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06 生き延びたいんですが

 それから五日が経っても、わたしは未だに客室にいた。


「おはようございます、リリーベル様!」

「本日は少しだけしっかりめのお食事をご用意させていただきました」


 部屋に入ってきたのは、すっかり見慣れた深い青のお仕着せを身につけたベルネとロザリナだ。

 もう彼女たちを見ても、勝手に怯えるような気持ちになることはなくなった。


「わあ、美味しそう……!」


 膳の上に並べられたのは、ハーブの香りがふんわり漂う温かな野菜スープに、やわらかく煮た白身魚のソテー。そして、ふわふわのパンを薄くスライスし、ハチミツをほんのり染み込ませた一皿。


 どれもとても美味しくて、頬をおさえながらパクパクと食べ進める。

 リリーベルの胃腸はだいぶ弱っていたけれど、至れり尽くせりの生活のおかげで無事に回復してきた。


「最初の頃のパン粥が嘘みたい……」


 思わずこぼれた言葉に、ベルネが嬉しそうに笑い、ロザリナが微笑を添える。


「少しずつ召し上がれるものの幅が広がって、私たちも嬉しいです!」

「食後にハーブティーも用意しております」


 お粥だけの寂しい食事から、こんなに彩り豊かな朝食を迎えられるようになったなんて。

 丁寧な看護を受けながら回復できたことに、心から感謝の気持ちがわいてくる。


 わたしは二人に微笑みかけると、心からの声で言った。


「ベルネさん、ロザリナさん、ありがとうございます。どれも、とても美味しいです」


 すると、ベルネはぱあっと顔を輝かせ、ロザリナは嬉しそうにそっと胸に手を当てる。だが、ロザリナは申し訳なさそうにすっと前に出た。


「お言葉大変嬉しく思います、リリーベル殿下。私どものことはどうかベルネ、ロザリナと呼び捨てくださいませ」

「は、はい、気をつけます」

「敬語も使わずとも大丈夫でございます」

「そ、そうか、そうです……そうだよね……! 気をつける」


 リリーベルはお姫様だ。ここは身分差がある世界であることを忘れそうになっていた。いや、なのにどうしてリリーベルはあんなに冷遇されてたのかわからないんだけどね。


 わたしがそう伝えると、ロザリナたちは笑顔で頷いてくれた。

 そのやりとりだけで、胸の奥が少しあたたかくなる。


 それに、こころなしか痩せすぎていた身体がふっくらとして、頬が桃色になったような気がしている。

 髪もトゥルトゥルで、本来のリリーベルはこうだったのだなと感心したりもする。


(リリーベルって、すっごく美少女だったんだ……!?)


 記憶の中のリリーベルはいつも悲しそうにしていた。こんな風に、彼女も助けられていたらいいのだけれど。


──コンコンコン。


 そう思っていたら、唐突に扉がノックされた。

 侍女ふたりは顔を見合わせ、ロザリナがパタパタとそちらへと出向く。


「まあ……!」


 彼女の驚いた声が聞こえ、それから話し声がする。

 すぐに扉が開き、その来訪者が部屋に入ると、空気は一気に張り詰めた。


(……ルーク兄様だ!)


 鮮やかな金髪が見えて、わたしはさっと背筋を伸ばしてしまった。


「やあ、リリーベル。調子はどうだい?」


 目を細め、柔らかい声色のほがらかな挨拶。

 完ぺきな王子の所以たる落ち着いた振る舞いだ。


「……随分とよくなりました。ありがとうございます、ルーク兄様」


 わたしもそれに負けないように、にっこりとした笑顔を作った。できるだけ優雅で姫っぽく、できるだけ落ち着いて。


 ルーク兄様の目が一瞬見開かれたように思えたが、すぐにまた笑顔に戻った。


「……うん、調子はよさそうだね。見違えるようだ。薬湯も食事も問題なく摂れていると報告があっているよ」

「はい。このように手厚い世話をしていただいて、本当に助かりました」


 本当に、毎日がお姫様のような気分だった。というのは王女の立場でおかしいかもしれないけれど。

 少なくともリリーベルにとってはそうだ。

 ルーク兄様の表情が、少し固まる。


「……今まで、知らなくてすまなかった」


 その言葉がぼつりと部屋に落ちた。


(そうだよね。本当は、ずっとこうであるべきだったんじゃないかな)


 少なくとも少し前まで、みんなリリーベルが冷遇されていたことを気にしていなかったことは事実だもの。


 ロザリナとベルネは下がって頭を下げている。

 お兄様の目的がわからないけれど、わたしは意を決して真っ直ぐにお兄様を見た。


「あの、ルーク兄様。わたし、そろそろ離宮に戻りたいと思っているのですが」


 思い切ってそう切り出したわたしの言葉に、ルーク兄様は一瞬だけ動きを止めた。


「ああ、ごめんね。あそこはまだ準備ができていないんだ」


 静かに、だがはっきりとそう告げられる。


「……準備、ですか? もう五日は経ちますが……」


 思わず聞き返すと、ルーク兄様は冷静な表情のまま言葉を続けた。


「そうだよ。お前の部屋の環境を整えているところだ。今のままでは戻すわけにはいかないからね」


 つまり、今の離宮はわたしが住むに値しない環境だと判断されたということ?

 今までがひどかったと言えばそれまでだけれど……それにしても、ここまで気にかけられること自体が想定外だ。


「それは……どのくらいかかるのでしょうか?」

「すぐにとはいかない。しばらくはここにいなさい」

「……あの、エマはどうなりましたか……?」

「ああ、あの侍女は職務放棄を理由に城から出したよ。安心しなさい」


(えっ⁉)


 さらりと告げられた言葉に、わたしは戸惑う。そんなわたしを見て、お兄様は視線を一瞬だけロザリナたちに向けた。


「そうだな……。お前がこの侍女たちでは不服というのであれば、また新しい者を用意するが」

「い、いえ! おふたりにはとても良くしていただいています!」

「そうか、それは良かった。ではこのままここで過ごしなさい」


 侍女たちをチラリと見ると、ふたりは不安そうな顔でこちらを見ている。


(な、なんだろう。ここで意地になって離宮に帰ると言えば、彼女たちに悪い気がすごくする……!)


「……わかりました」

「うん、そうしてくれ」


 ルーク兄様の有無を言わさぬ表情に、わたしはしばらくここで過ごすことを決めた。

 もうこうなったら、ここで食事をしっかり摂って元気になろうと決めた。

 今のわたしには、考えなければならないことがたくさんある。


(小説の情報も整理したい。覚えているうちにメモも取りたいし)


 そう考えたところで、わたしはハッと閃いた。


「お兄様。ひとつお願いがあるのですがいいですか?」


 一度驚いた顔をしたあと、ルーク兄様は何事もなかったかのように笑顔になる。


「……何か、欲しいものがあるのかい?」

「はい、紙とペンをお願いいたします!」


 わたしのお願いに、ルーク兄様が僅かに眉を寄せる。


「まだ寝ていたほうがいいんじゃないか?」

「ロザリナとベルネのおかげで充分ゆっくり眠りましたし、文字を書くことくらいはやりたいのです」

「ふうむ……わかった、いいよ。でも無理はしないこと。いいね」

「はい! ありがとうございます!」


 うれしくて、心からお礼を言った。ついにやけてしまう。


(やったわ、これで色々と情報が整理できる!)


「ではね、リリーベル」

「はい。お兄様も無理はされませんよう」

「……! ああ、気をつけるよ」


 少し不思議そうな顔をしたお兄様を見送ってしばらくすると、静かになった部屋には紙とペンが届けられた。はやい。


「わあ、とってもきれい……!」


 見るからに上質な紙と、美しいガラスペン。

わたしはベッドの上でそれを受け取り、震える指でペンを握りしめる。

これで、覚えている情報を整理できる。


(まずは、死因の可能性から整理しなくっちゃ)


 ええと、小説の中でわたしが亡くなる詳細は不明。

 ただ、あの小説の中でたびたびキーワードのように語られる『感染症』の存在があった。もしそれがこの世界でも同じように広まってしまうとしたら、流行を防ぐ方法も探さなければ。


(もしかしたら、わたしもその感染症が原因で死ぬのかな……?)


 その感染症は、ヒロイン不遇の始まりだった。彼女の母親が感染症で命を落として、それがきっかけで父親が後妻と義娘を子爵家に呼び込み、ヒロインは虐げられてしまうのだ。


(そうだよ、あれだけ大きく取り上げられていたんだもの。リリーベルの死と関係があるかもしれない!)


 ペンを走らせながら、わたしは改めて誓う。


「……わたしは絶対にナレ死なんてしない。生き延びてみせるんだから」

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― 新着の感想 ―
いつも思うのですが虐待をした侍女がただ解雇になるだけで罪に問われることがないのが不思議に思うのですよね。
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