第13話 九つの尾と囁き
九つの尾の影は、路地の奥で静かに揺れていた。
青い光が尾の輪郭を縁取り、まるで水面に浮かぶ炎のように揺らめく。
藤次郎は思わず足を止めた。
「……本当に、九本、あるように見えるな」
「見える、じゃなくて“ある”の」
『あたし』は小さく笑い、ひとだまをもう一つ浮かべた。光が青い尾と絡み、かすかに狐の顔が浮かび上がる。
たまが前に出て、「フーッ」と短く息を吐く。毛が逆立ち、鈴が小さく鳴った。
「たま、警戒してるわね」
『あたし』の声はおっとりしていたが、瞳は狐火から逸らさない。
──「よう来らっしゃい」
再び、年配の女性の声。金沢弁の柔らかさが混じるのに、どこか氷のような冷たさが背筋を這う。
「どちらさんです?」
藤次郎が声を張ると、青い光の中の狐が形を変えた。尾がゆるりとほどけ、代わりに和服姿の女が現れる。
白髪を結い上げ、色褪せた小紋を着て、薄い笑みを浮かべていた。
「狐火を追ってくる物好きは、百年ぶりやわ」
その口調には、懐かしさと試すような色が混じる。
『あたし』が一歩前に出る。
「百年前じゃなくて、あんたはもっと昔からいるでしょう。香林坊が広場だった頃から」
女の笑みが深くなる。
「おや、知っとるおなごやね。……ああ、ひがしの“涼華”か」
藤次郎は目を見開く。
「知り合いか?」
『あたし』は肩を竦める。
「昔、芝居小屋の帰りに何度かすれ違ったのよ。尾っぽを隠すのが下手な狐だった」
藤次郎は半信半疑のまま口を開く。
「……あの、九つの尾って、まさか」
『あたし』が笑みを崩さず答える。
「そう。本来は恐ろしい大妖怪──九尾の狐。国を滅ぼすほどの禍を呼ぶとされる存在」
藤次郎の背筋に、ひやりと冷たいものが走った。
「そんな相手に、よく軽口叩けるな」
『あたし』はわざとらしく首を傾げる。
「向こうも昔はただの尾っぽ自慢だったしね。今は……少しは洗練されたみたいだけど」
狐火の女は、そのやりとりを聞いて薄く笑う。
「相変わらず口が減らんの」
尾が揺れるたび、炎が路地全体に青い影を落とした。
藤次郎が低く問いかける。
「安心させて、何をする気や」
女は答えず、青い炎の尾をひらひらと揺らした。炎が石畳を青く染め、冷たい風が足元を撫でる。
たまが「ニャッ!」と鳴いて一歩踏み出す。その瞬間、炎の色が一瞬だけ揺らぎ、女の輪郭がぶれる。
『あたし』は藤次郎を振り返り、小さく囁く。
「試してるわね。こっちが近づくかどうか」
「近づいたらどうなる」
「場合によるわ。気に入れば、案内してくれる。気に入らなければ……」
『あたし』は口の端を上げた。
「足をすくわれて、気がついたらどこかの神社の裏手に転がってるかも」
藤次郎は額をかすかにしかめた。
「……つまり、俺が実験台か」
「心配しなくていいわ、たまもいるし」
『あたし』はそう言って、ひとだまを狐火の周囲に浮かべる。光が青い炎に混じり、路地全体が淡く輝き出した。
狐火の女は一歩下がり、目を細める。
「ほう……面白い灯りや。なら、ついて来るがいい」
そう言うと、九つの尾が再び炎になり、路地の奥へと揺れながら進んでいく。
藤次郎と『あたし』、そしてたまは、光の尾を追って足を踏み入れた。
次回予告
九尾の狐が導く先は、青く光る祠か、それとも底なしの罠か。
藤次郎と『あたし』は、古き契りの意味と、香林坊に残る秘密を知ることになる。
第14話 香林坊の狐火③ ― 青い祠と古き契り
お楽しみに。




