13 翡翠色のドレス③
キース様に手を取られたまま、わたしは図書室へと歩いていた。
王城の廊下はいつも静かだというのに、今日は妙に視線を感じる。
(みんな、ばっちり見ている……!)
使用人も騎士も、すれ違うたびにちらちらと振り返る。中には口元を押さえてひそひそ話している女性までいる。たぶん、完全に噂の視線だ。
(どうしたんだろう、キース様)
さっきも様子がおかしかった。
そわそわと挙動不審になっているわたしの隣で、当のキース様は、周囲の視線などまるで無視している。
どこまでも堂々としている背中に引きずられて歩き、気づけば図書室の前にたどり着いていた。
中に入ると、ざわりと空気が変わったことを感じた。視線の主は仕事中の文官や、用事があって利用している貴族など様々だ。
なんとなくいたたまれない気持ちでいると、すっと、影が降りてきた。
「……リリーベル殿下は、なぜそんなに急いで図書室に行こうと?」
そっと囁かれて驚きつつ、そういえば説明していなかったことを思い出す。
とはいえ、この話題を誰かに聞かれたりしたら大変だ。
「キース様、ちょっとこちらに耳を貸してください」
わたしは慌ててキース様の袖を引き、ぐっと近くに来てもらう。
キース様はわずかに首を傾げたものの、素直に身を屈めてくれた。
「……今流行している、南部産のドレスの染料について調べたいのです」
その言葉に、キース様の表情がわずかに動いた。
「ミルグランド産の孔雀石についてでしょうか」
声を抑えた低音。わたしは小さくうなずいた。
「はい。先ほどドレスを纏ったマルグリット妃のお姿を拝見して……顔色がすぐれないように見えました」
キース様はわずかに目を細め、周囲へ視線を払った。誰に聞かれてはいないか、確認しているのだろう。
「妃殿下の体調不良と、染料に因果があるとお考えですか?」
「断定はできません。けれど……染料として用いられているものに、毒性の強いものが混合している可能性がないかと思って」
言いながら、胸の奥がざわついた。
前世の知識が、薄い膜の向こうから呼び覚まされるように蘇る。
(――死のドレス)
パリスグリーンと呼ばれる鮮やかな翡翠色。
けれど、その美しさの裏にはヒ素という猛毒が潜む。前世で読んだ推理小説で、緑色の壁紙やドレスが人々を蝕むという話があったのだ。
実際に、そのドレスを身につけていた女性たちや織物職人たちも命を落としたのだと聞いたことがある。
毒性を知らずに使われ、長い時間をかけて命を奪っていくのだとか。
現代では規制されているが、この世界ではどうだろう。
パリスグリーンは合成染料だったけれど、もしそれと同じものが偶然この世界で生まれていたとしたら。
(もしかしたら、マルグリット妃やわたしの死因も、それなのかもしれない)
まさか着用しているドレスが死の原因だなんて、誰が思うだろう。
寒気が背筋を走る。急がなければいけない。
唇をきゅっと結び、わたしはキース様の瞳をまっすぐに見返した。
「……あなたのお父様がマルグリット妃に送ったそうなのですが、詳細はご存知ではありませんか」
自分でも驚くほど凛とした声が出た。
キース様はわたしの言葉の意味をすぐに飲み込んだのだろう。表情が静かに引き締まる。
「父が関わっている可能性があると」
「疑っているわけではありません。ただ、事実を確かめたいだけなのです」
即座に否定するわたしに、キース様は少し目を見開く。
その視線は、試すようでもあり、見極めるようでもあり。
そして、ゆっくりと頷いた。
「承知しました。真実を確かめることは、私の責務でもあります」
「キース様……」
「ちょうど、ルーク殿下にその染料についての報告書を上げたところです。職人たちについての数字は裏取りをしていなかったので、急ぎ確認をします」
「職人の……数字ですか?」
「ええ。新しい染色法の導入後、染工房の追跡調査をしていたのです。生産量増加に対して、人員の入れ替わりが多いと感じていました」
そこまで言って、キース様は言葉を切る。
その沈黙が、逆にすべてを物語る。
「体調不良者が増えている、ということでしょうか」
「可能性はあります。ですが、証拠がなければ徒に民に不安を与えるだけです」
静かに、けれど確かな危機感を含んだ声。
キース様の視線は一点を射抜くように鋭い。
(実際にドレスや染料を押収できたらいいのでしょうけど……)
どうしたらいいのか、わからない。
わたしが言葉を探していると、キース様は迷いなく歩き出した。
「ではルーク殿下の執務室へ向かいます」
「ルーク兄様の……?」
「はい。南部関連の輸送記録や王室関連の贈答品についての目録も、すべて殿下のもとへ集約されています。職人の移動記録についてはすぐに照会しましょう」
すらすらと言葉が出てくる。
さっきまで息を切らしていた人と同じとは思えない冷静さだ。
(さすが……お兄様の補佐をずっとされているお方だわ)
この国の事を、ひとつひとつ正確に把握している。闇魔法のせいで周囲に誤解されがちだけれど、この人は間違いなく国を支える柱のひとりだ。
小説のように、ルーク兄様とこの人が対立してしまう未来なんて見たくない。そう考えると、なぜだか泣きそうになってしまった。
「リリーベル殿下」
「はい?」
ふいに呼ばれて顔を向けると、キース様と視線がぶつかる。
その瞳は真っ直ぐで、迷いがない。
「まずはルーク殿下と情報を共有し、方向を定めましょう。あなたが疑ったのなら、確かめる価値があります」
「……はい」
その言葉に、胸が熱くなった。
当たり前のようにわたしを信じてくれる。そしてそれを、ルーク兄様も取り合ってくれると思ってくれている。わたしの、妄想かもしれないこんな話を。
「では、行きましょう」
キース様は歩みを再開する。自然と手を引かれたので、指摘するのも憚られてそのままだ。
図書室から執務区画へと続く廊下は、やけに短く感じた。




