22 薬草
陽の光が柔らかく差し込む謁見の間の一室。絹のカーテンが揺れる中、わたしはきらきらと輝く硝子のテーブルの前に腰かけていた。
対面には、隣国からやってきた行商人のヘルマンさんが、上品に頭を下げている。その背には大きな革の鞄と、小ぶりな木箱がいくつも積まれていた。
「今回は、リリーベル王女殿下のために、特別に選りすぐりの品をご用意いたしました」
そう言って彼が取り出したのは、見たことのないような色彩の植物の苗や、装飾が施された美しい陶器の鉢。それに、丁寧に布で包まれた種子の小袋だった。
「まあ、これは……!」
息をのむ。ひと目見ただけでわかった。
夢の中でリリーベルが育てていたものとそっくりな苗があったのだ。
「これらは、大陸の東、エーデルバルド山地のふもとにある村で採取されたものでして……中でもこちらの種子は、年に数回しか手に入らない希少な品です。植物の名前は一覧にしてあります」
ヘルマンさんが示したのは、小ぶりな麻袋に入った、黒く光る種だった。
夢と同じ花。幻の薬草。そして、まだ名前すら知らない植物たち。
全部、集めて育ててみたい。
「わあ……! とっても素敵ですね」
「これは……かなり希少なものばかりですね」
はしゃぎながら次々に指を差すわたしの横で、キース様も驚いた声を上げている。
今日はちょうどキース様と勉強会をしているところにベルネが呼びに来たので、ここまでキース様とも一緒だったのだ。
わたしよりも薬草に詳しいキース様の瞳もきらきらと輝いている気がして、わたしはこっそりと笑みを浮かべる。推しの喜ぶ顔、最高です。
「ルーク兄様」
夢中でしゃがみ込んでいたわたしは、ぴょんと立ち上がって振り返る。
「こちら、全部購入することは可能でしょうか?」
そう言って、山のように積まれた苗木と種の詰まった箱を指差した。見た目からして高級そうな、繊細な鉢に植えられたものや、香りだけで効能を連想できそうな薬草の束まで……見れば見るほど宝の山だ。
ルーク兄様は、椅子の背にもたれながら、わたしをじっと見た。
「それで……支払いについてなのですが、今のわたしの財政状況ではどのような手続きが必要ですか? それとも後日、明細と領収書を発行いただく形に……?」
なんせ、手元にお金が全くないのだ。
財布や銀行アプリがあるわけでもなく、リリーベルの私物の購入の仕方がわからない。後払いでなんとかお願いしたい。
「リリーベル」
ルーク兄様は肩をすくめて、ゆるく微笑んだ。
「君のために呼んだ商人だ。気にせず持っていきなさい」
「でも、それでは」
言いかけたところで、キース様がひと言。
「ご厚意に、素直に甘えておけばよろしいのではありませんか、リリーベル様」
「……素直に」
「ええ、素直に。ルークはお金をたくさん持っていますし」
「その言い方はなんだか違和感があるが。まあ概ねその通りだ、リリーベル」
「おおむね」
ふたりに真っ直ぐに言われてしまって、わたしはオウム返しをすることしかできない。
結局、ありがたく受け取ることにした。
「そういえば、リリーベルは最近ずっとキースと勉強しているそうだね」
ルーク兄様は満足そうに頷いたあと、ふとキース様へと視線を向けた。
「えっ、あっ、はい……!」
わたしは思わずキース様の顔を見た。
その横顔はいつもと変わらない無表情だけれど、ほんの一瞬、まつげが揺れた気がする。
「お前の本気度を甘くみていたようだ。体調もいいようだし、これから教師を正式に手配してもいい。薬学や医学に関しても」
ルークお兄様にそう言われて、わたしはちらりとキース様を見た。それから再びお兄様に向き直る。
(先生がついて正式に学べる。またとない機会だわ。でも……)
これまで一緒に勉強してきて、キース様の知識量のすごさを知った。薬学と医学にめっぽう強いと、素人のわたしでも分かる。
ただ、キース様の時間を奪っているのも事実だ。
きっとお兄様はその点を憂慮されているのだわ。だってキース様は、お兄様の補佐をされているのだから。
「いえ、このままで大丈夫です」
そう答えたのはキース様だった。
琥珀の瞳がわたしに向けられている。
「ふむ」
ルーク兄様は意味ありげに唇の端を上げる。
「リリーベルはどうだ?」
「わたしは……キース様のご迷惑でなければ……その、これからも一緒に勉強させていただけたらと、思います」
正直な気持ちだった。
わたしのような、知識も経験もない者に、分かりやすく教えてくれる人なんてそうそういない。
そして何より――勉強している時間が、楽しいのだ。深入りさえしなければ、最良の先生だと思う。
「そうか。では、好きにするといい。実はキースは医学と薬学分野においても首席で卒業していてね。医師にならないことを宮廷医たちが嘆いていたものだ」
「まあ、そうだったんですね!?」
「おや、キースは君に伝えなかったか?」
「い、いえ、何も……」
道理ですごいはずだ。
そんな人に師事していただなんて、今さらながらに驚いてしまう。
当のキース様は涼しい顔をしている。
「だが、他のことには教師をつけさせてもらう。いいね、リリーベル」
さらりとした口調で、ルーク兄様がそう告げた。
「えっ……?」
思わず、間抜けな声を漏らしてしまう。
わたしの戸惑いをよそに、ルーク兄様はごく自然に続けた。
「王族として恥じない教養と振る舞いは、今後きちんと身につけてもらう。学問、礼儀作法、歴史、語学……最低限、こなすべき内容は山ほどある。今までの分も」
「……はい! 機会をありがとうございます、お兄様。精一杯がんばります!」
わたしは元気よくそう答えた。
兄様はわたしの返答に満足したのか、わずかに微笑を浮かべて、満足げに頷いている。
こうしてわたしは、キース様との勉強会に加え、他の時間は王族教育のカリキュラムにしっかりと組み込まれることになった。
「ああそうだ」とルーク兄様が言う。
「離宮の改装が、今朝完了したと報告があった。今日から、お前の部屋に戻れるようにしてある。これらの品はそこへ運ばせる」
なんと、ちょうど離宮の工事も終わったらしい。
客室から薬草園と泉に通うのは難しかったから、そうなると嬉しい。
「ルーク兄様……ありがとうございます。とても、嬉しいです」
手にした苗を胸に抱きながら、わたしはふっと笑みをこぼした。
あの場所はリリーベルにとってただ寂しいだけの場所ではないみたいだ。どこかほっとした気持ちも生まれている。
ルーク兄様が指先で軽く合図をすると、すぐさま控えていた騎士たちが音もなく動き出す。いくつかの籠や荷を手際よく持ち上げて、それぞれに運び出していく。
「では、早速行ってきます!」
「ご一緒いたします、リリーベル様」
キース様がすぐそばに寄り、丁寧に一礼して見せた。
わたしはキース様と共にルーク兄様の執務室を後にする。騎士たちに続いてゆく道は、柔らかい黄昏の光に包まれていた。
ふと横を見ると、キース様がわたしの歩調にぴたりと合わせて歩いている。
「……離宮に戻るの、ちょっと緊張します」
お母さまと過ごした場所。逃げ出したいけど大切だった場所。
複雑な気持ちをぽつりと呟くと、キース様は静かに頷いた。
「環境が整えば、学びも進みます。庭園も、きっと以前より手入れがしやすくなるはずです」
そう言われて、わたしはにっこりと笑った。
――今度こそ、わたしがわたしの意志で、生きられるように。
流れを修正しました!




