02 もうすぐ十七歳②
キース様と一緒に薬草園を見て回った後、執務に行く彼を離宮の出口まで見送った。仕事の合間にアデリナのお母さんのことを報告しに来てくれたらしい。
「リリーベル様、図書館へ向かわれるのですか?」
離宮に一旦戻って着替えを済ませると、手伝ってくれたベルネにそう尋ねられた。
「ええ。最近届いた薬学書が目録にあったので、確認しておきたくて」
「お供いたします!」
ベルネが元気に頷き、二人で図書館へと向かうことにした。今日は午後からマナーの勉強があるので、それまでに済ませないと。
完璧主義のルーク兄様らしく、手配してくれた教師たちは皆優秀だった。勉強は楽しいので、とても嬉しい。
(今日はどんな本を借りようかしら)
窓から入る光が長く伸び、床にやわらかな影を作っていた。歩くたびに衣の裾が揺れ、足音だけが石畳に淡く響く。
途中、廊下の角で声がした。
「……王女様よ」
「でも本当にそうかは分からないでしょ」
「殿下方も大変でしょうね、あんなニセモノの……」
(聞こえていますよ〜)
ひそひそと陰に潜む声。
わざと聞こえるように話しているのだと分かるけれど、わたしは立ち止まらない。
聞かれたくない言葉に耳を傾けている暇はない。
「あの人達……!」
「いいよ、ベルネ。時間の無駄だわ」
わたしは憤慨する侍女にそう声をかけて、笑顔で前を向いた。
以前は嫌がらせをされる度に胸の奥がひりついて、息が苦しくなるほどだった。
けれど、今は違う。
守りたい未来がある。ただそれだけで、余計な声は耳に入らなくなる。
――相変わらず、お父様と顔を合わせることはない。
相変わらず公式の行事に呼ばれることはないし、食事も一緒にとったことはない。
(きっと、わたしの存在そのものが、目障りなんだろうな)
母とわたしの髪の色は違う。
それだけの理由で、不貞を疑われた母は疑われたまま死んでいった。リリーベルを虐げていた侍女のエマがそう罵ってくれたおかげで、わたしはようやくリリーベルが置かれた立場を知ることが出来たのだ。
図書館に着いたわたしは慣れた手続きを済ませ、必要な書物を受け取ることにした。離宮に篭ってのんびりしたい気分だ。
「こちらお持ちします」
「ありがとう、ベルネ。こっちは自分で持つわ」
読みたい本を抱え、図書館をあとにする。
鍛錬を終えた騎士たちが帰ってくる時間帯らしい。渡り廊下に出ると、鎧がぶつかる硬い音と、笑い声が近づいてくる。
「あーーっ姫様だ!」
「リリーベル殿下、お疲れ様です!」
予想していなかった声に振り返ると、鍛錬着姿の騎士たちが整列し、眩しいほどの笑顔で頭を下げてきた。
「えっ、なんでしょう……?」
「先日はありがとうございました!」
「筋肉食、最高でした!!」
「きんにくしょく」
ええと、なんだろう。
思い当たるのは、ローラント兄様の意見を聞きながら作った、高タンパク料理の試作品だ。兄様が鍛錬場に差し入れたと言っていたけれど、まさかここまで好評だとは思っていなかった。
「おかげで持久力が段違いでした!」
「殿下の料理がなければ、今日の鍛錬で死んでました!」
「そんなにですか!?」
慌てて声を上げると、周囲がいっせいに笑い声に包まれる。
その明るさに釣られるように、わたしもつい頬がゆるんだ。
「おい、お前たち。妹を困らせるな」
低く響く声に振り返ると、渡り廊下の向こうから歩いてくる赤髪の姿が見えた。
ローラント兄様だ。鍛錬帰りらしく、汗を拭ったばかりの額が光っている。
「ローラント兄様」
声をかけると、兄様は当然のような顔でわたしの隣に並んだ。
その存在感だけで周囲の空気が変わる。
「まだ元気そうだな。もう少し延長しても良かったが……」
静かに、しかし容赦のない声音。
視線を向けられた騎士たちは、一瞬で背筋を伸ばし、ぴたりと敬礼した。
「滅相もございません!! 我ら、へとへとでございます!!!」
「もう指一本動かせません!! はい!!!」
「失礼致します!!!!」
嵐のような声とともに、騎士たちは蜘蛛の子を散らすように駆け去っていく。
あまりの速さに、思わず笑いがこみ上げた。
「ふふ……すごい勢いで走っていきましたね」
「まだ余力があったようだな。明日はもう少し負荷を増やそう」
腕を組んだ兄様は、誇らしげに鼻を鳴らした。
その横顔はいつもより少し柔らかく見える。
「リリー。お前は今から離宮に戻るのか?」
「えっ」
唐突に呼ばれて、心臓が跳ねた。耳の奥がじんと熱くなる。さっきまでの快活な兄様の声が、やさしく響いた気がする。
「兄様、今……リリーって……?」
「変か?」
「い、いえ! 全然変とかではなくて……その、びっくりして」
慌てるわたしを見て、ローラント兄様はにかっと笑った。
「家族は愛称で呼ぶこともあるらしい。あいつらから聞いた」
鍛錬場の騎士たちを顎で示す。
「あいつら」と言いながらも、どこか嬉しそうにしている兄様の顔が妙にかわいく感じてしまった。
「だから、これからはそう呼ぶ」
「…………はい。とても嬉しいです」
胸の奥がじんわり温かくなる。家族と認めてもらえたことがとても嬉しい。
たった一言で、こんなにも幸福な気持ちになるなんて。
ふとベルネを見ると、彼女もにこにこと微笑んでくれていた。
「よし、図書室の本は俺が持とう。筋肉は荷物運びにも有効だからな」
さらりとわたしの持っていた分厚い大辞典を片手で持ち上げると、軽々と脇に抱えた。
「君の分も貸してくれ」
「で、でも殿下に持たせるわけには……」
「問題ない。俺が許可する」
そして兄様は、ベルネからも少し強引に本を巻き上げていた。
「これはいい鍛錬になりそうだな」
「ふふ、さすがすぎます」
大きく笑うローラント兄様の横顔に、思わずつられて笑ってしまう。
「ローラント兄様。豆乳の調子はどうですか?」
離宮の門へ向かう途中、ふと思い出して問いかける。
少し前にこの世界で手軽に摂れるプロテインとして、ローヴェ豆で作った豆乳を鍛錬後に摂取することを提案した。
「ああ。あれはいいな!」
ローラント兄様は腕を組んで大きく頷いた。
「動物性の乳より胃に軽い。鍛錬後でもすっと入る。筋肉の回復にも向いていると感じた」
「ふふっ、兄様の感想は毎回、熱量がすごいです」
どこまでも筋肉目線な発言に、思わず笑ってしまう。
離宮に近づくと、いつの間にか近づいてきたララがくるりと尾を揺らし、わたしたちの足の間を器用にすり抜けていく。
「ララは自由だな」
「ほんとに。ローラント兄様にもすっかり懐きましたよね」
「当然だ。俺は筋肉があるからな」
「関係あるんでしょうか……?」
軽口を交わしながら、離宮の扉へと近づく。
まるで関わりのなかったローラント兄様ともこうして楽しく会話ができるようになったことが嬉しい。彼の母である第二妃のマルグリット様の体調もいいようだ。
(少しずつルーク兄様とも打ち解けている感じもするし、ひとまず順調なんじゃないかしら)
そう思いながら、ローラント兄様にお礼を言ってわたしは離宮へと戻った。原作では、第一王子と第二王子の仲はあまり良くなかった。お互いを誤解して、距離ができていたのだ。
最初の頃は遠く離れていた兄たちと、ゆっくり距離が縮まっていくのが嬉しい。
足元では、ララが小さく鳴いた。
「そろそろおやつの時間ね、ララ」
ララの青い瞳に灯る光が、今のわたしの気持ちそのもののように見えて、自然と笑みがこぼれた。
(こんな穏やかな日々が、明日も続くといいな)
*
翌日の朝、部屋の外から控えめなノックが聞こえた。
「リリーベル殿下。ルーク殿下がお呼びです」
侍女のロザリナの声に、のんびりと薬草の整理をしていたわたしは目を瞬いた。
ルーク兄様から呼び出されるなんて、どうしたんだろう。
(何かあったの……?)
何も思い当たる節はない。最近はルーク兄様は王太子としての執務が増え、かなり忙しくしているご様子だ。たまに差し入れをしたりしているけれど、その時は何も言われなかった。
「わかりました。すぐに伺います」
ララが心配そうに足元へ寄り添ってくる。
「大丈夫。行ってきます」
そのふわふわの頭をひと撫でして、私は急いでルーク兄様のところに向かうことにした。




