24 わたしの居場所②
数日後。
医官から体調の安定を確認されてから、わたしはルーク兄様と共に、お父様のもとへ向かうことになった。
東部での対応について、正式な報告を行うためだ。
廊下を歩きながら、わたしは小さく肩を回す。
身体はもうすっかり軽い。頭も冴えているし、息苦しさもない。
「リリー、もう体調は大丈夫だね」
そう言いながらも、ルーク兄様は立ち止まった。
「……念のため、治癒魔法を重ね付けしておこう」
「えっ、さっきもしてくれましたよね?」
思わず苦笑すると、兄様は少しだけ眉を寄せる。
「過労で倒れたんだ。慎重すぎるくらいでいい」
有無を言わせない口調で、兄様はわたしの前に立つ。
淡い光が手に灯り、そのままわたしは温かな感覚に包まれる。
「これでよし」
言い終えても、兄様はじっとわたしの顔色を窺っている。
「目眩はないか?」
「はい、ありません」
「吐き気は?」
「大丈夫です。もうこのとおりピンピンしてます!」
「頭痛は――」
「ルーク兄様。本当にもう大丈夫ですので、希少なお力をわたしにこれ以上使わないでくださいませ」
「む……」
少しだけ笑ってそう言うと、ルーク兄様はようやく息を吐いた。それでもどこか不服そうだ。
ルークお兄様って、とっても心配性だったんだなあ。
にこにことしながら並んで歩き、王城の奥の限られた者しか立ち入ることを許されない区画に足を踏み入れた。
重厚な扉の前で、わたしは思わず背筋を伸ばす。
(……ここが、お父様の私室。来たことがないわ)
政治の場ではなく、国王個人の執務と休息のための場所だ。
ルーク兄様は落ち着いていて、その姿を見てわたしも真似をする。
「入れ」
短い声に促され、ルーク兄様と共に扉を開く。
中は驚くほど静かだった。
大きな書机と壁一面の書棚、簡素だが無駄のない調度。
そして、その奥で書類に目を落としていたお父様が、ゆっくりと顔を上げる。
前は、この視線が怖かった。
何を考えているのか分からず、拒絶されているようで。
けれど今は、不思議と足に力が入る。
東部で見たことを、しっかりと伝えなければならないと思うから。
「本日は、東部で起きた感染症についての報告をさせていただきます」
「……うむ」
「ではリリー、報告を」
ルーク兄様の静かな声に、わたしは一度、深く息を吸う。
「はい。東部ポルシェ子爵領にて発生した感染症について、ご報告いたします」
声は、自分でも驚くほど落ち着いていた。
「発症者は村の一角に隔離し、初期段階から投薬を実施しました。重症例はありましたが、致命的な段階に至った者は確認されておりません」
机の上に置かれた報告書に、お父様の視線が落ちる。
「ポルシェ子爵夫人および御令嬢のアデリナ様といった領主の全面的な協力があり、領民への説明と動線整理が迅速に行われました。混乱はありましたが、暴動や逃散は防がれています」
東部の光景が、ゆっくりと脳裏に蘇る。
回復を祈るように集まった人々の、不安に揺れる瞳だった。
怯えながらも、必死に前を向こうとしていた顔。助けを求める声を、わたしは確かに聞いていた。
だから今も、言葉は途切れない。
震えそうになる喉を抑え、わたしは報告を続けた。
東部で実際に起きていた感染の広がり方。初動が遅れた地域ほど被害が大きくなったこと。薬の効果と限界、そして隔離や衛生管理がもたらした変化について、一つひとつ説明していく。
(前世の記憶は、とても役に立ったなあ。入院生活、長かったもんね)
薬だけに頼るのではなく、人の動きを管理し、清潔を保ち、正しい知識を共有すること。その積み重ねが、多くの命を守ったのだと伝えた。
今回用いた治療薬についても、確かな効果が確認できた一方で、改良と研究が必要であることを正直に述べる。属人的な対応ではなく、国として体系化しなければ、次に同じ事態が起きたときに間に合わない。
だからこそ、感染症対策を一過性のものにせず、公衆衛生と医療研究を国の仕組みとして整えるべきだと、そう訴えた。
それは、東部で見た現実を無駄にしないための、わたしなりの答えだった。
「――現在は再発防止のため、衛生管理の指針を整え、薬草の常備と医療団の巡回を継続しています。以上です」
報告を終え、顔を上げる。
お父様は、相変わらず表情を変えない。
私室であっても、その距離は遠い。
一拍の沈黙。
その沈黙を破ったのは、ルーク兄様だった。
「父上」
静かで、しかし明確な声。
「今回の感染症対策は、リリーベルが研究していた新薬があってこそ成り立ちました」
兄様は淡々と事実を積み重ねる。
「離宮の薬草園で長期にわたって研究されていた薬です。発症初期に投与することで、重症化を大きく抑える効果が確認されています」
お父様の指先が、机の上でわずかに止まった。
「机上の空論ではなく、実地で成果を上げた。これは偶然ではありません」
その言葉に、胸の奥がきゅっと締まる。
「リリーベルは王女としてではなく、ひとりの研究者として結果を出しました」
兄様はそう締めくくり、一歩下がった。
私室に、静寂が戻る。
お父様はしばらく何も言わず、わたしを見つめている。
「……王女自らが動いたことについて、危険だったとは思わないか」
試すような問い。
わたしは、逸らさなかった。
「思います。ですが、それ以上に……行かなかった場合の結果を、わたしは知っていました」
泉のことや前世のことはきっと誰にも伝えられない。
けれど、胸の奥に刻まれた確信だけは、揺らがない。
父はしばらく沈黙し、それから短く告げた。
「報告は受け取った。下がりなさい」
それ以上の言葉はなかった。けれど、否定もされなかった。
謁見の間を出た瞬間、張りつめていたものが一気にほどける。
わたしは思わず、大きく息を吐いた。
(ああああ、終わった……!)
ルーク兄様が、隣で静かに笑う。
「よくやったよ、リリー。堂々としていた」
「ルーク兄様が一緒だったからです」
「それでも、だ」
そのまま、兄様の執務室へと向かうことになった。報告書の内容について、もう少し話があると言われたからだ。
けれど。
「……あれ?」
部屋に入って、わたしはきょろりと周囲を見渡した。
いつもなら、壁際で資料を整理しているはずの人影がない。
「キース様はいらっしゃらないのですか?」
問いかけると、ルーク兄様の表情がわずかに曇った。
「ああ。まだ聞いていなかったか」
一拍置いて、低い声で続ける。
「キースは謹慎中だ。リリーベルの意識が戻るまでは城にいたが、そこからは侯爵の意向で出仕していないよ」
「えええ!」
思わず、素の声が飛び出した。自分でも驚くほど大きな声だった。
言われてみれば、初日以降、キース様の姿を見ていない。気づいていなかったわけではないのに、深く考えないようにしていたのかもしれない。
「そんな……どうして……」
唇から零れた呟きに、ルーク兄様は肩をすくめる。
「ヴィンターハルター侯爵の判断だよ。東部行きを強行したことへの、いわば見せしめだ」
「でも……!」
「これは僕が科した罰じゃない。あくまで侯爵家の内輪の話だ」
兄様はきっぱりと言った。
それから、少しだけ言葉を選ぶように間を置く。
「まあ……そこも含めて、諸々の再考はなされるだろうね」
意味深な言い回しに、胸がざわりとする。
ルーク兄様はそれ以上詳しく語ろうとせず、静かに話を締めくくったのだった。




