30 あたたかな庭園③
勉強会が一段落した頃だった。
「──し、失礼しますわ!」
勢いよく扉が開き、華やかな黒髪を揺らして飛び込んできたのは、キース様の妹であるエーファ様だった。
リボンをあしらった薄いブルーのドレスは、今日の明るい陽射しによく映えている。
繊細なレースがふわりと広がり、黒髪と金色の瞳を引き立てる、まるで小さな妖精のような出で立ちだった。
突然の来訪にわたしは思わず目を瞬かせる。
隣にいたキース様も、机に手を置いたまま、わずかに眉を上げた。
「エーファ。どうした?」
キース様が落ち着いた声で問いかけると、エーファ様は、むっ……と頬を膨らませた。
「お兄様に、用があっただけですわ!」
「わざわざ執務室まで? 急ぎの用件ではなかったはずだが」
「べ、別に急ぎじゃありませんけどっ……いいじゃありませんの!」
エーファ様は、バサリとレースの裾を揺らしながら、キース様の机の前に胸を張って立った。
後ろ手に、小さなバスケットを持っているのが見える。バターの香りがするから、きっとキース様に差し入れのお菓子を持ってきたのだろう。
(……ふむふむ、わたしがいてはお邪魔だわ)
その場の空気を読んだわたしは、そっと立ち上がろうとした。
けれど、エーファ様の視線はぴたりとわたしを捉えていた。
「べ、別にっ……リリーベル様に用があったわけではありませんわよ!」
唐突に叫ぶエーファ様に、わたしはびっくりして目を丸くする。
「えっ?」
「この前の……っ、その……。あ、あの、わたくし、ルーク様のお誕生日会では倒れたりして、リリーベル様にご迷惑をおかけしましたけどっ……!」
エーファ様は耳まで真っ赤にして、目をそらしながら言葉を繋ぐ。
もう片方の手は、ドレスの裾をぎゅっと握りしめていた。
(そっか。もしかして)
ツンデレを遺憾なく発揮するエーファ様の言わんとすることがなんとなく分かってしまったわたしは、ふわりと笑った。胸の奥に、柔らかいあたたかさが満ちていく。
「エーファ様、もう体調は大丈夫ですか?」
「え、ええ! あの日はちょっとコルセットを締めすぎただけですもの!」
ぴんと背筋を伸ばし、エーファ様は顔を背けながら言い張る。
「まあ、コルセットを……」
わたしが目を丸くすると、エーファ様はさらにむくれてふんっと鼻を鳴らした。
「そうよ! 少しでも美しく見えるように努力しているんですもの! ……って、言いたいのはそんなことじゃありませんわ!」
ドレスの裾をぎゅっと握りしめ、エーファ様はきょろきょろとあたりを見回す。
その手には、いつのまにか小さなバスケットが握られていた。
(……え?)
不思議に思っていると、エーファ様は一度ぐっと目を閉じ、覚悟を決めたようにバスケットを差し出してきた。
「こちら! ……あ、あの日のお礼でございますわ!」
「わたしに?」
思わずぽかんとしてしまったわたしに、エーファ様はぷいっと顔を背けたまま続ける。
「べ、別に……感謝しているわけじゃありませんけど……! ただ、助けてもらった礼儀として、ですわ! いいですか、勘違いなさらないでくださいませ!」
わたしはそっとバスケットを受け取った。
中には、ほんのり甘い香りのする焼き菓子がきれいに並んでいる。
ちらりとキース様の方を見ると、彼も予想外だったのか驚いたような顔をしていた。その表情の変化は微々たるものだけで、毎日こうして顔をつきあわせているおかげでわたしも分かるようになってきた。
(……もしかして、手作りなのかな?)
侯爵家の料理人が作ったか、有名なパティスリーの品なのかと思ったけれど。
焼き菓子を包むどこか不器用なラッピングが、かえってエーファ様の一生懸命さを物語っているようで、胸があたたかくなる。
「エーファ様、ありがとうございます。とても、嬉しいです!」
わたしが心からのお礼を伝えると、エーファ様は一瞬だけわたしを見て、それからまた慌てて顔を背けた。
「か、勘違いしないでって言ったではありませんの! ……べ、別に、リリーベル様が好きとか、そういうわけでは……!」
ツンデレ全開のエーファ様に、わたしはくすっと笑ってしまう。
「わたしはエーファ様のことが前よりさらに好きになりました!」
「な……! なんて恥ずかしいことを仰いますの。お兄様、リリーベル様の教育が少しおかしいのではなくて⁉」
バスケットをぎゅっと抱きしめると、エーファ様はますます真っ赤になり、今度はキース様に矛先を向けた。
なんてツンデレなのだろう。ふふふ、かわいい。
「エーファ。殿下に対する言葉遣いがなっていない。お前こそ教育を受け直すべきだろう」
「お、お兄様……! も、申し訳ありません」
キース様はいつになく厳しい眼差しをエーファ様に向けていて、彼女をそれにたじろいでいる。しょげてしまった。
もしかしたら、気持ちが高ぶるとどうしてもこういう話し方になってしまうのかもしれない。うん、それだと確かにルークお兄様は怒ってしまわれるかも……。
小説の中では極悪非道の悪役令嬢として描かれていたエーファ様だけれど、実際に接してみたらとてもかわいい人だ。ツンデレという概念を知らなければ、ただただキツい性格に思えてしまうのかも知れないけれど。
「せっかくですし……よろしければ、三人で一緒に休憩しませんか?」
わたしの提案に、エーファ様は一瞬だけ戸惑ったように目をぱちぱちさせ、それから――ぷいっと横を向いてそっけなく答えた。
「まあ、殿下がどうしてもとおっしゃるなら。別に、いいですけれど!」
あくまでも素直じゃない態度に、思わず頬がゆるむ。
「……では、こちらに」
ため息をついたキース様も静かに頷き、私たちは執務室の隅の小さな応接スペースに移動した。
ふかふかの椅子に腰掛け、バスケットの中から焼き菓子を取り出す。
ほろほろと崩れるサブレのようなクッキーは、エーファ様の不器用ながらも一生懸命な思いがこもっているようで、どこかあたたかかった。
「わあ……とっても美味しいです」
わたしがにっこりと笑うと、エーファ様は「そんなことでいちいち喜ばないでくださいまし!」と真っ赤になりながらそっぽを向いた。
そんな愛らしいエーファ様を見ているうちに、ふと、胸の中にわき上がってきたものがあった。
(……この子も、きっと誰かのために一生懸命になれる子なんだ)
そう思ったとき、ぱっとひらめいた。
「あの、エーファ様!」
「な、なんですの」
わたしはバスケットをそっとテーブルに置き、身を乗り出した。
「ルーク兄様の元気を取り戻すために、わたしたちで作戦を立てませんか?」
「……作戦?」
目をぱちくりさせるエーファ様に、わたしは大きく頷いた。
「ええ! 名付けて――《ルーク兄様元気大作戦》です!」
「…………」
「ルーク兄様が執務でお疲れのようなので、なにか元気づけるような食事を考案できたらと思って、キース様にご相談していたところなんです。エーファ様はお菓子も作れますし、一緒にどうかと思いまして」
まくしたてるわたしの発言にきょとんとした顔をしていたエーファ様だったが、次第にその瞳に灯が宿りはじめた。
「……わ、わたくしも、役に立てるでしょうか? その、ルーク様の……」
はにかみながらそう問うエーファ様に、わたしはぱっと笑顔になる。
「もちろんです!」
「クッキーしか作れませんけれど」
「わたしもここでは何も作ったことはないですよ」
「ここでは……?」
「アッあの、離宮ではってことです!」
また危ない発言をしそうになったわたしは、慌ててごまかす。
先程まで最高にツンデレだったエーファ様は、『ルークお兄様』の名前が出た途端にしおらしくなった。もじもじとして非常にかわいらしい。
「ルーク様の、お役に立てるのでしたら……がんばります」
そうぽつりと呟いたエーファ様があまりにかわいく、そこから三人で、ルーク兄様のために何ができるか、資料を引っ張り出して考え始めることになった。
「この植物は、疲労回復に良い成分が含まれているそうですわ。クッキーに練り込むこともできるかと。試作してみますわね」
「わあ、すごいです」
「そ、それほどでもありませんけれど!」
医学書やハーブ、料理本を目の前にしたエーファ様はそれはそれは一生懸命で。ツンがデレるその姿を見るだけでわたしも勝手に元気いっぱいになりました!




