28 あたたかな庭園①
あの夜会から五日ほどが過ぎた。
朝の陽ざしが窓から差し込み、王宮の廊下を照らしている。
夜会の日に倒れてしまったエーファ様だったけれど、あのあと侯爵家で十分に療養し、翌日にはもうすっかり元気になったらしい。キース様がすぐに教えてくれて、本当によかった。
(今日もいい天気! 薬草たちも元気だったし、嬉しいな)
離宮でのことも思い出して、勉強会に向かう足取りもついつい軽くなる。
庭園にある小さな薬草園──最初は荒れ放題だったあの場所は、今ではすっかり見違えるようになった。
日々、ベルネとロザリナに助けてもらいながら、地道に土を整え、苗を植え、水をやる。
そんな繰り返しが、少しずつ、でも確実に実を結んでいる。
(この前なんて、立派になったとキース様も褒めてくださったもの)
ふふっと、小さく笑みがこぼれる。
嬉しいことに、最近は水魔法の扱いもだいぶ上達してきた。
泉での練習の成果だろうか。以前は水を出すだけで精一杯だったけれど、今ではふわりと柔らかな霧のように水を散らしたり、狙った場所にそっと水滴を落としたりできるようになった。
そのおかげで水やりも、すっかり簡単になった。
細やかに量を調整できるから、乾きやすい苗にも、湿気を嫌う薬草にもぴったり合わせることができる。わたしの魔法はしっかりスプリンクラー化しているのだ!
(わたし、ちゃんと成長できてる)
そんな小さな自信が、胸の奥にぽっと灯る。
誰も期待していなかったかもしれないけれど。王宮の片隅でひっそりと暮らしてきたわたしにも、できることはあるんだ。
リリーベルがこれまで丁寧に育ててきた薬草たちを、わたしが枯らすわけにはいかないもの。
「リリーベル様、ご機嫌でございますね」
ついてきてくれているロザリナが、ふふふと上品に微笑む。
「うん! 離宮も薬草園もとてもきれいに整っているし、魔法も使えるようになってきたから嬉しくて」
「はい。私共もリリーベル様が楽しそうで嬉しゅうございます」
「ロザリナったら」
優しい侍女と笑顔を交わし、まっすぐ前を向いて歩き出す。
別の廊下と交差する場所で、目の前を人影が通り過ぎる。金色の髪が、柔らかく陽光を弾いていた。
わたしはハッとして立ち止まったまま、そっと息をひそめる。誰よりも堂々とした姿は、第一王子であるルーク兄様だった。
ルーク兄様は、わたしには気付かず、まっすぐに歩み去っていく。
姿勢こそ正しいものの、どこか重たげな足取り。そして何より、ほんの一瞬だけ見えた横顔には、疲労の色が滲んでいる。
これからわたしはキース様との授業。ということはお兄様は今から騎士団の所に鍛練に行く時間なのだろう。
(なんだかとっても疲れてみえたけれど……?)
それがわかるのは、前世でお見舞いに来てくれる両親の顔が日々陰っていくのを見ていたからだろうか。お父さんもお母さんも、私の前では笑顔だった。それでも、仕事のやりくりをして大きな病院に毎日通うのは大変だっただろう。
二人に会えるのは嬉しかったけれど、負担になっていることが悲しかった。そんなやるせない気持ちが去来して、心臓が掴まれたように痛くなる。
(……それに、あの病室の天井を見つめながら、もう長くないかもしれないと思ったときの、あの底冷えするような恐怖)
あの感覚は、今でも忘れられない。
だからこそ、今度こそ――私は、生き延びたい。自分の足で立ち、自分の意志で未来を選ぶことができることは、とても幸せなことだもの。
ルーク兄様の後ろ姿をじっとみつめた後、わたしは反対方向に踵を返した。キース様の執務室はこっち。
「ルーク兄様はいつもお忙しそうだね」
「そうですね。立太子を控え、ますます執務に邁進されていると聞いております」
わたしの雑談にロザリナが付き合ってくれる。立太子というのは、王太子になることだったっけ。
次期国王としての指名を受けるのは、とんでもない重圧だろうな。
「お兄様、とてもお疲れのようだったわ。まだ若いのに」
「……? リリーベル様のほうがお年は下ですのに、ふふ」
「あっ! いや、あの、きっとわたしの年の頃にはもう働いていらっしゃったんじゃないかと思って!」
「そうですね。陛下がお早い内からルーク殿下に目をおかけになっていたという話は使用人たちの間でも有名です」
うっかり変な発言をしたわたしを、ロザリナは不思議そうに眺めた後微笑んだ。
実際のところ、わたしが社会人になった時よりルーク兄様は若い。十八歳の高校生の頃といえば、友達と遊んだり、あとはまあ勉強をしたりとか……とにかく、自分のことで精一杯だった気がする。
(そんな中で、兄様は国のことを考えているんだなあ。光魔法でちゃちゃっと癒やせたらいいのに)
そんな淡い期待が頭をよぎる。
けれど、次の瞬間、わたしははっと顔を上げた。
(──そうだ!)
小説で読んだ。
アデリナとルーク兄様が親しくなったあの場面。
崖から落ちかけたアデリナを庇って、ルーク兄様は怪我をした。
治癒魔法を持つ第一王子であるにもかかわらず、その傷はすぐには癒えなかった。
ヒロインであるアデリナが不思議に思ったとき、ルーク兄様は小さく微笑んで言ったのだ。
『治癒魔法の使い手は、自分自身を癒すことはできないのですよ』と。
二人の距離がぐっと縮まって、なんだか見つめあうような挿絵もあった気がする。人を癒やすことができる奇跡の力ではあるけれど、でもその力を自分に使うことはできないのだ。
ルーク兄様が倒れたりする描写は小説にはなかった。きっとこれからもご健在であるはず。それでも、不調を感じているとしたら。
(わたしに何か、できることはないのかな)
そんなことを考えながら、わたしはキース様の執務室へと歩みを進めた。




