15 泉の幻①
「驚きましたわ、あの翡翠色が危険だなんて」
離宮の小さなサロン。
差し込む午後の日差しが、白磁のティーセットに柔らかく反射している。
エーファ様はティーカップの縁にそっと唇を触れさせると、少しだけ眉を寄せた。
ルーク兄様たちと話をしてから二週間ほどが経つ。
南部産の翡翠染ドレス――その染料についての調査は急速に進められた。
(本当に、防ぐことができてよかった……)
結果は衝撃的だった。ひとつは、孔雀石由来の天然染料。これはルーク兄様が言っていたとおり毒性が確認されず、安全性にも問題はなかった。
だが、もうひとつ。
孔雀石ではない成分が混入された合成染料が存在していたのだ。
鮮やかで発色が良く、耐久性も高い。南部ミルデンブルク産の染料をかさ増しするために配合されたその優れた特徴の裏に、猛毒物質が潜んでいたのだ。
幸いにも、調査は迅速に行われ、妃殿下のドレスを含む対象製品はすべて回収された。職人たちにも治療が施され、重症者は出なかったらしい。
(間に合って……よかった)
そう心から思える結末だった。
「リリーベル様はあの色のドレス、お持ちでしたの?」
「いいえ、わたしは持っていませんでした」
そう答えると、力が入っていた彼女の眉から力が抜ける。
「エーファ様、わたしのことを心配してくださったのですね。ありがとうございます」
「当然ですわ。わたくしは、リリーベル様にもしものことがあったら……」
エーファの瞳には、不安と、深い優しさが宿っている。
胸がじんと温かくなったその直後、エーファ様は急にはっとした顔をした。
「な、なんでもありませんわ!」
目をそらしながら、熱い紅茶をぐいっと飲み干すエーファ。
耳までほんのり赤い。今日もとってもかわいい。最高です。
推しからの突然の供給ににこにことしていると、給仕をしているロザリナと目が合った。二人でアイコンタクトをする。ツンデレの良さはこっそり普及済みだもの。
「えへへ、嬉しいです。エーファ様も着用はなさらなかったのですか?」
「ええ。とても興味があったのですけれど、馴染みのところでは取り扱いをしていなくって」
「そうなのですね」
とても不思議だ。名門侯爵家のお抱えブティックともすれば、流行の最先端の品をすぐに手に入れそうなものだ。まるで、知っていたみたい。
(いや、決めつけるのは良くないよね、うん。顔がこわいだけでいい人かもしれないし)
ヴィンターハルター侯爵がマルグリット妃にドレスを贈ったのは、あの時点では当然のこととして特にお咎めはなかった。だとすれば、下手なことは言えないもの。
すっごくすっごくいやな感じはするけれど! キース様とエーファ様をこの世に誕生させてくれたことには感謝したいけど!
「そういえばエーファ様。薬膳のクッキー、好評のようですね!」
気持ちを切り替えて、わたしはあのクッキーの話をすることにした。
エーファ様と一緒にこっそりと始めた二人での事業は、なんとか軌道に乗ることができた。
「ええ。とても好評で、お店をひとつ大きくしようと思っていますの」
「そんなにですか!?」
「リリーベル様、ご存じありませんでしたの? このユリ印のクッキーは今王都中で流行っていますのよ? 職人の補充も間に合っていません。類似店舗も現れましたし、これから競合することになるかと思うと、負けていられませんわ!」
そう言いながら、エーファ様の瞳がぎらりと光った。
ばちばちと、火花が見える気がする。本来彼女はこういう前向きな負けず嫌いだったはずだ。
(やっぱり……エーフェ様も本当にだいすき……!)
この兄妹が不幸になるところなんて、絶対に見たくない。
わたしはまた気合いを入れ直す。
「だったら、負けないように新作を考えましょう!」
「もちろんですわ! 花の形や色味のものが婦人たちには好評でしたわ。それからやはり美容効果を謳うと伸びますわね」
「なるほど。カロリー控えめとかだと良さそうですね」
「かろりー?」
「あっ、油分控えめで太りにくいという感じです!?」
気が付くと机の上には紙とペンが広げられ、アイディアが次々と書き込まれていく。ロザリナが紅茶を注ぎ直してくれているのも気づかないほど、二人で夢中になっていた。
エーファ様は鋭い勘をお持ちなので、意見を聞くのはとても勉強になる。
「……わたくし、兄様の噂は信じていません」
新しいクッキー缶のアイディアがまとまりかけたとき、エーファ様はすっと背筋を伸ばし、きっぱりと言い切った。
その強い声音に、思わずわたしはまばたきをする。
「兄様が、隣国の王女と婚約? そんな話、わたくしは絶対に受け入れませんわ」
その表情は凛としていて、美しくて――だけど、ほんの少しだけ頬が膨れている。
「……エーファ様?」
問いかけると、彼女はふんっとそっぽを向きながら、声を荒げた。
「そもそも、あの王女! わたくし、嫌いですわ!」
「えっ」
「兄様にべたべた、べたべた、べたべたと! 見苦しいとは思いませんの!? 兄様はそういうの嫌いなのに!」
ぷんすかと怒る彼女の仕草が、あまりにも愛らしい。わたしは思わず頬がゆるむ。
「それに、あの隣国王がリリーベル様を見るあの目つき。あれも気に入りません」
エーファ様の目が鋭く細められる。
ぎゅっと握りしめられた両手が、小さく震えている。
怒ってくれているのに、わたしはなぜだかあたたかい気持ちになった。
目尻がにこにこと下がってしまうのを、もう隠せない。
そのとき。
「ニャー」
柔らかな鳴き声が足元から聞こえた。
わたしが見下ろすと、猫のララが尻尾をふわりと揺らして近づいてくる。
「ララ! 来てくれたんだね」
すっと抱き上げると、ララは喉を鳴らしてわたしの胸元に顔を擦りつける。
エーファ様も少しだけ表情を緩めた。それから窓の外へ視線を向ける。そこには、風に揺れる薬草園が広がっている。
「……やっぱり、リリーベル様の薬草園って、不思議な魔力を感じますわ」
エーファ様の瞳が、どこか神妙に細められた。
ぽつりと落とされたその一言に、わたしは瞬きをした。
「魔力ですか?」
「ええ。なんだかとても穏やかで、落ち着いた気持ちになります。薬草も外のものよりもずっと色も形も美しく大きいですわ」
確かに、この薬草園ではどんな薬草もすくすくと育つ。そのおかげで、こうして珍しい薬草も繁茂させることができている。
特別なことといえば、水やりが水魔法なところ。あとは、あの泉があるところ。
(あの、未来を見ることができる泉の力なのかな)
夢に見るリリーベルは、少しずつやつれているような気がする。でも病の予兆はどこにもなくて。リリーベルが翡翠のドレスを贈られた様子もなかった。
「そうなのですね。水やり魔法のおかげかもしれません!」
「水やり魔法……」
「魔法って便利ですよね。キース様の闇魔法もお掃除上手ですし」
そう話していたら、エーファ様がふっと微笑んでくれた。
「……ほんとうに、リリーベル様くらいですわ。兄様を掃除道具のように言うのは。ふふふ」
猫ちゃんはララちゃんに改名しています(再度のお知らせ)




