第32話 3人目の獲物⑨
「えっ」
俺は制服のジャケットを脱いだ。
すると、ジャケットの脇の近くが切り裂かれ、ワイシャツの左腕の付け根あたりは鮮血に染まっていた。
小春が見た血液は、これが手首まで伝ったものらしかった。
(2番目の男に切られたのか。ジャケットのせいで気づかなかった)
俺は呼吸を整えた。
どうやら、鼓動のタイミングで血が吹き出したりはしていないようだ。
(静脈性の出血か)
で、あれば。出血量は多くはない。すぐにどうにかなるものではない。
今の出血量は……。
俺は献血で、血液を200mlを抜くのに10分ほどかかる。採血をされながら俺は、時間の経過とともに腕が怠くなることに気づいた。この感じは、開始1〜2分程の怠さだ。つまり、現時点での出血量は50ml以下だと思われる。
咲姉が言っていた。
「血? 成人男性なら1リットル失うと失神する。1.5リットルを超えると、……貴方は死ぬわね。出血性ショックの前兆は、顔面蒼白、虚脱、冷や汗、徐脈、呼吸の乱れ……」
(それらの前兆はない)
……まだ余裕はある。
「え。ヤダ。蒼空クンが死んじゃう!! 死んじゃうぅ」
しかし、珠凛は血染めのワイシャツにひどく狼狽した。大泣きしている。俺は右手で珠凛の頭をポンポンとすると笑いかけた。
「きっと、俺は大丈夫だから。だから、珠凛ももう消えたいとか言わないでな?」
「うん……、蒼空クンが助かるなら、ウチもう言わない」
珠凛は子供のような顔で目をこすりながら、頷いた。
こういうやり方はズルいのかな。
でも、珠凛に自己嫌悪で泣いてほしくない。
さて……。
いくら出血量が少ないといっても、このままの状態で試験終了までもつとも思えない。それに、血を止めないと、そもそも試験を受けさせてもらえないだろう。
(学校に行くにしても止血しないと)
さっきの咲姉との会話には続きがある。
……「え、じゃあ、ナイフで刺されたりしたらどうするの? 1.5リットルなんて、すぐに出そうなんだけど」
「病院にいきなさい」
「いや、だから。今してるのは、病院がなかったらの話だし」
「保健体育でも習ったでしょ? まず試みるべきは直接圧迫による止血。切創部にガーゼなんかを押し当てるのよ。なければ、生理用ナプキンでも代用できるの」
「それでも、止まらなければ?」
「間接圧迫。……でも、医師の私達ならともかく、ブタには動脈の位置なんて分かるわけないわね。どうしようもなければ……を使いなさい。でも、後からどうなっても知らないわよ」
……。
俺は珠凛と小春に聞いてみた。
「2人とも。生理用ナプキンはあるか?」
「ボク、あるけど」
小春がもっていた。
俺はそれを受け取り、傷に押し当てた。
切創部に数分押しあてたが、血がすぐに止まる気配はなかった。刻一刻と失格のタイムリミットが近づいてくる。
(仕方ない。アレを試すか)
ここは飲食店で、調味料や調理器具などもそのまま残されている。運が良ければ、例のものもあるかも知れない。
「2人とも、片栗粉を探してくれ」
2人は、バタバタと残置物を探し始めた。
咲姉言ってたっけ。
「これは、ペットに使うような血を止めるためだけの方法。感染症のリスクも高いし、予後も良くない。そもそも、人に使う方法ではないし、血も止まらないかも知れない。医療行為としては、絶対にオススメできない方法。でも、知識として教えておくわ」
……。
「これ!!」
珠凛が片栗粉を見つけてきてくれた。
期限内の未開封品だ。運が良い。
俺は傷口に片栗粉を塗り、その上からナプキンを当てた。そして、ハンカチで固定し圧迫する。
これですぐに止まるハズだ。
「……大丈夫そう?」
様子を見ていた小春が、心配そうに聞いてきた。
「あぁ。見た目よりは出血は少ないみたいだ。ところで、お前も拐われたこと、山口は知ってるのか?」
小春は首を横に振った。
「でも、状況はさっき連絡したよ。今更かもだけど……」
「ところで、どうして珠凛と一緒にいたんだ?」
「ボクのところに、東宮さんから連絡がきて。珠凛ちゃん蒼空クンのことで話したがってるから、指定の場所まで来るようにって」
小春は颯を知っていた。東宮や珠凛と顔見知りだったとしても、おかしくはない。
だが、東宮の名が出てきたのは意外だった。
東宮 彩葉。彼女は櫻狼ファイブではあるものの、この手の企みには無関心かと思っていたからだ。
現に、俺が珠凛にひっかけられた時も、彩葉はいなかった。個人的な恨みはなかったが、今回の珠凛の誘拐に関わっているとなれば話は別だ。
彩葉。
……次のターゲットはお前だ!!
「……蒼空キュン?」
小春が心配そうに覗いてきた。
「いや、何でもない」
手を離すと、出血は止まっていた。
とりあえずは、これでいい。
俺は店から出るとタクシーを止めた。
現場に小春を残して、学校に向かった。




