第13話 2人目の獲物⑤
俺が通う私立櫻狼学園高校は、文武両道を旨とする。しかし、数年前に世間を騒がせたことがあった。それは、ラグビー部のドーピング事件。部員のほとんど全員がドーピングを使用しており、大問題になった。
それ以来、ウチの高校は薬物使用に敏感になっている……。
俺は理事長と面識があった。
陽葵の自殺未遂からつながる俺の不登校。証拠不十分で颯たちの処分は見送りとなったが、俺の父さんが噛みついた。父さんは公務員だが、それなりの肩書のある文科省の役人だ。かなり理事長にプレッシャーをかけたらしい。
それに加え、斉藤は1年の時は補欠だった。しかし、2年までに不自然な程に実力をあげたのだ。これは元甲子園球児を父親に持つ斉藤自身の並々ならぬ努力の結果だったのだが、その努力が仇となる。
つまり、ドーピング使用を疑われる素地はあったのだ。そこに、俺からの高野連への通報をチラつかせながらの学校への情報提供。
隠蔽体質のウチの学校であれば、まず、内部調査をするはずだ。だからこそ、そこに今回の強姦未遂。理事長の重い腰を動かすのに十分だろう。
……。
斉藤は鼻で笑った。
「へへっ。ドーピングなんてしてないし、検査しても出るわけがないだろ」
すぐに準備がされ、その場で簡易検査を行うことになった。尿に試薬を使うのだが……。
保健教諭が報告した。
「理事長、……陽性です」
理事長は頭を抱えた。
「え。なんで? おれドーピングなんてしてないのに……」
斉藤はその場に崩れ落ちた。
「エフェドリン」、気管支拡張の効能を持つ交感神経興奮剤だ。覚醒、興奮作用のためドーピング該当薬に指定されている。が、他方で、風邪薬や一部ののど飴にも使用されている。
そして、斉藤はルーティンとして、練習前にのど飴を舐めていた。今日も自主練の前に舐めたことだろう。当然俺は、斉藤の飴がエフェドリンを含むことを知っていた。
斉藤が落とした銀シートの錠剤はエフェドリンを含むドーピング剤だ。使用感を出すために、念を入れて一錠は空にしておいた。それで、誰ものど飴を疑わないだろう。精密検査を受けたところで、結果は変わらない。
全て予定通り。
斉藤は確実にこれで終わる。
斉藤はその場にうずくまって、子供のように泣きじゃくった。その様子をみても、俺は無感情だった。
高校一年の殆どの時間をかけて掴んだエースの座。うちの高校はそれなりに強豪だ。夏の地区予選を勝ち進んで甲子園にも行けたかも知れない。エースであれば、プロへの道も続いていたのかも知れない。だが、もうそれは絶たれた。俺が断ってやったのだ。
その後、斉藤は野球部を退部した。
そして、俺はいま、珠凛と理事長室にいる。
理事長は、俺と珠凛に高そうな紅茶を出してくれると、話し始めた。
「それでね、村瀬さん。この前のこと、穏便にはできないかな? 斉藤君に落ち度がある。それは、我々全員が深く理解している。ただ、ね? 斉藤くんはもう野球部も辞めたんだ。この上、逮捕や退学なんて、あまりに不憫じゃないかね。あまり追い詰めることは……わたしは彼の命のことが心配でね」
珠凛は不安そうに答えた。
「斉藤はもう野球もできないのに、これ以上騒いだらやり過ぎなのかな……それで、もし。死んじゃったりしたら、ウチ怖い」
これはガスライティングの手口だ。
理事長の話を聞きながら、俺は咲姉さんの講義を思い出していた。
「ガスライティングってのはね。誤情報を与えて、被害者に自分が間違っていたのでは? と思わせるやり方なの。精神的虐待の方法なのだけれど、うまく使えば、被害者と加害者を逆転させることができるわ」
現に今、珠凛は自分が悪いと思い始めている。
珠凛を萎縮させる姑息なやり方だ。
俺は会話に割って入った。
「あの、理事長。不同意性交罪は非親告罪です。つまり、その起訴、不起訴は司法に委ねられるべきであって、学校側には犯罪行為を穏便に済ませる裁量はありません。なにか勘違いしているのではないですか?」
「いや、それはそうなのだが」
学校としては、犯罪化も退学処分も勘弁してほしいというのが本音だろう。だが、俺の復讐は、斉藤の退部だけでは終わらない。斉藤の退学まで予定に入っているのだ。
……その邪魔はさせない。
「学校側が保身して動かないのであれば、録画した証拠を添えて、父から教育委員会に働きかけてもらいますが?」
理事長は立ち上がった。
頭のバーコードヘアが乱れている。
「い、いや。決して保身などのためでは……」
「珠凛は俺の意見に従うそうです。じゃ、うちらは戻りますんで。この話は終わりってことで」
(ま、これでなるようになるだろう)
廊下に出ると、斉藤と夏美が何か話していた。
次の瞬間、夏美は斉藤にビンタをすると、泣きながら立ち去った。
花鈴の話では、あの後、夏美の希望で珠凛の動画を見せたらしい。だから今、どんな会話がされていたのかは、容易に想像がつく。
斉藤とのすれ違いざまに、俺はつぶやいた。
「陽葵はあんなに酷いことをされた。斉藤、お前、幼馴染に愛想尽かされたのか? ざまぁねーな」
斉藤は言い返す元気もないらしい。
「夏美ちゃんだっけ? 良い胸してるよな。処女なんかね。いやあ、気になるわ。あの様子じゃ傷心すぎて楽勝で落とせそうだし、自分で確かめよーかな」
「あ?」
斉藤は不満そうな声を出したが、俺は続けた。
「あ、そういえばさ。お前のグローブ、死んだじいさんのなんだってな。お前のじいさん、元プロ野球選手なんだって? 孫が野球部クビとか面白すぎるだろ。もう使わねーんだし、そのグローブ捨てたら?」
斉藤は口を開いたが、ほとんど声が出ていない。
「いや、入団テストうけたりだって……あるだろ」
「は? アンチ・ドーピング機構にも報告するに決まってるだろ。お前の野球人生、もう終わってるんだよ。ジ・エンド」
今の斉藤に、俺を貶めた時のニヤケは全くない。しきりに手を擦り合わせ、はぁはぁと息を荒くしている。過呼吸気味だ。
樹兄が、人が絶望するのは目標の喪失だとか言ってたけれど、本当にその通りらしい。
(あと一押しすれば、ほんとに死んでくれそうだわ)
陽葵の顔が浮かんで、自分の中にドス黒い感情が渦巻いていくのを感じた。
……トドメをさしてしまうか。
コイツがどうなったって、俺には関係ないし、次の復讐にも悪影響はないだろう。
俺は立ち止まって、斉藤の方を向いた。
「斉藤、お前さ。自分がもっとヤバい爆弾抱えてることを忘れてねーか? 不同意性交……」