回予告

風鈴を網のように張り巡らせ、記憶を狩る“主”の存在が明らかになる。

藤次郎と『あたし』、そして正玄は、町中に散らばる鈴の位置を割り出すため、深夜の探索に乗り出す。

だが、その足取りを先回りする影が一つ――。

第22話「深夜の鈴狩り」

――静寂の中、響く音は罠か、道しるべか?

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ