第11話 伝承の掘り起こし
翌晩、町内会館。昼間は近所の寄り合いで賑やかなこの場所も、夜はどこか異様な静けさを纏っていた。障子を開け放ち、夏の夜風が畳を撫でるたびに、軋む音が室内に細く響く。外からは浅野川のせせらぎが遠くに聞こえ、時折、風鈴が「チリリ…」と揺れる。
畳の中央には長机が置かれ、藤次郎、絢子、正玄、絹代おばあちゃん、そして町内会長・橋本をはじめとする旦那衆が正座していた。傍らには白猫のたまが鎮座し、尾をゆっくりと揺らしている。
「──以上が、昨夜の出来事です」
藤次郎は深く息を吐き、梅の囲いでの一部始終を語り終えた。赤い瞳の鎧武者の出現、たまの威嚇、そしてひとだまの光で退けたこと──一言一言、間を置いて語るたびに、場の空気がさらに重くなる。
沈黙がしばらく続いた後、橋本会長が低く唸った。
「ほんなだらな…赤い瞳の武士姿、確かに記録がある」
会長はゆっくりと立ち上がり、奥の棚へ向かう。ギシギシと床板が鳴り、古びた木箱を取り出す音が響く。蓋を開けると、黄ばんだ巻物が数本、丁寧に巻かれたまま現れた。
「これはの、先代から預かった“禁じられた裏記録”や」
橋本が机に置くと、絹代おばあちゃんが身を乗り出し、その一本を手に取った。
「ほれ見まっし、うちの先祖が書き残した“犀川落ち武者”の話やちゃ」
絹代おばあちゃんの声は、どこか誇らしくも哀しみを含んでいる。
「求婚を断られて川に落ちた武士が、鎧ごと怨霊になったとある。川底の石と一緒に沈んだ鎧は、今でも夜な夜な水音を響かせるんや」
『あたし』はその言葉に薄く笑みを浮かべた。
「やっぱり、あいつね。…私が暇つぶし半分であしらったら、本気で拗ねた男」
藤次郎が首を傾げると、『あたし』はゆっくりと視線を川の方へ向けた。
「慶応三年、ひがし茶屋街の夏の終わり。あたしは『涼華』って名で座敷に出てた。あいつは下級武士くずれでね、いつも鎧の手入れを自慢してた。だけど肝心の懐具合は、鎧より薄かった」
絢子が思わず吹き出す。
「あー、いるいる、そういう見栄張り」
『あたし』は微笑んだまま続けた。
「ある晩、舞を見に来て、そのまま酔って『嫁に来い』って言い出したのよ。あたし、膝を抱えて『やだわ、あなた、鎧よりも錆びついてる』って返したの。おっとり笑ってね」
正玄が呆れたように鼻を鳴らす。
「…まあ、それは刺さるやろな」
「刺さったのはプライド。武士は鎧を着てても、心まで守れないのよ。で、その夜、奴は酒を煽って、にし茶屋街に行こうとして…川に落ちた」
『あたし』の声は淡々としていたが、その奥に一瞬だけ翳りが走った。
藤次郎は口を開きかけたが、たまが「ニャ」と短く鳴いて遮る。
まるで「それ以上は今じゃない」と告げているようだった。
『あたし』はすぐに笑顔に戻り、肩を竦める。
「まあ、今となっては、向こうもあたしを恨むのが生き甲斐みたいなもんでしょうね。…死んでるけど」
場に小さな笑いが広がったが、その笑いは長く続かなかった。障子の外で、風鈴が「チリリ…」と不意に鳴り、全員の視線がそちらに吸い寄せられた。
「藤次郎さん」
橋本会長が巻物を指差す。
「この町には、ほかにも似たような怪異譚が残っておる。“城址の夜太鼓”“香林坊の狐火”“尾山神社の門番幽霊”…どれも人を惹きつける話じゃ」
絢子がニヤリと笑う。
「兄さん、それ全部裏メニューに加えたらええんやない?」
藤次郎は少し考え込み、やがて口元に笑みを浮かべた。
「…そうだな。どうせなら“金沢怪異ナイトツアー”の目玉にしよう」
『あたし』は帯の端を整え、わざとらしく首を傾げる。
「じゃあ、次はどの怪異から口説き落とす? 狐か、門番か、それとも夜太鼓?」
正玄が苦笑しながらも口を挟んだ。
「順番を誤るなよ。あやつらも“プライド”があるんや」
外では、浅野川のせせらぎが一層はっきりと聞こえてきた。まるで新たな夜の幕開けを告げるかのように。藤次郎の胸には、恐怖と期待が入り混じった高鳴りが宿っていた。
次回予告
新たな怪異を探すため、藤次郎と『あたし』は香林坊へ。そこには噂以上に奇妙な“狐火”が──。次回「第12話:香林坊の狐火① ― 火影と影法師」をお楽しみに!




