01 もうすぐ十七歳①
【書籍1巻発売】
第二部の連載を始めたいと思います。
色々な事の解決に向かうところを見届けていただけたらと思います!
朝の光が薬草園に降りそそぐ。
露をまとった若葉がきらりと光り、風が通るたびに葉擦れの音が柔らかく揺れた。
湿った土の香りと、ほのかな花の甘い匂いが胸の奥にゆっくり溶け込んでいく。
「今日もいい天気になりそう」
わたし――リリーベルは泉の前に立ち、水面へ手を差し出した。
意識を集中させると、水面がわずかに揺れ、丸い水の玉がひとつ浮かび上がった。
次いで、二つ、三つ。光を受けて透明な粒がきらきら弧を描き、薬草の列へと静かに流れる。
強すぎても、弱すぎてもいけない。
けれど、この感覚は少しずつ手に馴染んできた。
一年ほど続けたおかげで、水魔法も随分と上達したように思う。
「よし、水やり完了」
水の粒が細かな霧へほどけ、やさしい雨となって葉に触れた。とても便利な水魔法だ。
リリーベルの魔力はどうやら魔法使いになれるほど強力なものではなく、どちらかといえば魔力界隈では下のほうらしい。
(でも、魔法が使えるだけでとってもすごいよね)
どこででも水が出せるのって、結構便利だと思う。
そう思いながら手を下ろした瞬間、足元から小さな声が聞こえた。
「にゃあ」
「わっ……!」
集中が途切れ、水の玉がぱちんと弾けた。
冷たいしぶきが頬にかかり、思わず目を瞬く。
足元を見下ろすと、銀色の毛並みに細い縞模様を持つ子猫が、堂々と座っていた。
青い瞳が朝の光を受け、透き通るように輝いている。
「おはよう、ララ。濡れたりしていないかなあ?」
子猫は気にした様子もなく、裾に頭を押し付けてくる。
その仕草があまりに堂々としていて、苦笑してしまう。
しゃがんで撫でると、指に柔らかい毛並みが絡んだ。
喉の奥で小さく鳴るゴロゴロ。体の小ささに似合わず大きく響く。
青い瞳が本当に綺麗だ。光の粒を閉じ込めた宝石みたい。
以前、木に登っていたところを助けたことがきっかけだったけれど、その後もララは何度もこの離宮に現れた。
今ではもうすっかり馴染んで、わたしもララという名前を付けてかわいがっている。
(実は一番ルーク兄様に懐いているのよね)
離宮に来ていたルーク兄様に、ララは一目散に擦り寄ったのだ。一緒に来ていたキース様のことは少しこわいようで、距離を置いていた。
あれからもその距離感は変わらないまま――いや、前よりはちょっとだけキース様にも懐いて来たような気がする!
そう思いながら撫でていると、背後から気配がした。
「おはようございます、リリーベル様」
静かな声に振り返ると、キース様が立っていた。
黒髪が朝の光に淡く揺れ、金の瞳が優しい光を宿している。
「おはようございます、キース様」
「薬草もたくさん育ちましたね」
キース様の視線が、私の薬草園に向けられた。
様々な種類の薬草が芽吹き、まるであの日初めて見た図鑑のようになっている。
(もうすぐ十七歳だもんね)
わたしがリリーベルに転生したことに気付いてから、一年半ほどが経った。
虐げられていたらしいリリーベルが置かれていた環境はとても悪く、きっと生死の境を彷徨っていた。
そこから必死で過ごしてきたから、あっという間だったように思える。
「はい! セレーネ草も無事に繁殖出来たみたいでよかったです」
二人で試行錯誤して、二株ほどしかなかったそれを、かなり増やすことができた。この半年は、ほとんど薬学に費やしたと言える。
セレーネ草は、かつて文献の片隅でしか語られなかった幻の薬草だ。常に桃色の小さな花を咲かせるが、本当の姿は夜にならなければ現れない。日が落ちると花弁が淡い青に染まり、まるで月光を閉じ込めたかのように静かに光を放つ。
湿度と土壌の成分、魔力の流れ、そのすべてが整わなければ発芽すらしないと言われ、長く失われた薬草と扱われてきた。
記録の中で、この花の抽出液が――原因不明の呼吸障害を起こす病の症状を緩和した、という一文があった。
もし本当に治療効果があるのなら、セレーネ草は命を救う鍵になる。そのために、少しずつ出来ることを進めている。
「リリーベル様。ポルシェ子爵夫人の経過は順調のようです。副作用も見られません」
報告の声に、胸の奥がじんと熱くなる。
わたしは思わず、握りしめていた手を緩めた。
「……! 本当に、良かった……」
キース様は頷き、淡々と続ける。
けれどその声音には、いつもより少しだけ温度が乗っていた。
「咳の発作が著しく減少したと医官が記録していました。以前は一日に二十回以上発作が起きていましたが、試薬の投与後は三回以下に抑えられているそうです。呼吸時の痛みも大幅に改善されたと」
「そうなんですね。とっても嬉しいです……!」
胸の奥が震える。
ヒロインであるアデリナのお母さん。小説の展開で言えば、きっと本来の今頃は病気が重篤化していたはずだ。
彼女が亡くなったことにより、子爵は後妻を招き、その事によってアデリナは虐げられる運命だったのだから。
キース様がいてくれたおかげでヴィンターハルター家の研究機関と協力してセレーネ草の抽出液に含まれる成分を徹底的に分析することが出来たのだ。
ひと粒の希望を形にするまでが、思っていた以上に長い道のりだった。
「試薬の完成から、ちょうど一か月です。まだ症例は限られていますが、今回の結果は大きな前進です」
「はい……ありがとうございます、キース様」
「違います」
彼は即座に首を振った。
真っ直ぐな金の瞳が、わたしを捕える。
「幻の薬草とされてきたものをこれほど増やせたという事実。それ自体が大きな成果です」
その言葉は、静かで、揺るぎなかった。
ララが足元で「にゃあ」と鳴いた。
その小さな声が、まるで祝福のように響いた。
運命は、変えられるかもしれない。あの日願った未来に、手が届くかもしれない。
「セレーネ草の薬効が証明できれば、多くの人の命が救える。記録に残れば、医学の歴史そのものが変わるでしょう」
「……はい。わたし、そのために頑張ります。絶対に、未来を変えてみせます」
自然と背筋が伸びる。
小説に描かれていた感染症が猛威を振るう未来。そのために出来ることをやると決めた。
(問題は、わたしがその感染症にかかったかどうかなんだけど……)
リリーベルはこの離宮から出ていない。東部に近づくことも、人が近づくこともなかったこの場所で感染するのも少し考えにくい。
「キース様。健康な人が突然十八歳で死んでしまうとしたら、どんな原因があると思いますか?」
二人でその花を見つめながら、わたしはキース様にふとそう尋ねた。
「……どうしたんですか、急に」
急にこちらを向いたキース様と至近距離で目が合う。美が近すぎてびっくりしてしまう。
「例えばほら、わたしが突然倒れたりとか、病状が急激に悪化する病気とか。あとは何がありますかねぇ」
全く思い当たる節はないが、あと一年あまりの寿命である。ゆるやかに進行する病気などの傾向は全く見られない。事故なのか、事件なのか。
「もしあなたが病気になっても、私が治します」
「えへへ、そうだったら嬉しいです!」
とても力強い申し出に、私はにっこりと笑顔になった。
朝の光がキース様の綺麗な黒髪を縁取って、まるで淡い金の輪郭を与えるようだった。
キース様の医学知識は、もう既に宮廷医を超えているとまで言われている。元々ヴィンターハルター家は医薬に詳しく、研究機関だってある。
(――生きたい。わたしは、絶対にナレ死の向こう側に行くんだから!)
助けてくれる人がいて、守りたいものがあって、手を伸ばせる未来がある。
ララが足元をくるりと回り、尻尾を高く掲げて鳴いた。
「にゃあ!」
その声が合図のように、朝の空気が一層澄んでいく。泉の水面に映る空はどこまでも高く、どこまでも青い。
(絶対に、運命を変えてみせます)
強くそう誓って、わたしはもう一度、泉へ手をかざした。水やりが途中だった。
「元気に育ちますように」
そう願いながら水魔法を発動すると、光を受けて水が弧を描き、薬草園へ優しい雨を降らせる。
うすく架かった虹が、全ての希望のように見えた。
お読みいただきありがとうございます。
11/25に第一部に加筆修正したものが書籍となります。追加エピソードや番外編、さらには特典付きなども色々ありますのでぜひよろしくお願いします!




