12 翡翠色のドレス②
庭園を飛び出して、わたしは図書室へ向かって早足で渡り廊下を進んでいた。
ベルネと騎士さんが驚いていたから本当に申し訳ないけれど、これも急がなければならない気がした。
(早く調べなきゃ。あの緑色の染料について……何か絶対にあるはず)
染料が原因で、問題になったことが前世になかったかな。そう思うと胸が落ち着かない。
マルグリット妃は笑っていらしたけど、顔色はよくなかった。
「リリーベル殿下、あまり急ぐと危ないですよ」
「ええ」
ベルネの忠告を聴きながら急ぎ足で横切ったとき、敷石の間の段差に靴先が引っかかってしまった。
「あっ!」
視界が傾き、倒れ込むはずだった。
「お気をつけください、リリーベル殿下!」
屈強な腕が素早く支え、わたしの身体は宙で止まった。
騎士の鎧越しでも分かるほど、しっかりと抱きとめられていた。
「す、すみません……。ありがとうございます!」
「いえ。殿下にお怪我がなくて良かったです」
騎士さんは真面目な面持ちでそう言いながら、わたしをしっかりと立たせてくれた。いい人だ。
なんてことだ。慌てすぎてつまずいてしまうなんて。注意された側からこんなことになるなんて、羞恥で顔が熱くなる。
「……リリーベル様」
その時、低い声が響いた。
振り返ると、肩で息をしているキース様が立っていた。額にはうっすら汗が浮かび、髪が乱れているような気がする。
どこか焦った顔のような気がしたけれど、そんなはずはないよね、と自分に言い聞かせた。ところが彼の視線は、わたしの手元に釘付けになっていた。
「……どうして、騎士がリリーベル殿下に触れているのでしょうか」
「えっ」
低く抑えられた声。それなのに、刃のような鋭さが混じっている。
「え、あっ……あの、つまずいてしまって、転びそうなところを助けていただいたのです!」
わたしが必死に弁明していると、騎士さんも慌てて姿勢を正した。
「でっ、殿下の御身にお怪我があってはいけないと思い、咄嗟に手を差し伸べた次第であります!」
「では、もう離れてください」
静かに、冷たく。
キース様の言葉は淡々としているのに、騎士さんは凍りついたような顔で一歩下がった。
次の瞬間、空気がびり……と震えた。
キース様の足元から、黒い霧のような魔力が広がっていく。
(これは……闇魔法……)
恐怖を示すように、周囲の使用人たちがひっそりと距離を取る。
闇魔法は、この国では忌避されるもの。制御できない闇は災いをもたらすと信じられているからだ。
だからこそ、原作では悪役令息としての属性をここぞとばかりに付与されていたのだろう。
ベルネや騎士さんも怯えた表情をしている。
(どうして今、発動してしまったのでしょう?)
わたしは小さく首を傾げた。
キース様は疲れているのだろうか。最近ずっと忙しそうだったし、夜会であまり休めていなかったもの。婚約のことで忙しいのかも。
だから、のんびりと歩み寄って、そっとキース様の手を包んだ。
「キース様。お疲れなのではないですか? こうやって、手の指の間をマッサージすると疲れが取れるそうですよ」
屈託のない笑みを浮かべながら、指の間をぐにぐにとほぐす。
細長い指は女性的だと思っていたが、実際こうして触れてみるとやはりわたしの手よりも大きくて骨ばっている。
「……リリーベル殿下」
「はい!」
見上げたキース様の瞳は、さっきまでの鋭さを潜めて、驚いたような色をしていた。黒い魔力も、しゅるしゅると引っ込んでいく。
(よかった。落ち着いたみたい)
わたしは安心して、ぱあっと笑みを浮かべた。
「……その」
「はい?」
「……手を……その、やめていただけると……助かります」
息を整えたキース様が、わたしの手元をちらりと見る。
指先までほんのり赤く染まっている。わたしの顔も熱くなった。
かわいい……、ってそんなこと考えている場合じゃない。
わたしも遅れて状況を理解し、急いでパッと手を放した。
「ゴ、ゴメンナサイ!!」
反射で謝った声が裏返る。
今さらになって、手を握っていた距離の近さが恥ずかしい。顔がじんじん熱い。
ちらりと周囲を見ると、さっきまで震えていた騎士さんとベルネが揃ってガッツポーズをしていた。
「そ、そういえば……キース様、急いでいらっしゃったのでは?」
わたしは慌てて話題を変える。
「はい。リリーベル様を探していました」
「……はい?」
距離はさっきから近いままだ。
呼吸が触れそうなくらい。
「……私ですか?」
「そうです」
即答だ。忙しいからしばらくの間授業は無くなったはずだ。もうわたしと仲良くする必要もないはずなのに、どうしてなのだろう。
わたしはぱちぱちと瞬きをする。
「何かご用でしょうか。あっ、研究の進捗などでしょうか。でしたらぜひお聞かせいただけると」
「違います」
また即座に遮られた。キース様はわたしを真正面から見据えている。
真剣だ。いつもの冷静な瞳ではなく、何かを決意するような、強い光を宿した視線。
(えっ……なに?)
わたしは思わず背筋を伸ばした。その距離の近さに、胸の鼓動が少し跳ねる。
「リリーベル様に、お会いしたかったからです」
言われた本人のわたしが、一番理解できない。
思考が真っ白になって、まばたきの仕方さえ忘れてしまったのだった。




