04 もうすぐ十七歳④
「さて、本題に入ろう」
ルーク兄様は背筋を正し、紅茶を一口含んでから、ゆっくりとカップを置いた。張り詰めた空気がふたたび室内を包む。
「来月、隣国エーデルラントの国王と第一王女が来訪する。国交記念の大規模な夜会が王宮で開かれることになった」
「夜会ですか?」
胸の奥が小さく跳ねた。
王宮での夜会は年に数度開かれるが、お兄様の夜会以来わたしが参加したことは一度もない。
十八歳になったら正式に出席することになっているらしいのだけれど。
「本来なら、リリーベルが出席する必要はない。だが、今回は例外だ。国王陛下が、ぜひお前にも出席してほしいと仰っている」
「わたしもですか……?」
お父様がそんなことを言うだろうか。わたしの気持ちが顔に出ていたのか、ルーク兄様は眉を寄せる。
「……隣国の王から要請があったらしい」
驚きに目を瞬くと、ルーク兄様は静かに頷いた。
「装いも整えられるよう手配する。心の準備をしておきなさい……リリー」
「わかりました」
また名前を呼ばれて、はっとする。けれど、すぐに別の感情が込み上げた。
(隣国……エーデルラント。なにかあったはず)
脳裏に、前の世界で読んだ小説の記憶がぼんやりと浮かび上がる。
残虐王と呼ばれる王。快楽主義者で女好き、情け容赦のない政治を行ったと描写されていた人物。
表向きは友好的だけれど、隙あらばと侵略を望む野心家だ。
そして――
(キース様は、小説世界ではその第一王女と婚約することになっていた……はず)
兄様たちがアデリナと出会う一年と少しあとの夜会で。確かに悪役令息キースは婚約者がいた。リリーベルの死後の世界で。
胸の奥がざわりと波立つ。落ち着かない感情が静かに積もっていく。
近づいてきている。運命が。
気づかぬうちに、指先にぐっと力がこもった。
ルーク兄様はそんなわたしの変化に気づいたように、穏やかに付け加える。
「当日は、ローラントと僕、そしてキースも共に出席する。心配はいらない。隣国王をできればリリーベルに近づけたくないんだが」
「そうですね。視界にも入れたくないところです」
「ああ。しかし、来賓に挨拶はしないといけないだろうからね……。キース、我々は自由に動けないかもしれないから頼むよ」
「心得ております」
ルーク兄様とキース様は真剣な顔をして話を進めている。
やはりこの世界でも、隣国の残虐王の評判は良くないみたいだ。
(リリーベルも、会ったのかしら……)
このイベントが、小説世界にも起こっていたことだとしたら、彼女はどうしただろう。
そんなふうに考えていたとき、ルーク兄様が軽く咳払いをした。
「――そこでだ、リリー」
顔を上げると、兄様は真剣な眼差しでこちらを見つめていた。
「以前からヴィンターハルター侯爵から打診があっていたのだが……この際、正式にキースとの婚約を結ぶのはどうだい?」
「……えっ」
思わず息が止まる。
隣を見ると、キース様もわずかに目を見開き、それから静かに視線が交差した。
「そうしたら、きっとキースも動きやすいだろう」
「……そう、ですね」
ルーク兄様は淡々と言っている。この婚約に何か意味があるのだろう。隣国の王の来訪に関わる何かが。
「すぐにとは言わないから、二人とも考えておきなさい」
「わ、わかりました」
キース様はそもそもずっと婚約者候補だと言われていた。
だからこそヴィンターハルター侯爵はわたしに近づくようにキース様に命じていたのだし。
(キース様たちの目的が婚約にあるのであれば、この婚約が達成されることで何か問題が生じたりしないのかな……?)
キース様もエーファ様も二人ともとてもいい人だと思う。
だけれど二人はいずれ断罪されてしまう運命だった。アデリナを害したという理由で、侯爵家は没落までしてしまう。本当に?
「……リリーベル様、無理に考えなくても大丈夫ですよ」
ウンウンと唸っていたせいで、キース様にそっと言われてしまった。
隣国のこと、婚約のこと、原作のこと、それからこの国とわたしに起こる運命のこと。
そして、キース様を信じたいと思ってしまう自分について。
(よし、決めた!)
一度大きく息を吸う。あの優しさが嘘でも、わたしは確かに救われていた。
「これまでと変わらない日々が送れるのであれば、わたしも前向きに進めてもらえたらと思います!」
「リリーベル様」
「キース様が良ければ、ですけど……」
「それは全く何の問題もありません。すぐに父と話をつけてきたいと思いますので、今から帰ってもいいでしょうか?」
キース様は本気で今すぐ席を立とうとしていた。
椅子の脚がきゅっと床を鳴らし、わたしは思わず目を丸くする。
「キース。落ち着くんだ」
ルーク兄様はふっと笑って、キース様の肩に手を置いた。
その声音は軽く、どこか呆れたようで、けれどとても温かい。
「侯爵とは父たちも交えて話をしようじゃないか」
「……失礼しました」
キース様はわずかに頬を赤くしながら腰を下ろし直した。
わたしも、胸の奥がふわりと温まっていくのを感じていた。
(……正式な、婚約者)
その言葉を思い出すたび、鼓動がまた少し速くなる。
そっとキース様を見ると、彼もこちらを見ていた。目が合った瞬間、きちんと微笑んでくれる。
その笑みは優しくて、どこか安心させてくれて――自然と、わたしの口元にも笑みがこぼれた。
「キースが義弟になるのも悪くないね」
ルーク兄様がそう言って、穏やかな空気が三人の間に静かに流れる。
さっきまでの重い緊張が嘘のようで、部屋にはほわほわとした温度だけが広がる。
数日後。わたしはその話し合いを終えたらしいルーク兄様から言伝を預かった。渡しにきた使いの者もどこか緊張した面持ちで、受け取るとすぐに立ち去ってしまった。
『二人の婚約は時期尚早であり、再度検討し直す必要がある』
国王のサインと共に、その一言が並べられていた。




