最終話
「キース様。お忙しいのに来ていただいてありがとうございます!」
「いえ。大丈夫です。今日はエーファの付き添いでしたので」
侯爵家の当主となったキース様は忙しそうだ。
ルーク兄様の側近の職は辞し、今は侯爵家の立て直しに専念をしている。
キース様の功績に免じて侯爵家自体は残されることとなったが、前当主の行った事が帳消しになるわけではない。
それでも、ルーク兄様やお父様は、キース様とエーファ様については不問とし、むしろ協力してくれたことに感謝を述べていた。
「ふふ。エーファ様はお妃教育がありますものね」
「はい。婚約が継続になったことに感謝をしていました。リリーベル様、あなたにも」
「わたしですか? わたしは何もしていませんよ。キース様やエーファ様の普段の誠実な振る舞いのおかげですよ」
そう笑いかけると、キース様は「あなたらしいですね」と微笑んでくれた。
「リリーベル様と出会わなければ、こうした結末にはなっていなかったように思います。きっと、我が家はルークと対立していたでしょうから」
胸がざわりとした。それは、小説で見た世界そのものだ。
どれもが絶妙な天秤に載っていたように思う。こうして平和な日々の中にいられるのは、本当に幸せな事だ。
わたしは神妙な顔で頷いた。腕の中のララがもふりと動いてくすぐったい。
その事に気が付いたのか、キース様はララをひょいとわたしの腕から取り上げる。
「いつまで甘えているのですか。リリーベル様はお忙しいのです」
「ンナーーーッ!」
ララは不服そうに鳴いたあと、キース様によって地面に下ろされると暫くこっちを見てからまたトテトテと歩き始めた。
そろそろベルネがおやつを持ってきてくれる時間だから、そこに向かうのだろう。
「ではキース様。こちらに来ていただけますか?」
「はい。温室でしたね」
ララの背中を一見送ってから、わたしはキース様と並んで歩き出す。
薬草園を抜けた先にある温室は、最近ようやく本格的に稼働し始めた場所だ。東部で得た知見をもとに、湿度や温度を細かく調整できるようになっている。
そう、あのセレーネ草を育てるために。
「セレーネ草の育成環境は、安定してきましたか?」
「はい。日中の管理は申し分ありません!」
キース様に答えながら温室の扉を開けると、しっとりとした空気と、青々とした香りが広がった。
「私に手伝ってほしいこととは何でしょうか?」
「それはですね……」
わたしは足を止め、薬草の列を見下ろす。
「ぜひ、闇魔法で夜の環境を作っていただきたくて!」
「夜を……?」
「はい。セレーネ草が最も薬効を発揮するのは夜なのですが、擬似的に夜の環境を作れたら、作業効率が上がるのではと思いまして」
キース様の貴重な闇魔法をそんなことに使ってもいいのかとも思うけれど、何事も試してみるのは大切だ。
「キース様の闇魔法は穏やかな夜みたいだから、きっとこの子たちの生育に良いと思うんです!」
言葉を選びながらそう告げると、隣にいたキース様が小さく息を漏らした。
「リリーベル様くらいです」
「え?」
「この闇魔法を、そんなふうに表現してくれる方は」
くすくすと、珍しく柔らかな笑みを浮かべている。
その様子に、わたしは一瞬きょとんとしてしまった。
「闇は排除すべきもの、制圧するものだと考える者がほとんどです。けれど、あなたは夜だと表現してくれるのですね。掃除の時も重宝してくださいますし」
どこか楽しそうにそう言われて、わたしは思わず視線を逸らした。
(そういえば……)
頭の片隅で、遠い記憶がよみがえる。
闇魔法を危険視するどころか、掃除のときに「ここもお願いできますか?」なんて気軽に頼んでしまったこともあった気がする。
埃や瘴気を吸い取ってもらって、すっかり便利な掃除機みたいに扱っていたような。
(あれは、さすがに雑だったかもしれない!?)
遠い目になりかけたわたしを見て、キース様はますます可笑しそうに肩を揺らした。
「本当に、不思議な方です。リリーベル様は」
「……褒めていますか?」
「ええ。いつも愛らしいと思っています。では早速闇魔法を使っていきますね」
キース様がゆっくりと指先を上げると、温室の空気が静かに変わった。
昼の輪郭が溶け、やわらかな夜が降りてくる。風の音もないのに、深い森の中に立っているような静けさが満ちていく。
(愛らしい? 愛らしいって言った?)
あまりにもさらりと言われたので、わたしの耳が勝手に聞き取った妄想なのかもしれない。
でもほら、確認できないよね!?
「……あ」
心の中で自問自答していたわたしは、思わず声を出してしまった。
セレーネ草の葉が、わずかに揺れた。
闇に反応するように、葉脈が淡く光を帯びはじめる。
「こうしていると……東部のことを思い出しますね」
こんな風に、二人でポルシェ家の夜の薬草園を眺めたことがあったなあ。静かな声でそう告げると、隣のキース様が小さく頷いたのが感覚で分かる。
「そうですね。あの頃は……あなたが倒れてしまわないか、そればかり考えていました」
「わたしだって、驚いたんですよ。キース様が一緒に来てくださるなんて。侯爵様は、かなり反対していたのに」
口にしてから、少しだけ昔の自分を思い出して、苦笑してしまう。
あの頃は、必死で前だけを見ていた。誰かに頼っていいなんて、考える余裕もなかったのに。
「ルークに言われていましたから」
「え?」
「欲しいものがあるならば、相応の覚悟を示せと」
その言葉が落ちた瞬間。
ぽわり、と一輪、はっきりとした光が灯った。
夜の中に星が生まれていくように、セレーネ草が花を咲かせていた。
淡い青白い光が闇を押し返し、その中に浮かび上がるキース様の表情が、ひどく真剣で、やさしかった。
また一輪、さらに一輪。
夜の中に、小さな光が増えていく。
「覚悟……ですか?」
「ええ」
キース様は、わたしから視線を逸らさなかった。
「リリーベル様がどんな選択をしても、そばにいる覚悟です。侯爵家の事情も、国の立場も……すべて手に入れて」
闇の中で、花の光が揺れる。
その一つひとつが、まるで言葉の続きを照らしているみたい。
光が増えるたび、温室の闇は優しさを帯びていく。
「リリーベル様。私は、あなたの隣に立ちたいと願っています。今も、これからも」
キース様は、静かに言葉を選ぶように息を吸った。
セレーネ草が、次々と花を開く。
やわらかな光に満ちたその場所で、キース様は小さく微笑んだ。
「どうか、私と結婚してくれませんか」
その言葉が落ちた瞬間、頭の中が真っ白になった。
温室に満ちていた柔らかな光も、セレーネ草の香りも、すべてが遠のいてしまったみたいで、ただ彼の声だけが耳に残っている。
驚きで息を吸い損ねた、そのときだった。
胸元のペンダントに、ふっと熱が灯る。控えめで、でも確かなぬくもり。
(もしかして)
そう思って、キース様の手を取った。
突然のことに、彼の肩がわずかに揺れる。
「キース様。手が、冷たいです」
ぽろりと零れてしまった言葉に、彼が息を詰めるのがわかる。
見上げると、先ほどまで落ち着いていたはずの表情が、はっきりと緊張に染まっていた。
平然として見えたけれど、実はずっとちがったのかもしれない。そう思うと胸がぎゅうと締め付けられて、わたしは指に力を込めた。
「……リリーベル様」
上から降ってきた声は、いつもより余裕がなくて、少し掠れている。
それが、どうしようもなく愛おしかった。
「わたし、本当は聞いていたんです」
握った手を離さないまま、わたしは言葉を選ぶ。
「キース様が、侯爵様に命じられていたこと。わたしと、仲良くするようにって」
キース様の目が見開かれる。
わたしは気持ちをありのままに伝えることに決めた。
「最初は、きっとわたしのお守りが任務みたいなものだったんですよね」
キース様が何か言おうとして、言葉を探すのが伝わってくる。
その気配を感じながら、わたしは続けた。
「疑ったことがなかったわけじゃありません。優しくしてくれるたびに、これも命令なのかなって考えたこともあります」
「リリーベル様、それは――」
「でも」
重ねるように、少し声を張る。
「それでもいいと思うくらいには、わたしもキース様のことを大好きになっていました!」
言い切った瞬間、胸の中に溜まっていたものが、すっとほどけた気がした。
元気すぎるくらいの声だったかもしれない。
でも、これが今の正直な気持ちだった。
「命令だったとしても、一緒に過ごした時間まで偽物だなんて思えません。助けてくれたことも、守ってくれたことも、全部、わたしにとっては本物です」
キース様は、しばらく言葉を失っていた。
やがて、ゆっくりと息を吐き、わたしの手を握り返してくる。
今度は、彼の手が少し温かくなっている。
「ありがとうございます」
低く、噛みしめるような声だった。
「最初は、否定できません。命じられていたのは事実です」
けれど、と続ける声は揺れていない。
「途中からは、命令など関係なく、あなたのそばにいたいと願っていました。あなたが見ている未来に、置いていかれたくなかった」
セレーネ草の光が、またひとつ増える。
闇の中で、その光に照らされた彼の表情は、ひどく真剣だった。
「だから……先ほどの言葉は、命令でも義務でもなく、ただの願いです」
キース様の言葉に、わたしは一度、深く息を吸う。もう、迷う理由はなかった。
「わたしも、キース様の隣に立ちたいです。守られるだけじゃなくて、一緒に歩きたい」
顔を上げると、彼の瞳がわずかに潤んでいるのが見えた。
その表情に、なぜか安心してしまう。
「ですから、こちらこそよろしくお願いします。キース様。わっ!」
刹那、キース様にぎゅうと抱き寄せられた。
温室は闇に包まれていて、セレーネ草の淡い灯りだけが足元を照らしている。外から見れば、きっと何も起きていないようにしか見えないだろう。そう思うと、わたしの心も少しだけ軽くなった。
「キース様、大好きです」
へらりと笑って、さっきよりも近くなったキース様にもう一度同じ言葉を口にする。
死なない理由を探し続けた三年間は、決して楽ではなかった。怖いことも、苦しいこともたくさんあった。でも今は、不思議なくらい満たされている。
泉に触れても、もう夢は見なくなった。
リリーベルのことを思ってお花を浮かべて、わたしなりに弔いをした。自己満足だとしても、わたしはまた前向きに生きて幸せになってやると決めたのだ。
ここからは、わたししか知らない物語が始まる。
「リリーベル様。お慕いしています」
キース様の手が、背中に回る。指先がわずかに震えているのが伝わってきて、胸がくすぐったくなった。
視線が合って、言葉が途切れる。互いに息を詰めるような、短い沈黙。
それから、静かに距離が縮まった。
触れるか触れないかのところで一瞬ためらって、けれど次の瞬間、キース様の唇がわたしの額に触れた。そこから頬へ、迷うように移って、最後にそっと唇に重なる。
確かめ合うだけの、優しい温度。それでも心臓の音がうるさすぎて、胸から爆発してしまいそうだ。
お互いの瞳の煌めきだけが確かに見える。また触れようとどちらともなく近づいたそのときだった。
「リリーベル様? お兄様もどこに行ったのでしょうか?」
温室の外から、聞き慣れた声が響いてきた。
「リリーとキースは確かにここにいるはずなんだけどね」
エーファ様とルーク兄様の声だ。
わたしたちは二人で顔を見合わせる。
「……お兄様たちが探しに来ているみたいですね」
「残念ながら、そのようです」
名残惜しく思いながら、わたしたちはそっと離れて温室を出ることにした。
そして、外に出た瞬間、ルーク兄様たちとばっちりと視線が合った。
「リリー、こんなところにいたのか」
ルーク兄様の視線が、わたしとキース様を交互に行き来する。
その目が、すっと細くなった。
「……ふむ。なるほど」
何かを察したらしい。
エーファ様も一瞬きょとんとしてから、ぱっと表情を明るくする。
「まあ! おふたりで手を繋いでいるだなんて! お兄様、もしかして上手く行きましたの!?」
「エーファ、そう囃し立てるものではないよ」
苦笑しながら、ルーク兄様はわたしの頭にぽんと手を置いた。
その表情は、どこか呆れつつも、安心しているように見える。
「キース。リリーが嬉しそうだから許すが、節度は守るんだよ? いいね? 順序というものがあるんだ。君はただでさえ今は少し微妙な立場で――」
ルーク兄様はキース様に向かってつらつらと言葉を重ねていく。
その様子もどこか楽しくて、わたしはまた笑顔になった。
「リリーベル様。いえ、お義姉様になりますのね」
「でも、ルーク兄様と結婚されたらエーファ様がわたしのお義姉様ですよ?」
そう答えると、エーファ様は目を丸くした。可愛らしいことだ。
「まあ、本当だわ」
「ふふ、今まで通りにしましょう」
こんなささやかな会話も、幸せで溢れている。遠くからは剣のぶつかる音が聞こえて、どこからか香ばしい焼き菓子の香りもしてきた。
もうすぐアデリナたちが用意してくれるおやつの時間だ。きっと、ローラント兄様も飛び入り参加することになるのだろう。
ルーク兄様に何かの心得を説かれているキース様の方を見ると、パチリと目が合った。
それだけで嬉しくて顔が綻んでしまう。
――これからも、みんなと楽しく過ごせますように。
ここから先は、支えてくれる人たちと共に紡ぐ、わたし自身の物語だ。
柔らかな風が庭園を渡り、薬草の葉が静かに揺れる。
その中で、わたしはまた一歩、前を向いた。
おわり
ここまでお読みいただきありがとうございました!!!!
ナレ死回避に奮闘するリリーベルの物語は、ここで大きな区切りがついたように思います。
最後までお付き合いいただき、本当にありがとうございました❀( ⸝⸝•ᴗ•⸝⸝ )❀
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