05 お風呂
「リリーベル殿下、お湯加減はいかがでしょうか?」
「はい、気持ちいいです……」
バラの香りがほのかに漂う湯に身を沈め、わたしはうっとりと頷いた。
客室に付属する浴室は広く、美しい白い大理石に囲まれている。
離宮の小さな浴室とは違い、まるで貴婦人のような扱いを受けているようだった。
(……こんなに、丁寧に扱われるなんて)
お湯が心地よく肌を包み、熱でこわばっていた体がほぐれていく。
優雅なひとときに浸るつもりだったけれど、ふと視線を落としたとき、侍女の手がピタリと止まるのが見えた。
(どうしたんだろう……?)
そう思っていると、眉を寄せたロザリナさんが、そっとわたしの腕を取る。
「リリーベル殿下、こちらは……」
「っ!」
彼女の視線の先にあったのは、うっすらとした紫色の痣。
かつて、繰り返し強くつねられた跡が、今でも微かに残っていた。
「これは……どうされたのですか?」
一瞬、呼吸が止まりそうになった。
そして、侍女の指がそっと肩に触れたとき、そこにもいくつかの古い痣が残っていることを思い出す。
――エマだ。
侍女長として仕えていたエマは、長年リリーベルの側にいた。
彼女の手は決して温かくはなかった。
服を着せる際、わざと強く袖を引いたり、つねったは日常茶飯事だった。
痛いと訴えても「手が滑りました、申し訳ありません」と笑って済まされた。
(リリーベルがどうせ誰かに訴えることなどできないって、知っていたんだ)
未だに痣が残っていることが、なんだかひどく情けない。みじめだ、とても。
「なんでも、ありません! 庭で転んでしまったのです」
わたしは顔に力を入れて、懸命に笑顔をつくった。そうしないと、崩れてしまいそうで。
「──失礼いたしました、リリーベル殿下。湯浴みの際、お肌に負担のないようにいたしますね」
ロザリナは戸惑いながらも、すぐに表情を取り繕った。
「ベルネ、あなたは髪をお願い」
「はい! お任せください。リリーベル様、まずは髪を梳きますので痛いときは教えてくださいね!」
「……はい、わかりました」
彼女たちはそれ以上、何も聞いてくることはなく、洗練された動きで湯浴みを進めてくれた。髪を引っ張られることもなく、ただただ気持ちがいい。
そのことに安堵すると同時に、どこか胸が締め付けられるような感覚を覚えた。
(……エマは、最初からわたしのことを嫌っていたわけじゃなかったはずなのに)
かつて、幼い頃のリリーベルには、もう少し優しく接してくれていた記憶がある。
だけど、離宮に閉じ込められ、誰からも顧みられない存在になるにつれ、彼女の態度も冷たくなった。
そして、いつの間にかそれが当たり前になってしまっていた。
「……」
わたしはそっと痣のある腕を撫でる。過去の痛みは、とうに消えたはずなのに。
どうして今になって、こんなにも痛むのだろう。
湯浴みが終わると、侍女たちの手によってふんわりとしたバスローブが肩に掛けられる。
その温もりに触れながら、わたしは静かに目を伏せた。戻ろう、あの場所に。
「……わたし、明日には離宮に戻ろうと思うのですが」
こんなに立派な部屋にいたら、かえって落ち着かない。そう思って言ったのだけれど。
ロザリナとベルネは「いけません!」と揃って声を上げた。
まるでわたしが一歩でも動いたら崩れてしまう硝子細工のような扱いで、寝台に押し戻されてしまった。
「ルーク兄様とおふたりのおかげで本当にもうすっかり元気なんです。お風呂も気持ちよかったですし。ですから――」
「まだ完全に体力がお戻りじゃないのに、何をおっしゃるんですか!」
「リリーベル様。熱は下がっておりますが、元々の栄養不足が解消されておりません」
目を潤ませるベルネたちを見て、思わず口をつぐむ。
どうやら倒れてしまったせいで、大げさに話が伝わってしまっているらしい。彼女たちはわたしを心配してくれているのだ。
「わ、わかりました……」
わたしは抵抗するのを諦め、ふかふかの枕に頭を沈めた。
やっぱりとても気持ちよくて、さっぱりしたわたしはそのまま眠りについてしまった。