29 あたたかな庭園②
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「……なるほど。つまり、ルークの疲労回復に効果のある食事を考えたいということですか?」
キース様はわたしの話を聞いて、軽く顎に手を当てた。
いつもの冷静な表情だけれど、微かに眉を寄せて考え込んでいる。
「そうです。ルーク兄様は治癒魔法が使えますが、自分自身には使えません。となると、自然回復に頼るしかありませんよね? だったら、食事を工夫すれば、少しでも兄様の助けになると思うのですが」
「確かに、ルークは負担が大きい立場です。慢性的な疲労を抱えている可能性はある」
キース様は、本棚の一角へと歩き、何冊かの本を抜き取った。
「先日のアレルギーの件について調べる際、私の方でもいくつか食事療法について記載された書物を集めました。ここにリリーベル様が求めている情報が載っているかもしれません」
「ありがとうございます!」
わたしは本を受け取りながら、ちらりとキース様の横顔をうかがう。
こうして相談すると、彼はいつも的確なアドバイスをくれる。
キース様は、わたしが頼るたびにこうして手助けしてくれる。悪役令息とは一体何なのか。今すでに悪役なのか。わたしには分からない。
「さっそく調べてみますね」
わたしが本を広げようとすると、キース様は微かに目を細めて言った。
「手伝います」
「えっ……でも、お忙しいのではないですか?」
授業の傍ら、キース様は執務も進めている。それでも、わたしが書物を読んで疑問に思ったことにはいつも明快に答えてくれた、この前なんて、分厚い本の要点をまとめたレポートを差し出してくれた。
なんというか、ものすごく手厚いのだ。
「リリーベル様が思っているほど忙しくはないです。……それに、興味があります」
淡々とした声だったが、わたしは少し驚いた。
今までも勉強を手伝ってくれたけれど、今回はわたしから頼んだわけではなく、キース様から協力を申し出てくれたのだ。
(……せっかくだし、お願いしようかな)
優秀なキース様が一緒に調べてくれるなら、きっといい案が見つかるはずだ。
「では、お言葉に甘えます」
そうして、わたしたちは並んで本を開き、治癒や回復に役立つ食材や調理法について調べ始める。
机の上にはずらりと並べられた書物。どれも治癒や栄養学、薬草学に関する専門書ばかりだ。
「回復に良い食材、といっても色々ありますね」
キース様が、片手で書物のページをめくりながらぼそりと呟く。
「そうですね……果物なら柑橘類が疲労回復に良いと聞いたことがありますし、肉類なら鉄分が多いものが貧血予防になると」
わたしも書物を開きながら、前世の知識を思い出す。
やはりどうしても研究自体は前世の方が進んでいる。この書物にはないような効果について現代では知ることはできたけれど、今は自分の記憶だよりなのがちょっとだけ不安だ。
「それに、ハーブも良いですよね。鎮静効果のあるものや、消化を助けるもの……そうだ! ルーク兄様は紅茶を飲む習慣がありますか?」
「そうですね。執務中は決まった時間に休憩をとるようにしています」
「ではその時にハーブティーを出してもらうようにすれば、少しでもリラックスできるかもしれません」
わたしがそう提案すると、隣に控えていたキース様が小さく頷いた。
「なるほど……ハーブには、そのような効能があるのですね」
「はい! ああでも、同じハーブティーばかりを飲むのも内臓に負担になるかもしれませんので、いくつかをローテーションで出していくといいかも」
そう言いながら、わたしは開いていた薬草学の本をパラパラとめくり、ハーブの種類を書き留めていった。
頭の中では、具体的な献立のイメージも膨らんでいる。
(お茶として飲むのもいいけど……ハーブって、料理にも使えるんだよね)
皮目をぱりっと焼いたチキンの香草焼き――
前世で大好きだったあの料理。
ローズマリーやタイムをふんだんに使って、こんがり焼き上げたあの香ばしい香りを、今でもはっきりと思い出せる。わたしは勢いづいて、さらさらとメモ帳に簡単なレシピまで書き始めた。
「……リリーベル様?」
キース様が、珍しく戸惑ったような声を出す。
「はいっ?」
「いえ、その……非常に具体的な知識をお持ちなのだなと。料理をしたことがあるのですか?」
思わず顔を上げると、キース様は心底感心したような顔で、わたしのメモ帳をのぞき込んでいた。
「ハーブの使い方だけでなく、調理法まで詳しいとは……私は料理をしないので、薬として摂取したことしかありません」
「あ、えへへ……? 好きなんです、食べるの」
その瞬間、空気がぴたりと止まった。
(……あっ)
言った瞬間に気付く。絶対に、今の、誤魔化せてない。
離宮にひとりで引きこもっていた第一王女が、食べ物に詳しいはずがないよね⁉
ましてや、栄養素がどうこうなんて、どこで知ったんだと思われるに決まっている。
「わたし、お腹が空いたら……ほら、あの、草とか! 庭の木の実とか、そういうので……生き延びてたみたいな、そんな感じでっ」
なんとかその場しのぎで慌てて言葉を紡ぐと、もっと怪しい感じになった。
「木の実や草……」
案の定、キース様の表情が余計に曇る。だが、続く言葉は想定外のものだった。
「……申し訳ありません。私がもっと早くにリリーベル様の窮状をルークにお伝えできていたら、食事状況も早く改善できていたはずです」
問い詰められるかと思っていたら、なぜだか頭を下げられてしまった。
なんだろう、なんか思っていた展開と違う気がする。
もしかしたら、あまりに冷遇された食事を取らされていたから、美味しい調理法を調べて飢えを凌いだみたいになっているのかな⁉
「ち、違うんです、キース様!」
「何がですか?」
じっと見つめられて、わたしはあたふたと手を振った。
必死に言い訳をしたいのに、いい案が思いつかない。キース様は目を伏せ、さらに深刻な顔になっっているというのに。
「王女に、野草を摘ませるなど……あってはならないことです」
「ちがうんです! 本当に、そんなつもりじゃ……!」
オロオロするわたしを見て、キース様はふっと小さく微笑んだ。
「……ご安心ください、リリーベル様。もう二度と、そのようなことはさせません」
「えっ、あっ、はい……?」
なんだかよくわからないけど、すごい覚悟を決められてしまった。
わたしが戸惑っていると、キース様はいつもの無表情でこちらを見ている。
「ルーク殿下の体調については、私も改めて聞き取りをしておきます」
「えっ……でも、お忙しいのではないですか……?」
そう言うと、キース様はすっと目を細めた。
「リリーベル様がこれほど気にされているのです。ならば、私もできる限りのことをするべきでしょう」
そんな真っ直ぐな目で見られると、なんだか申し訳なくなってしまう。
わたしは小さく頷いた。
「では、食事の案については明日以降にまた練っていきましょう。授業の方も進めたいのですが、いいですか?」
「はい、お願いします」
さらりとそう言って、キース様は手元の本を整え、次の教材を選び始めた。
わたしも急いで、今開いていたハーブのページを閉じる。
(よし、気持ちを切り替えないと!)
そう思っていると、キース様が何冊か積み上げた本の中から、一冊を選び出した。
それは、これまでの薬草学や栄養学とは違う、どこか厳めしい雰囲気を持つ厚い本だった。
表紙には、銀糸で精緻な文字が刺繍されている。
《各国の疫病と公衆衛生管理》
その表題を見て、わたしは目を見開く。
あまりの衝撃に、声が出そうになるのを慌てて押しとどめる。
なぜ、キース様がこんな本を……?
戸惑っているわたしに、キース様は落ち着いた口調で告げた。
「リリーベル様が、本当にお調べになりたいのはこちらでしょう?」
「……っ」
ぐっと言葉が詰まる。どうしてわかったんだろう。
薬草や医学の本を読んでも、知りたいことにはまだ足りなかった。わたしが知りたいのは、感染症についてのこと。
(──キース様には、分かっていたんだ)
それでいて、詳細を聞いてこないのはどうしてなのだろう。
嬉しいような、恥ずかしいような、どうしていいかわからない気持ちでいっぱいになる。
「……はい。勉強したいです」
か細い声でそう答えると、キース様はほんのわずか、満足そうに微笑んだ。
「では、ゆっくり進めましょう。焦る必要はありません」
「……はい!」
わたしは、少しだけ力強く頷いた。
急ぐ必要はないと言うけれど、まだなにも見つけられていない。ナレ死する自分のことだけが、どうしても何もわからないのだ。
この世界で、生き延びるためにどうしたらいいのか。
それにわたしは、周りの人たちの運命も良い方向に変えたいと思っている。




