17 散策
キース様は命令に従って、わたしにくっついて回るつもりなんだ。そう気付いてしまうと、色々とむなしい気持ちになる。
でもわたしは、マグリット妃とローラント兄様がお茶会をしているかもしれない庭園に行かないといけないのだ。
「……わかりました」
観念して、小さく頷いた。
「それなら、ぜひご一緒しましょう。色々と教えてください、キース先生」
「心得ております」
わざとらしく頭を下げると、キース様も恭しく腰を折る。くっ、かっこいいな!
わたしのほうは、複雑な思いでいっぱいだったけれど、仕方ない。
(キース様は侯爵家の令息なんだし。命令には逆らえない)
わかってはいるけれど、それでもちょっとだけ胸が痛む。
わたしの行動に興味があってついてくるわけじゃない。あくまで、侯爵の命令――わたしの動向を監視するため。
でもわたしも、キース様の存在に助けられていることは事実だ。幸いにも、こうして本心を知ることが出来た。それだけで良かったと思おう。
今までどおりに勉強を教えてもらいつつ、生存ルートを探すんだ。
「キース様。わたし、あちらの庭園に行ってみたいです」
「はい」
諸々の気持ちを吹っ切ってそう言うと、キース様はわたしの少し後ろに控えるように立ち、静かに歩き出した。
絶妙な距離。一人になることは諦めるしかない。
庭園の奥へと続く小径を歩きながら、わたしは足元の草花に目を留めた。
「キース様、この葉、なんの植物か分かりますか?」
ひょいと摘んだ小さな葉を見せると、キース様は一瞥して答えた。
「〈ミレイナ草〉です。乾燥させて薬包に包めば、虫除けになります」
「そうなのてすね。ではこれは?」
次に見つけた細長い葉の低木を指差すと、キース様は立ち止まり、柔らかく答える。
「〈ルルカの木〉です。春先に出てくる若葉を乾燥させて煎じて服用すると喉の炎症を抑えます。雨季に咲く白花が目印ですね」
「では、こちらは……?」
今度は小さな紫の花をつけた草を指差してみた。さすがにこれは知らないのでは――そう思った矢先。
「〈ソラネの花〉です。夜明けと共に咲き、夕暮れにはしぼみます。幻覚作用があるため、薬用には向きません」
……すごすぎる。
驚きと感心がないまぜになって、わたしは思わず口を開く。
「キース様、とってもすごいですね。さすが、わたしの先生です!」
心からの声だった。
驚きのあまり、さきほどまで訝しんでいたことも忘れてぱあっと笑いかけるてしまった。キース様の長いまつげがふるりと揺れて、金色の瞳がこちらを見る。
そして――ほんの一瞬だけ、彼の口元が、すうっとやわらかく持ち上がった。
(あれ、今、ちょっとだけ嬉しそうにしていたような……)
問いかける間もなく、キース様は再び歩き出してしまう。
「リリーベル様にそう言っていただけるのなら、努力した甲斐があります」
背を向けたままの声は、やっぱりいつも通り淡々としていたけれど。
――なんだか、ほんの少しだけ、温度があったような気がした。
しばらく歩いた先、木々の隙間からちらりと見えた白いクロスに、わたしは息をのんだ。
「あっ……あそこ……」
指ささぬように、小さな声で知らせる。キース様はわたしの視線をたどり、すぐに頷いた。
「……マルグリット妃殿下と、ローラント殿下ですね」
キース様がさっと答えてくれる。
やはりそうだ。遠目にも気品のある二人が、庭園の奥のテーブルで向かい合っていた。
マルグリット妃は華奢な体に淡い緑のドレスをまとい、赤髪を緩く編んでまとめている。その姿は、まるで儚い花のようだった。
夢で見た記憶よりも、ずっと……弱々しく見えてしまう。
だけれど彼女は、ティーカップを手にしながら、ゆったりと微笑んでいた。
向かいに座るローラント兄様は、揃いの赤髪で騎士の制服をきちんと着こなし、ときおり妃を気遣うように視線を向けている。
母親を心から大切にしていることが、少し離れているこちらにも伝わってくる。
「お茶会の最中のようですね。邪魔にならないように戻りましょう──」
「ヨシ! こっそり見ていきましょう」
「は?」
聞き返すキース様の声に、返事をする間も惜しくて、そっと袖を引いた。
「リリーベル様」
「しっ、静かに」
夢で見た通りなら、ここで何か手がかりがあるかもしれない。
わたしはとっさに身を引き、キース様の袖をさらに軽く引いた。四阿にこっそりと隠れて、庭園の木陰でお茶会をする二人を見つめる。
(本当に、夢で見たとおりだ)
こっそりと物陰に身を潜めながら、わたしはその光景をじっと見つめる。
「……母上は、最近体調が優れないと伺いましたが」
「ええ、少しだけね。でも、こうしてローラントとお茶をしていると、とても落ち着くわ」
風に乗って、ふたりの声が届く。穏やかで優しいひとときだ。
とてもあたたかな光景なのに、どうしてこんなにも不安を感じてしまうのだろう。
マグリット様の声音は穏やかで優雅だったが、その顔色は少し青白かった。
卓上のクッキーをふたりで摘み、それから談笑している。
(夢で見たリリーベルは、彼女の体調についてなにか考察していなかったかな)
わたしは、夢の記憶をたどるように思い返す。
何と言っていたっけ。ええと、食べ物がどうとか……。
マルグリット妃が亡くなっていた小説の展開。
それが真実であるという証拠はない。でも、何かを知っているような夢の中の自分と、いま目の前にいる二人の姿とが、ぴたりと繋がってしまったような気がして胸が苦しい。
「リリーベル様、我々はいつまでこうしているんでしょうか」
「ひえっ」
キース様の低く、少しだけ戸惑ったような声が耳元に落ちてきて、わたしは思わず彼の顔を見上げた。
すごく近かった。愚かにも。
目を見開いて自分の手元を見ると、がっつりキース様の袖を掴んでいるどころか、完全に体をくっつけていた。しかも、しがみつくように。
「すすすすいません、隠れるのに夢中で……!」
なんとかひそひそ声でそう言って、わたしはそっと離れる。
キース様が静かに瞬きをする。無表情のままだというのに、どこか微妙に唇が引きつっているように見えたのは、気のせいだろうか。
「邪な気持ちは一切ございません! でもよい香りがしました、ありがとうございます!」
わたしは何を言っているのか。
慌てすぎて会話の方向がおかしなことになってきた。
顔から火が出そうな勢いで頭を下げていると、キース様の金色の瞳がふいに細められている。これは、苦笑というやつですね。




