06 隣国の王族②
ざわ、と空気が揺れた。
視線が一斉に大広間の入り口へ向く。
重厚な扉がゆっくりと開き、その奥から堂々たる一団が入場してきた。
久しく顔を合わせていないお父様――この国の国王が先頭に立ち、静かな権威をまとって歩く。その隣にはルーク兄様。王太子らしい冷静さを崩さず、客人を迎える態度を取っていた。
周囲の貴族たちも静かに頭を垂れている。
(ルーク兄様、なんだかお疲れみたい……)
完璧な笑顔はいつもどおりだけど、私はすっかりお兄様の寝不足を見分けられるようになっていた。このひと月、キース様も含めてお会いすることがなかったからか、少しだけ遠く感じる。
お父様とお兄様が近くに来て、わたしはそっと頭を下げた。お父様とは目は合わない。ルーク兄様は、そっと微笑んでくれた。
そして、扉が再び開く。
狼を思わせる気配を纏い、鋭い眼光を向けて歩む壮年の男性。あれが隣国エーデルラントの王、ヴォルフラム・フォン・エーデルラント。
その一歩ごとに、会場の空気がひりつき、息を潜める音すら聞こえてきそうだった。
そしてその隣に、絵画の中から抜け出したような少女が佇む。
銀の髪が波打ち、宝石のように澄んだ薄紫の瞳。
(確か、アーデルハイド様だったよね)
事前にいただいた資料にはそう書いてあった。わたしよりも二つ年上で、今年十九歳になったと記されていた。
その微笑みは清らかで、人形のように整っている。
とても可愛らしい人だ。そう思って眺めていると、その隣を見てハッとした。
……キース様だ。
黒髪に光がきらきらと反射していて、無表情の横顔が完璧すぎるほど整っている。
王女をエスコートするその立ち姿は、誰が見ても似合いすぎていた。
(そっか。隣国の王女様のエスコートがあったんだ)
胸の奥がチリリといたんだのには、気づかないふりをした。
お父様が歩み出て来客へ向き直ると、大広間の空気が一段と引き締まった。
「皆に紹介しよう。こちらは、我が友好国エーデルラントの王――ヴォルフラム・フォン・エーデルラント陛下。そして、その御息女であられるアーデルハイド王女殿下である」
国王陛下の朗々とした声が響き渡り、貴族たちは一斉に深く礼をとった。
二人は鷹揚に頷いて、それに応えている。
「グランチェスター王国の皆々に栄光あらんことを。我が国との友誼が、これより一層強固ならんことを願っている」
ヴォルフラム王は低く厳かな声で告げ、鋭い眼光で会場を一望した。
続いて、アーデルハイド王女が優雅に一歩進み出る。
「温かく迎えてくださり、心より感謝申し上げますわ。本日はどうぞよろしくお願いいたします」
鈴のような声が響き、会場にほのかな華やぎが広がった。
「それでは。夜会の始まりを祝し、杯を掲げよう」
国王陛下の宣言と共に、華やかな音楽が奏でられる。
緊張していた肩の力が、少しだけ抜けた。
(よかった……無事に、始まった)
ほっと息を吐いたそのとき――視線がふと絡む。
少し離れた場所にいたキース様が、こちらを見ていた。
無表情……のはずなのに、わたしにはその口元がほんの少し、やわらいだように見えた。
胸の奥が温かくなり、わたしも小さく笑顔を返す。
「みろ、リリー。あっちに肉のタワーがあるぞ」
「本当ですね。とてもおいしそうです。お肉はお兄様にピッタリ」
ローラント兄様はお肉を食べたそうにしていて、わたしはくすくすと笑ってそれに応えた。ちょっと顔が見られただけで、なんだか心が軽くなった。
ルークお兄様とお父様は、隣国王と話をしている。あそこに挨拶に行く勇気はさすがにない。どうせ無視をされているのだし、出席さえすれば構わないはず。
「ローラント兄様、あちらに……」
「あら、そちらにいらっしゃるのは第二王子殿下と第一王女殿下ね?」
ローラント兄様を誘おうとした声は、鈴の鳴るようなその声にかき消された。
アーデルハイド王女が、キース様の腕に手を回したままにっこりと笑んでいる。
「はい。グランチェスター王国第二王子のローラントと申します」
「第一王女リリーベルです」
兄妹で似たような挨拶をして顔をあげると、アーデルハイド殿下は妖精のような愛らしい笑顔を崩さないままさらにキース様に身体を寄せた。
「本日はこうして、ヴィンターハルター侯爵子息にエスコートしていただいておりますの。父が侯爵様と親しくしておりまして……とても頼もしい方ですわ」
「……そうですね」
わたしはできる限り穏やかな笑みを崩さずに返す。侯爵が隣国王と友人というのは初めて聞いたけれど、キース様の表情を見た限りでは本当のようだ。
こうしてエスコートをしていることが何よりの証拠だろう。
「昔お会いしたことがあるのですけれど、ますます素敵になられて! まあすいません、わたくしの私的なお話をしてしまいましたわね」
王女はわざとらしく睫毛を震わせて、キース様へ甘い視線を向けた。
(……ええと。何を見せられているのかしら……?)
キース様はその手を振り解かない。当たり前だ、この場で王女の手を振り解くほうがおかしい。それこそ大問題になってしまう。
わたしがそんなことを思う資格はないのに。
「そうでしたか。ではアーデルハイト殿下も我が国の夜会をお楽しみください!」
ローラント兄様が絶妙な声量で、にこやかに会話を切った。
「ほらリリー、いくぞ。肉が無くなる」
「は、はい!?」
「まずはあのタワーからにしような! いい肉は三段目だ!」
腕を取られ、完全に引きずられる形で連行される。最後に見えたのは、呆気に取られたアーデルハイド殿下の顔だ。
(……ありがとう、ローラント兄様)
こうして引っ張り出してくれる兄様の不器用な優しさが、とてもありがたかった。
キース様とアーデルハイト殿下が並び立つ姿を、確かにリリーベルも見ていた。そう、これは夢の話だ。
リリーベルは隅の方にいて、誰とも会話をしなかった。だからなぜアーデルハイト殿下がキース様にエスコートされていたのかは知らなかったままだ。
あの世界でも。リリーベルとキースが婚約することはなかったのだろう。だから原作ではアーデルハイト殿下と婚約していたんだ。
「ほら、リリー。難しい顔をしていないで食え」
ローラント兄様にお肉をずいと差し出され、わたしは勧められるまま口へ運んだ。
……おいしい。
ぱくりと噛んだ瞬間、凝縮された肉汁がじゅわりと舌に広がって、ハーブの香りがふわりと鼻をくすぐる。しっかり焼かれているのに硬くなく、ひと口サイズでとても食べやすい。
「これは……とても質の良いお肉ですね。鉄分も豊富で、体力回復にぴったりです。鍛錬のあとにこれが出たら最高なのではないでしょうか」
「たしかにな。だが予算オーバーだ」
ローラント兄様が豪快に笑う。
そこでいくつか栄養について話をしていたら、いつの間にか周囲に貴族の方々が集まってきていた。
「はじめてご挨拶いたします、リリーベル殿下」
「お美しく成長なされて……まるで妖精のようでございますね」
「ローラント殿下と仲がよろしいのですねえ」
次々と挨拶に来る。こんなことは前にはなかった。胸がいっぱいになりそうだけれど、深呼吸して落ち着かせる。
「みなさま本日はようこそお越しくださいました。王宮での夜会を、お楽しみくださいませ」
胸を張って丁寧に微笑んで答えると、皆が少し驚いたように目を丸くする。
おそらく、こうしてローラント兄様と声をかけてくれたということはマルグリット妃に近い人たちだ。
妃の信頼を損ねるわけにはいかない。そう思うと、不思議と足に力が入った。




