第17話 灯守り最終夜 ― 九つの尾の舞
三日目の夜、浅野川は薄い靄に包まれていた。
昼間から降っていた細い雨がやみ、湿った石畳が月明かりを吸い込み、黒い艶を帯びている。
藤次郎は祠の前で深呼吸し、青く揺れる灯りを見つめた。
「……今日で最後だ」
『あたし』はわずかに口元をほころばせる。
「気を抜いたら、最後にして最大の罠に引っかかるわよ」
「わかってる」
背中に滲む汗が、夜の湿気と混ざってひやりとした。
たまは祠の台座に飛び乗り、青い灯りを守るように座り込む。鈴が小さく揺れ、雨上がりの夜に澄んだ音を響かせた。
その時、川面が不自然に波打った。
風はないのに、靄がするすると形を変え、一本、また一本と尾のような影を伸ばしていく。
九つの尾が揃った瞬間、祠の前に九尾が現れた。
九尾は、その黄金色の瞳を細め、低く響く声で言った。
「三日間……見事に守り抜いたな、人間よ」
藤次郎は一歩前に出る。
「これで契りは果たされたのか」
九尾は細く笑みを浮かべ、九つの尾をふわりと広げた。
その動きは舞のように優雅で、美しさと同時に獣の鋭さを感じさせた。
「果たされるかどうかは、最後の問いに応えてからだ」
『あたし』が藤次郎を見やり、唇を噛む。
「……問い?」
九尾は青い灯に視線を向ける。
「この灯りは、百五十年の間、我が一族と人が共に守ってきた。灯りは川を鎮める錨であり、我らの力の源。だが同時に、灯りは“縛り”でもある。お前がこれを消せば、契りは途絶え、我らはこの地を去るだろう」
藤次郎は目を細めた。
「……そして、守り続ければ?」
「この地の守人として生きることになる。代償は小さくない。夜ごと、この川辺に呼ばれ、灯りの異変を探る日々だ。静かな暮らしとは縁が切れる」
『あたし』が肩をすくめ、皮肉混じりに言う。
「もう十分、静かじゃない日々を過ごしてきたでしょうけどね」
九尾の尾が静かに揺れ、靄の中に模様を描く。
「人は、手に入れたものを手放すのは容易い。だが、持ち続けるのは難しい。忘れ、怠り、軽んじる──百五十年の間に、何度も見てきた。だから問う。お前はこの灯りを、十年後も、二十年後も守り続ける覚悟があるのか」
藤次郎は即答できなかった。
三日間で味わった緊張、怪異との対峙、そしてこの灯りが放つ不思議な安堵感。
背後で、たまが短く鳴き、藤次郎の足元をかすめる。
『あたし』が静かに口を開く。
「あんたが選んだほうを、あたしは手伝う。退屈はしないでしょうしね」
その声は軽く聞こえたが、瞳の奥は真剣だった。
藤次郎は息を吸い込み、九尾を真っ直ぐ見つめる。
「……守る」
九尾の耳がわずかに動く。
「理由は」
「消す理由が見つからなかった。それに……この灯りがここにあるほうが、俺は安心できる。俺だけじゃない、この町もきっとそうだ」
九尾はしばし沈黙し、やがて尾をゆっくりと畳んだ。
「──よかろう。ならば契りは続く。お前はこの地の新たな灯守りだ」
その瞬間、九尾の尾が灯りを包み、青い光が一層鮮やかに輝いた。
靄が晴れ、川面に月が映る。虫の声が戻り、夜は再び日常の音を取り戻した。
藤次郎は小さく笑い、たまを抱き上げる。
『あたし』は隣で肩をすくめた。
「これから忙しくなるわよ」
「……それも悪くない」
次回予告
契りの儀を終えた藤次郎と『あたし』、そしてたま。
しかし、その帰り道に待っていたのは、梅の橋の上で呼び止める影──。
第18話 夜明け前の訪問者 ― 梅の橋に立つ者
お楽しみに。




