第16話 灯守り二日目 ― 無音の影
夜の浅野川は、昨日よりもさらに静かだった。
梅の橋の上から見る水面は、街灯の光をかすかに映しながら、ほとんど動きがない。川面に張り詰めたような静寂は、風も虫の声も吸い込んでしまったようだった。
藤次郎は祠の前に立ち、青く揺れる灯りを見つめた。
「……風鈴も、足音もなし。今夜は平穏か?」
『あたし』は祠の灯に手をかざし、その熱を確かめながら口元をゆるめる。
「油断しないことね。怪異ってのは、昨日と同じ手は使わない」
たまは祠の横で香箱座りをし、じっと川の暗がりを見ていた。
尻尾の先だけがゆっくり揺れ、耳はわずかに後ろを向いている。
藤次郎はその視線を追ったが──そこには何も見えない。
ふと、頬にひやりとした空気が触れた。
「……今、風が?」
『あたし』が首を横に振る。
「違う。音も匂いもない“何か”が通っただけ」
言われて耳を澄ませると、確かに音がしない。
昨日の夜は足音や風鈴があった。それがないだけで、世界が薄くなったような不安が広がる。
その時、祠の灯りがかすかに揺れた。
炎ではない青い光が、まるで息を吸い込むように細くなっていく。
藤次郎は眉をひそめた。
「おい、灯りが──」
『あたし』が一歩前に出て、青い光の前に立つ。
「見えない影よ。音も形もないけど、存在感だけははっきりある」
藤次郎はバッグを探り、小型の鏡を取り出す。
「……これで探せるか」
『あたし』は頷き、ひとだまを呼び出して祠の周囲に漂わせた。
淡い光粒が空中を舞い、空気の歪みを照らし出す。
たまが急に立ち上がり、祠の左手に向かって低く唸った。
「そこか……?」
藤次郎が鏡を傾けると、鏡面にほんの一瞬、黒い水面のような揺らぎが映った。
『あたし』の声が鋭くなる。
「藤次郎、反射光をもう少し上に」
藤次郎は指示通りに角度を変える。
鏡から放たれた光が歪みに触れた瞬間──ジリ……と焼けるような音が響いた。
空気が戻るように、虫の声が一斉に蘇る。川のせせらぎも、遠くの夜風も。
祠の灯りはふっと元の明るさに戻った。
『あたし』は息を吐き、ひとだまを消した。
「今のが“無音の影”。厄介よ、姿も音もないから、気づくのが遅れる」
藤次郎は鏡を見つめ、口元を引き締める。
「反射させなかったら……灯りは消されてたな」
たまが藤次郎の足元にすり寄り、小さく鳴いた。
藤次郎は苦笑しながらしゃがみ、たまの頭を撫でる。
「助かったよ、たま」
『あたし』がからかうように笑う。
「ほらね、退屈しない三日間だって言ったでしょう?」
藤次郎は小さく息を吐きながら、祠の灯をもう一度確かめた。
次回予告
三日目の夜、最後の試練は、九尾が仕掛けた本当の契りの儀。
守るべきは灯りか、それとも──。
第17話 灯守り最終夜 ― 九つの尾の舞
お楽しみに。




