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【書籍化】転生モブ王女はナレ死の未来を回避したい! ~破滅フラグを折りまくっていたら、いつの間にか愛され王女になっていました~  作者: ミズメ
第一部 不遇王女リリーベル

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23 変化

 離宮に到着すると、見慣れた顔が駆け寄ってきた。


「リリーベル様、おかえりなさいませ!」

「お荷物はすでに庭園の方へ運ばれております」


 ぱたぱたと音を立てて駆け寄ってきたのは、ベルネ。その後ろを音のない早足でロザリナが颯爽と現れる。

 満面の笑みを浮かべて迎えてくれるふたりに、わたしは一瞬、足を止めてしまう。


(……おかえりって、わたしへの言葉?)


 そんな風に思ってしまう自分が、少し情けなかった。

 だって、ついこの前まで、わたしのことなんて誰も見ていなかったのに。声をかけられることすらほとんどなかったのに。


「……た、ただいま」


 ようやく返した声は、少しだけ震えていたかもしれない。けれど、ふたりは気づかないふりをして、いつも通りの明るさで話しかけてくれる。


「私たち、正式にリリーベル様付きの侍女となりました!」

「お部屋は今朝すべて整えさせていただいております。お茶の準備もございますし、お着替えをなさいますか?」


 胸の奥がじんわりと温かくなるのに、足元はなんだかふわふわして、現実味がない。

 こみあげそうになる感情をごまかすように、わたしは笑ってみせた。


「ありがとう、ベルネ、ロザリナ。少し着替えたら……すぐ、庭園に行くね」


 いつものように、でもいつもとは違うような、ふたりの視線と声の温度が、胸の奥にじんと染みた。



 新しくなった離宮は、まるで別の建物のようだった。

 玄関の大理石の床には淡い青の絨毯が敷かれ、壁紙も優しい色合いに張り替えられている。どこか重苦しかった以前の雰囲気が一掃されて、清らかな風が流れ込むような明るさがあった。

 新たに設置されたらしいガラス窓からは、薬草園がよく見える。


(よし、がんばろう!)


 着替えを終えたわたしは、庭園の奥へと足を進めた。腰には新しいエプロン。落ち着いた生成色の布地に、小さく繊細な草花模様の刺繍があしらわれている。

 庭園に出ると、キース様が苗を眺めていた。


 今日届いたばかりの苗が、木箱に丁寧に並べられている。そのひとつひとつを、まるで宝石でも見るかのように眺めているキース様の横顔は、いつもよりもずっと柔らかい気がする。


「お待たせしました、キース様!」


 声をかけると、キース様がこちらを振り向く。


「リリーベル様……この庭園は、王女殿下ひとりで?」

「はい。わたし、昔から薬草を育てていたみたいで」

「……みたい、ですか?」

「い、いえ! なんでもありません」


 慌てて取り繕って、わたしは苗に向かう。

 空いているところにどんどん植えていこう。そう思っていると、キース様も隣に座った。

 ふたりで並んで、植え替えを始めた。わたしがスコップで穴を掘り、キース様が丁寧に苗を支える。慣れた手つきに、思わず感心してしまう。


「キース様、園芸も得意なんですね」

「……昔、事情があって、薬草園の管理を任されていたことがありますので」


 意外すぎる。そんな過去があったんだ、とわたしはこっそり驚いた。小説では一ミリも触れられていない過去を知ってしまったわ。


 ひとつ、またひとつと苗を植えていき、作業に集中していたときのことだ。


「ミャァ……ミャア……」


 どこかから、鳴き声がする。

 わたしは足を止め、あたりを見回す。


「……ネコちゃん?」


 しばらく耳を澄ますと、鳴き声の方向が分かった。

 視線を上げると、庭の中央にある大きな樹の枝の上に、小さな子猫がうずくまっている。


「えっ! どうしてあんなところに……!」


 枝は地面からかなり高い位置にあり、子猫は枝の上で身を小さくして震えている。


「降りられなくなっちゃったの?」


 そっと声をかけるが、当然のように返事はない。

 どうにかして助けないと……!

 でも、木登りはできないし……とあたりを見渡したところでふとひらめいた。


「水魔法でふわっと降ろせないかな?」


 出来ることと言ったらこれしかない。

 わたしは空に手をかざし、小さな水の膜を作る。


「これでクッションになれば、落ちても痛くないはず……!」


 だが、直後にはっと気づいた。

 ――そういえば、猫って水が苦手だった!!

 ネコちゃんはますます怯えて、とてもじゃないが飛び降りてくる気配はない。


「リリーベル様、何をしているんですか……?」


 慌てて魔法を解除しようとした時、背後から、低く響く声があった。

 驚いて振り向くと、キース様が腕を組んで冷ややかに立っている。


「キース様! ち、違うんです。あの木の上を見てください。あの子が降りられなくなっていて。水の膜を作ったら行けるかと思ったんですけど……」


 焦って言い訳めいた言い方になってしまった。

 わたしが必死に指差すと、キース様は視線を上げ、木の上の子猫を見つけたらしい。


「……なるほど」


 静かな声とともに、キース様はゆっくりと右手を上げた。

 指先からすうっと黒い靄のようなものが広がり、それが地面に落ちる影へとすっと溶けてゆく。

 空気が一瞬、張り詰めたように感じられた。陽の光が届いていないはずの、木の根元――そこに落ちる影が、まるで命を持ったかのように震えたのだ。


 ぐにゃり、と。

 黒の海面が波打つように、影がわずかに揺らぐ。


 次の瞬間。静かに、滑るように影の中から伸びてきたのは、漆黒の触手のようなものだった。煙のようでいて確かな存在感があり、細くしなやかに、そして流れるような動きで地面を這っていく。


 その影は、まるで小さな命を傷つけまいとするように、そっと枝に絡まりながら上昇していく。動きはなめらかで、恐ろしくも美しい。


「わぁ……」


 思わず声が漏れた。

 黒い触手が音もなく猫のもとに辿り着くと、その小さな体を包み込むように広がった。ふわり、と。

 猫は一瞬、身を固くしたものの――その温度のない抱擁に身を預けるように、目を細めはじめた。


 黒い触手にそっと包まれたまま、ふわりと宙を舞い、ゆっくりと地上へと降りてくる。

 けれど、地面が近づいたその瞬間。


「にゃっ!」


 突然、猫がビクリと身を震わせ、前足をばたばたと暴れさせた。まるで我に返ったかのように、黒い触手から飛び出すようにして、一直線にこちらへと飛び込んでくる。


「わっ、きゃっ――!」


 わたしは咄嗟に両手を広げて、飛び込んできたもふもふをキャッチした。腕の中で猫がぎゅっと縮こまり、ブルブルと震えている。

 その目は、今しがた自分を運んだ影の主――キース様に向いていた。


「……シャーッ!!」


 毛を逆立てて威嚇する猫。その怒りと恐怖に満ちた一声に、場の空気が一瞬静まり返る。

 キース様は微かに目を伏せた。


「やはり……この魔法は、動物にも好かれるものではありませんね」


 いつものように落ち着いた声音だったけれど、その横顔はどこか寂しげで。自嘲めいた薄笑いが、その口元に浮かんでいた。


「すみません。驚かせるつもりはなかったのですが」


 猫を守るために誰よりも優しい力を使ったのに、伝わらなかった。

 わたしは猫をなだめるように優しく撫でながら、キース様の顔をじっと見つめた。


「……そんなこと、ありません!」


 勢いよくそう言い切った。


「キース様の魔法、とてもかっこよかったです。わたし、忍者みたいだって思いました!」


 わたしの脳裏にふっと浮かんだのは、かつて大好きだった忍者漫画の登場人物だ。

 彼は、影を自在に操る冷静沈着な忍だった。ひねくれているようで、実は仲間想いで、なんだかんだ言いながら必ず助けに来てくれる。そんな彼の技は、いつも静かで、でも確実に敵を捉えていた。


 そのときのことを思い出して、わたしはキース様の魔法に、なんだか妙にときめいてしまった。闇魔法、かっこいい!


「ニンジャ、ですか?」


 キラキラと目を輝かせるわたしに、キース様がきょとんとした顔をする。


「はい! 忍者っていうのは、影を使って素早く動いたり、敵の目をくらませたりするすっごい戦士なんです! キース様の魔法、すごく忍者っぽくてかっこいいです!」


 無邪気に称賛するリリーベルに、キース様は完全に予想外の反応をくらったようだった。

 一瞬、何か言いたげに目を伏せたキース様の金の瞳がわずかに揺れて、ふっと表情がやわらぐ。


「……そう言われたのは、初めてです」


 それは、ほんの一瞬だけれど――どこか、救われたような笑顔だった。

 驚きつつも、わたしは嬉しくなる。


 キース様がこんな風に表情を変えることなんて、滅多にないのに。

 わたしの腕の中で、猫はようやく落ち着いたように小さく「にゃあ」と鳴いた。けれど、その満足げな様子もほんのひとときで、ふいに身をひらりとひねり、地面に降り立つ。


「あっ」


 止める間もなく、子猫はスタスタと茂みの奥へ歩いていってしまった。まるで、最初から何事もなかったかのように。


「行ってしまいましたね」


 隣でキース様がそう言うのが聞こえて、わたしは少し肩を落とした。でも、無事に助けられたのなら、それでいい。


「リリーベル様」


 キース様がふいに声をかけてきた。振り向いたわたしに向かって、彼は一歩だけ近づいてきて――


「……頬に、土が」


 そう言って、そっとわたしの頬に触れた。

 指先がほんの一瞬だけ、ぬくもりを伝えてすべっていく。


「っ……」


 思わず固まってしまった。わたしの鼓動が、耳の奥でどくん、と大きく跳ねる。

 さっき、商人から買った苗を庭園に植えていた時、勢いよく土を掘って泥が跳ねてしまったのだった。

 そして、猫の鳴き声を聞いて慌てて駆け寄ったせいで、顔の汚れに気づかないままだったみたいだ。


「……失礼しました」

「い、いえ! ありがとうございます!」


 キース様はすぐに手を引き、またいつものように表情を変えず、ほんの少しだけ眉尻を下げる。

 そのささやかな気遣いが、逆に心臓に悪い。


(これは嘘の優しさなんだから)


 そう自分に言い聞かせると、やっぱり悲しくなってしまった。

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i1050295
■ 『転生モブ王女はナレ死の未来を回避したい!① ~破滅フラグを折りまくっていたら、いつの間にか愛され王女になっていました~ 』
書籍になります!web版から加筆修正のうえ、ほっこりシーンやキースの番外編などなど加筆しておりますのでぜひ*ˊᵕˋ*
― 新着の感想 ―
……確か父親は……だからって話でもないだろうし、そもそも微妙に影があるみたいだから嬉しい理由では無かったと思う しかし子猫ちゃん、水の膜を張られ闇の気配に包まれ……なんか災難だった? でも猫って夜に強…
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