第30話 3人目の獲物⑦
男の怒声が響く。
「ほら。早くしろよ!!」
「イヤだ……蒼空クン、ごめんなさい……うう」
「お前が終わったら、次はそっちの女だからな」
珠凛が悲痛な声を出した。
「小春ちゃんはダメ。ウチが2人分するから……」
……。
「はぁはぁ」
俺はあと1ブロックのところまで来ていた。
走りながら、樹兄の言葉を思い出していた。
「蒼空。打ち込みあと1000回な?」
「こんなこと、意味あんの? あんなに攻略法とか勉強させられて、頭脳があれば十分だろ? 打ち込みなんてしてる暇あるなら、他の事をやりたいんだが」
樹兄はため息をついた。
「ブタは何も分かってないな。お前は預言者様か何かか? 偶発戦じゃ、頭なんて役にたたねーんだよ」
「意味がわからない」
それでは俺の今までの苦労が全否定ではないか。
「だからお前はブタなんだ。偶発戦での最強にして究極の解決法は、暴力だ。これほど理不尽な解決法はない。しかしだからこそ、相手を圧倒すれば、これ以上、有効な解決法はない」
それを言ったら本末転倒でしょ。
「日本は法治国家だぞ?」
「はぁ? お前は、夜の歌舞伎町を怖えと思わないのか? お前は人通りの少ない夜道に不安を感じることはないのか?」
「そりゃあ……あるけど」
「法治国家が幻想だってことを、お前自身が理解しているっていう証左じゃねーか。法が及ばない闇の中では、力が物を言うんだよ。逆を言えば、暴力で負ければ、他の実力は無意味になる」
そして、俺はその言葉の意味を、今更ながらに理解した気がした。
GPSが示す場所につくと、雑居ビルだった。
半地下らしき階段に鉄の扉。その前には、獄倫の制服を着た男が1人いる。
身長は185センチほどで、制服の上からでも胸板の厚さがわかる大男だ。
本当なら、じっくり様子を伺いたいところだが……。
「触れるだけじゃ足んねーんだよ。口に入れろよ。ほらっ」
「……うっ。イヤぁぁ」
イヤフォンからは、男と珠凛の生々しい会話が聞こえてくる。かなり切羽詰まっている様子だ。
悠長に構えている余裕はない。
俺は上半身を低くした。
そして、男に向かって全力で走った。
男は気づくなり構え、右拳を握り込んだ。
(あの直線的な動き……空手経験者か)
案の定、男は俺が懐に入る前に、正面に拳を突き出して来た。
上段の正拳突きだ。
(握り込んだ正拳突きは、威力こそ高いが避けやすい)
俺は身体を左に振ってかわす。
そして、相手の左脇腹に捻りを加えたパンチを入れる。
拳は軽く握り、インパクトの瞬間に握り込む。
右拳にメリッという衝撃が伝わって来た。
相手は何か声を出し、反射的に頭を下げた。
それに合わせて、両手で相手の頭を抱えた。
そして、そのまま左膝を入れる。
容赦なく。
殺す気で、振り切る。
すると、男は呻くこともなく、前に倒れた。
樹兄との組み手の通りだ。
門番の制圧。
それは拍子抜けするほど、簡単だった。
(追撃されると厄介だ)
俺は男の後頭部を踏みつけ、鉄のドアを開けた。
中は薄暗く、20畳程の広さだった。
コンクリートが打ちっぱなしの壁が、スポットライトで照らされている。潰れた飲食店のようだ。
男が3人。
それと珠凛。部屋の端には目隠しをされた女子。
リーダー格と思われる男は、正面奥で珠凛の前に下半身を晒し、握らせていた。
左右には、2人の男が道を塞ぐように立っている。
珠凛は、俺に気づくと一瞬、横目で安堵したような顔をしたが、その直後にビクッと手を引き、ゆっくりとこちらを向いた。
その目は虚で、珠凛は俺と視線を合わせなかった。
「蒼空クン。ウチを見ないで……」