07 隣国の王族③
「まあ、殿下。とてもよくお似合いのドレスでいらっしゃいますわ」
「ありがとうございます。侍女たちが丁寧に仕上げてくれました」
ロザリナとベルネの技はすごかった。にこやかに答えた瞬間、他のご婦人の瞳がわたしのドレスに吸い寄せられる。
「あら、これは……ミルデンブルク産の絹ですわね? 今年の最新の織りですこと!」
びっくりして裾をそっと見下ろす。このドレスは、ルーク兄様が手配してくださったものだと聞いている。ミルデンブルクの絹織物は有名だ。いつの間にそんな最新の品を……⁉︎
驚いて視線を彷徨わせるわたしに、ご婦人方はさらに興味を向けてくる。
「ミルデンブルクといえば、織工たちの技が素晴らしいことで有名ですわね。細く強い糸を生み出す特許を持っていらして――」
「そうそう。最近は新しい染色技術を扱っているとか」
「若き領主様が研究を進めておられるのよね?」
「リリーベル殿下はご存知ですか?」
最後の問いに、わたしはぱっと明るく頷いた。
某有名通信教育の漫画のような『これはこの前やったやつ!』の気持ちだ。
「はい、少しだけ勉強したことがあります」
笑顔を添えて、丁寧に言葉を選びながら続ける。
「ミルデンブルクは山の水がとても澄んでいて、染め上がりの発色が綺麗になるのだと。それに、鉱石の粉末を糸に練り込む技術を確立されたと耳にしました。耐久性が上がり、色も鮮やかなのだとか」
「まあ。リリーベル殿下はよくご存知でいらっしゃいますね」
胸の奥がふわっと温かくなる。
どうやらちゃんと答えられていたようだ。
「ミルデンブルクにはまだ行ったことがないわ」
ひとりのご婦人がそう漏らしたため、わたしは言葉を付け加えた。
「南部では海運を活かした新しい交易が始まったと伺っています。塩や海産物の輸出が増えれば、輸送ルートの拡大にもつながると。近いうちに、王都にも品物が並び始めるかもしれません」
「まあまあ殿下、本当によくご存知で!」
「いえ、まだまだ学び始めたばかりで……でも、どこの領地でも国民のみなさまが誇りを持って働いておられると伺って、とても素敵だと思ったのです」
わたしがそう言うと、ご婦人方の表情が柔らかくほどけていく。
「聡明な方でよかったですわ」
「マルグリット妃殿下もお喜びになるでしょう!」
たくさんの視線が集まり、少しくすぐったい気持ちになる。
少し前まで、誰からも注目されることが怖かったはずなのに。今は、胸を張って笑えている自分がいた。
それからも会場には柔らかな賛辞が飛び交い、わたしはにこやかに受け答えを続ける。夜会ではよくあるやり取り――社交辞令から始まる軽やかな会話だ。
「リリーベル殿下は最近、薬草学を学んでおられるとか?」
「はい! 離宮の薬草園で育てたものが、一部で役に立てるようになりまして。まだまだ初歩ですが、とても楽しいです」
笑顔で答えると、周囲のご婦人方がぱっと華やいだ表情を浮かべる。
「そういえば、マルグリット妃殿下が最近、小麦を控えていらっしゃるのでしょう?」
「まあ、わたくしも興味がございますの。美容にも良いと伺って」
「お茶会で実際にいただきましたけれど、小麦と遜色がありませんでしたわ」
マルグリット妃の小麦アレルギーについて、対応できる食材についてはピックアップを済ませている。米粉に似たものや、豆の粉など、あれから色々なもので試している。
「そうですね。米粉や、ローヴァ豆から作った粉を使うと、身体に負担をかけずに栄養を摂れますし……お肌にも良い効果が期待できるんです」
「まあ!」
「ぜひ試してみたいわ!」
「レシピがありますので、のちほどお渡しいたしますわ」
「まあ、ありがとうございます!」
そんな約束を交わすと、ご婦人方は嬉しそうに何度も頷いてくれた。
(離宮で勉強してきたことが……こうして役に立てるなんて)
そう言われて、少し胸が温かくなる。がむしゃらに知識を蓄えてきたこの時間も、無駄ではなかった。そう思うだけで嬉しい。
ご婦人方が満足げに小さく会釈して離れていくと、わたしはようやく胸を撫で下ろした。
(……ふうっ。がんばった)
緊張で少しこわばっていた指先をそっと握りしめる。
「上出来だ、リリー」
不意に肩へ添えられた温かい手。ローラント兄様が、にやりと口角を上げていた。
「ローラント兄様……」
「母上の馴染みのご婦人方だ。きっとお前の味方になってくれる」
からかうでもなく、素直に褒めてくれる声が心に染みて、わたしは思わず微笑み返した。
——そのときだった。
背筋に、つうっと冷たいものが走る。視線を感じてローラント兄様の肩越しに、そっと視線を向ける。
人混みの向こう、暗い双眸がこちらを射抜いていた。
ヴォルフラム・フォン・エーデルラント王。
ゆっくりと近づいてくる足音は、まるで獣の歩みのように静かで、確実だった。
まさか、こっちに来るのかな。このお肉が目当てで……?
喉がひとりでに鳴り、息を飲む。
ローラント兄様がすぐに一歩前へ出て、さりげなくわたしを庇った。
「エーデルラント陛下。どうかされましたか」
王の視線は兄様を素通りし、まっすぐにわたしへ絡みつく。
「第一王女殿下は博識なのだな」
低く、獣の唸りのような声音。
命令でも賛辞でもない、ただ品定めをするような響きだった。
逃げ出したいほどの圧。
けれどわたしは、教えを思い出す。王女であるなら、恐れよりも礼節を先に。
息を整えて、スカートの裾をつまむ。
「身に余るお言葉を頂戴し、恐れ入ります。まだ学び始めたばかりですが、国のために役立てるよう精進したいと思っております」
喉が震えていたけれど、声は乱れなかった。
ヴォルフラム王の瞳が細くなる。
笑っているのか、怒っているのか判別がつかない。
残虐王として語られていることを知っている身からすると、緊張しすぎてどうにかなりそう。まさかここで殺されるということはないだろうけど。
重苦しい空気が、さらに濃くなっていく。
ヴォルフラム王は、じぃっとわたしを観察してから、低く息を吐いた。
「……ほう。聞いていた話とは随分違うではないか」
王はわたしから視線をずらし、ローラント兄様へと向ける。
「第二王子殿下ともずいぶん親しいようだな」
揶揄するでも、問いただすでもない。
だが、その声は底知れない圧を孕んでいた。
「妹ですので。当然のことです」
短く、強い言葉。兄様の背中が、獣から庇う盾のように大きく見えた。
でもヴォルフラム王は、楽しむように口角をわずかに吊り上げる。
「ふむ……そうか。そうだな! ははは」
突然、豪快に笑い出したヴォルフラム王。
その笑いは明るいはずなのに、空気はまったく和らがない。
むしろ、言い知れぬ不穏さが濃くなる。
王の視線が再びわたしへと突き刺さる。
「まあ、そう警戒せずともよい。いずれ――婚姻によって貴国とは縁をつなぎたいと思っているのだからね」
「……!」
心臓がきゅっと縮む音が聞こえた気がした。
突然の言葉に、周囲の空気すらざわめき始める。
脳裏に夢の中の光景が浮かぶ。
アーデルラントの王女と並ぶキース様の姿。
そこへ、きっちりと計ったようなタイミングで、アーデルハイド王女が甘く微笑みながら近づいてきた
「まあ、お父様。皆さまが驚いてしまいますわ」
アーデルハイド王女が軽やかな足取りで近づき、涼やかな声を響かせる。
彼女はそのままごく自然に、キース様の腕へと指を絡めた。まるでその位置こそが自分の定位置であると言わんばかりだ。
「国の繁栄のために、わたくしが務めを果たせるのであれば光栄ですもの」
ふわりと揺れる煌びやかなドレス。
王女の表情には、一片の曇りも見当たらない。
「ああ、そうだな。かわいらしい王女殿下、挨拶をしたいのだが」
わたしは姿勢を整え、王へ挨拶をしなければならないと心得る。
「ヴォルフラム陛下。グランチェスター王国第一王女、リリーベルと申します。ようこそ我が国にお越しくださいました」
丁寧に会釈し、差し出した手を――王が取った。
「これほど愛らしい王女殿下にお会いできたのは嬉しいことだ」
ヴォルフラム王はそのまま、わたしの指先へ唇を触れさせる。
その一瞬だけでも、背筋に冷たさが走った。
さらに王の手が、爪先から手のひらへと、ゆっくりと滑る。
(ひえええええ!?)
びっくりして、わたしは反射的に手を引いてしまった。
それでも王は、にこやかにわたしの方を見ている。ものすごく鳥肌が立ってしまったけど、二の腕の部分は外に出ている。バレてないかしら……!
「リリーベル様」
そう思っていると、なぜだかキース様がすぐそばまで駆け寄ってきていた。
声は抑えているのに、切迫した響きが含まれている。
「お顔色が優れません。少しお休みになったほうがよいのではないでしょうか」
「え……?」
自分でも驚くほど、思考が追いつかない。
「身体が弱いところがあるんだ。仕方ないよな、リリー!」
ローラント兄様がすかさず言葉を重ねる。
その声には、絶対に逃がすという強い意志が宿っていた。
「悪い、キース。リリーを連れて行ってくれないか? 慣れない夜会で疲れたんだろうから!」
「はい、わかりました」
キース様がわたしの腕を支える。ローラント兄様が壁のようにヴォルフラム王とアーデルハイド王女の視界を遮っていた。
「リリーベル様、行きましょう」
「は、はい……!」
「キース様!?」
アーデルハイド王女の声が聞こえた気がしたが、気づけばわたしは会場の喧騒から遠ざかっていた。
そのことに安堵しつつも、右手にまとわりつく悪寒が消えない。めちゃくちゃに石鹸をつけて洗いたい気分だ。
(なんだったの、あの人)
夜会の華やぎが遠くかすんでいくなかで、胸の奥の不安は静かに膨らんでいった。




