09 原作のヒロイン①
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──母を二年前の流行病で亡くした子爵令嬢アデリナは、父の後妻と義妹により虐げられていた。意地悪な二人に何もかも取り上げられながら、それでも前を向いて懸命に生きている。
「まあ、どこの御令嬢かしら」
「仮装パーティーと勘違いしていないかしら」
「平民ではないの?」
煌びやかな仮面舞踏会の会場。
無数のシャンデリアが眩しいほど輝き、磨かれた大理石の床に光が乱反射していた。そこで踊り、笑い、囁き合う令嬢たちは、宝石のように華やかだ。
けれど――その中心には、アデリナではなく義妹のエリスがいた。
淡い薔薇のつぼみを思わせる特注のドレス。胸元に輝く大粒の宝石が、彼女の笑顔をさらに際立たせる。
一方アデリナのドレスは、母の形見だったもの。だが義母に無理やり手を加えられ、継ぎ接ぎだらけになってしまっている。靴も、くたびれたまま。髪飾りは借り物。どう見ても、この場にふさわしい装いではない。
「エリス様、その方は……ご友人ですの?」
「いいえ。遠縁の子なのですけれど、どうしてもこの仮面舞踏会に出たいと言ったので……」
エリスは鼻で笑い、わざと聞こえる声で囁いた。周囲がくすくすと笑い声を漏らす。
胸の奥がきゅっと痛む。母が死んで新しい家族だと言う人たちが迎え入れられてきてからずっと、耐えて耐えて、耐えてきた。
(どうして、こんなことになってしまったの)
笑われる度に、アデリナの足元がぐらりと揺らぐ。
視界が滲んで、それを悟られぬよう、必死に俯いた。
(ここにいたくない……!)
シャンデリアの光さえ、嘲りの視線に見えた。息が苦しい。何もかも失っていくような感覚に、涙が込み上げる。
次の瞬間、アデリナは駆け出していた。
「ちょっと、どこへ行くの!」
エリスが呼び止める声が、背中に冷たく突き刺さる。
けれど足は止めない。
胸が張り裂けそうな思いだけが、彼女を暗い庭園へと導いていく。
(ここなら、誰もいないでしょう)
夜風が、肌を刺すほど冷たい。そのせいか、周囲にはまるで人影もない。
ドレスの裾を握りしめ、アデリナは暗がりへ走り続けた。
(ここなら……誰にも見られない)
夜風が、肌を刺すほど冷たい。
あまりの心細さに、自分の鼓動すら遠く感じた。
「っ……!」
転びそうになった瞬間、腕を強く引かれた。
勢いで、粗末なドレスがビリ、と音を立てて裂ける。
「大丈夫か」
低い声が聞こえた。視線を上げればそこには美しい金髪の殿方と、その傍にもう一人の人物がいた。そちらはさらに長身で、騎士のような出立をしている。
二人とも仮面をつけていて、顔まではわからない。
「す、すみません……前を見ていなくて……!」
アデリナは慌てて頭を下げる。どう考えても、この盛装の人物が自分よりも身分が高いことはわかる。それに、随分奥まった庭園に来てしまった。
「ドレスが破れてしまったね」
金髪の殿方が裂けた裾に視線を落とし、静かに眉を寄せる。
赤髪の騎士も気まずそうに喉を鳴らした。
「とりあえず、寒いだろ。城へ来い」
「え……?」
「そうだな。そこの馬鹿力が破いてしまったのだろう」
「なんだって?」
「帰る口実ができたから幸いだ。キースにはあとで説明しよう」
拒む隙もないほど自然に、二人はアデリナを夜の城へと連れて行った。
実はこの二人は第一王子ルークと第二王子ローラントだった。王女の死により落ち込む二人の王子は、友人のキース・ティム・ヴィンターハルター侯爵子息の誘いで仮面舞踏会に顔を出していたのだ。
そこからアデリナは、事情を知った王子たちに哀れまれて城に住み込みで働くこととなる。
王妃の座を狙う悪役令嬢エーファ・ヴィンターハルターとその兄キースに妨害されながらも、アデリナは持ち前の明るさで妹姫を亡くしてしまった二人の王子の心の傷を癒しながら溺愛されてゆく。
そして最後はアデリナをいじめた実家の子爵家と娘を王妃にするために悪事を企んでいたヴィンターハルター侯爵家は共に断罪されるのだった。
──それが、『虐げられ令嬢でしたが、二人の王子に溺愛されて困っています』というライトノベルのおおまかな流れだったはずだ。
王都のはずれにある孤児院で草むしりをしながら、わたしは目を瞑ってそのシーンを思い返す。
そのナレ死の王女がわたしなわけなのだけど。
「リリー! ほらほら座ってー! おやつのじかんだよ!」
雑草を抜いているわたしの腕を、ちいさな手がぐいぐいと引っ張る。
「はい、今行きます!」
伸びをしてから腰を上げると、子どもたちがわっと集まってきた。
木陰に敷かれた布の上には、手作りのおやつが並んでいる。
定期的に孤児院に薬を届けるようになって、わたしもすっかり馴染んでいる。
ロザリナと騎士様は少し離れたところで待機してくれている。
「今日はね、アデリナお姉ちゃんがつくってくれたんだよ!」
「おいしいクッキー!」
「リリーもはやく!」
子どもたちに背中を押されて腰を下ろすと、アデリナがそっと盆を差し出してくれる。小さなクッキーが山のように盛られていて、ほわりと甘い香りが漂った。
「張り切ってみました。お口に合うといいのですけれど」
胸の前で指を重ねながら、彼女は控えめに笑った。緊張しているのか、少し視線が揺れている。けれど、その表情はどこまでも優しく温かい。
「もちろん。ありがとうございます、アデリナさん」
微笑んで礼を告げると、アデリナはほっと息を吐いて顔を綻ばせた。その瞬間、子どもたちが一斉に目を輝かせてクッキーへと手を伸ばす。
「おいしいー!」
「アデリナお姉ちゃん、すごい!」
「毎日つくって!」
「ふふっ……それは難しいかもしれませんけれど。がんばりますね」
アデリナが照れくさそうに笑うと、周囲の空気まで甘くほどけていく気がした。リリーベルの胸にも、ゆるやかな温かさが灯る。
その笑顔は太陽のように明るい。
子どもたちも次々と頬張って、幸せそうな顔を見せてくれる。
ぽりぽり、ぽり、と軽い音が広がる。
「ねえリリー」
「なあに?」
「あの黒い人、さいきんいないねー」
視線を向けると、七歳くらいの女の子が首を傾げていた。
子どもが頬をふくらませたまま問いかけてきて、わたしは思わず手を止めた。
あの黒い人――キース様のことだ。黒いローブで薬を届けてくれたり、孤児院の修繕を手伝ってくれたりしていたから、子どもたちにも覚えられている。
「えっと……忙しいみたいで。他にもお仕事があるから」
できるだけ穏やかな声で返すと、子どもは「そっかあ」と納得したようにお腹をぽんと叩いた。
「じゃあ、またくるよね」
「……そうね。きっと」
一瞬だけ胸が詰まった。
隣国の王女殿下との婚約の噂は、王宮の中でも囁かれ続けている。そのせいか、以前からわたしに対して風当たりの強かった侍女たちのグループが勝ち誇ったような顔をしていた。本当に面倒だわ。
(……これが、原作の流れなのかな)
ぽり、と残りのクッキーをかじりながら、わたしは曖昧な笑みを浮かべた。けれど子どもたちはあまり気にした様子もなく、口いっぱいにクッキーを頬張っている。
「リリー、あそぼ!」
「おにごっこ、しよ!」
「今度は負けないんだから!」
「はいはい、順番にね」
手を叩いて呼び寄せると、子どもたちがきゃあっと声を上げて走り寄ってくる。
(大丈夫。考えすぎないで……今はこの子たちの笑顔がある)
子どもたちの笑い声を聞いていると癒される。走り回れるのは幸せなことだもの。
しばらく遊んだあと、子どもたちがお昼寝に入る時間になった。
ふくふくとした寝顔が並んでいる。
子どもたちの頬は、陽に当たってほんのり赤く、まるで熟したリンゴのよう。すやすやと寝息を立てているその様子を眺めていると、自然と笑みがこぼれた。
「リリーさん。少しお話をしてもいいですか?」
アデリナの控えめな声に振り向く。
わたしはこくんと頷き、音を立てないように静かに歩き出した。




