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10 悪役令息

「えっ!?」


 背後から落ちてきた静かな声に、わたしは思わず肩を震わせた。

 そっと振り返ると、そこには無表情のまま佇むキース様がいて、ベルネがさっと身を引く。


「キース様……! ご、ごきげんよう」


 わたしも慌てて本を胸に抱え直し、小さく会釈をした。


「リリーベル様はお勉強中ですか? 何かお困りでしたら、手伝いますが」


 その申し出に、ほんのり胸が温かくなる。けれど同時に、わたしの目的をどう説明するか、一瞬だけ言葉を探した。


「は、はい。学びたいことがありまして、図書室に来てみました」


 なるべく自然な口調で答えると、キース様は一歩こちらへ近づき、書棚を一瞥した。


「……なるほど。薬学と医学書をお探しだったのですね?」

「えっ……」


 まさか、そんなにあっさり見抜かれるとは思わなくて、間の抜けた声が漏れてしまう。


「何か目的が?」


 柔らかく投げかけられた言葉。でも、その金色の瞳は真っ直ぐで――やけにまっすぐで、ドキリとする。

 キース・ティム・ヴィンターハルター。

 小説での彼は、王家に牙をむいた悪役令息。冷酷で無感情で、誰にも心を許さない孤高の存在。……の、はずなんだけど。


「わたしも、きちんと知識を得ておきたくて」


 そう答えると、キース様は少しだけ目を伏せ、思案するような間を置いた。


「確かに、リリーベル様は以前から薬草を育てていらっしゃいますしね」

「え? は、はい……」


 考える仕草も様になる。

 それと同時に、拍子抜けして変な声が出てしまった。リリーベルがあの離宮で薬草を育てている事を、キース様が知っていたなんて。


「それなら、適した本をお持ちしましょう」

「よ、よいのですか……?」


 思わず声が裏返ってしまう。だって、それはあまりにも自然で、優しすぎて。


「その分厚い医学書などではいささか効率が悪いかと。間違った知識を覚えてしまう可能性もあります」


 そう言いながら、本棚の奥へと向かう姿に、わたしはただきょとんと立ち尽くす。


(あれ……キース様って、こんなに……親切なんだ?)


 キース様が戻ってきて、一冊の本を差し出してくれる。


「これがいいでしょう。医学の基礎と薬草の知識が両方載っています」

「ありがとうございます」


 自然と、胸に大切に本を抱きしめていた。

 これでちょっとだけ、詳しくなれそうだ。


「……どなたかに師事するご予定がおありですか?」

「いえ、ちゃんと学んでみたかったのですが、無理そうで。頑張ってこの本を読みますね!」


 キース様がいてくれて本当に助かった。

 そう思っていると、思いも寄らない言葉が飛んできた。


「よろしければ、私がお教えしましょうか」

「えっ?」


 椅子を引いていざ席に着こうとしていたわたしは、びっくりしてその動作のまま固まってしまった。


「私が勉強した内容でよければ、ですが。殿下が一人で学ぶよりも習得が早いと思います」


 淡々とそう言うけれど、なぜだかその言葉にあたたかみを感じてしまう。


(キース様って、本当はいい人だったのかな……?)


 ここで断る理由はない。渡りに船というやつだ!


「ぜひ! よろしくお願いします」


 思ったよりも大きな声が出てしまい、図書室の静寂が胸に痛い。

 さっきの司書さんも怪訝な顔でこちらを見ていた。

 キース様は静かに周囲を見渡すと、わたしとベルネを交互に見た。


「……リリーベル様。もしよろしければ、このあとの勉強は私の執務室でなさいませんか」


 その提案に、わたしは目をぱちくりとさせる。


「えっ、執務室……ですか?」

「はい。ここは人の出入りも多く、基本的には私語厳禁となっていますので」


 たしかに、図書室は静かとはいえ、出入りする使用人や学者らしき人々の姿がちらほら見える。

 教えてもらいながら落ち着いて勉強をするには、少し視線が気になるかもしれない。


「では、お言葉に甘えて……ご一緒させていただいても、よろしいですか?」

「もちろんです」


 さらりとそう返すと、キース様はわたしとベルネが持っていた本をさっと持ってくれた。


「では、ご案内いたします。どうぞ、こちらへ」

「は、はい……」


 なぜだか推しに勉強を教えてもらうことになってしまった。

 連れてこられたキース様の執務室には大きな窓があった。あたたかな陽光が柔らかに差し込んでいる。


 応接用の重厚な木製テーブルの上には、図書室から借りてきた分厚い医学書といくつかの薬草図鑑。

 わたしとキース様は、椅子に向かい合って腰かけている。


「それでは、今日はこちらの章から参りましょう。薬草の成分分類と、その作用についてです」


 キース様の声はいつもの通り落ち着いていて、けれどどこか柔らかい響きを含んでいた。


「はい、お願いいたします」


 思わず背筋がしゃんと伸びる。

 整然とした書架と観葉植物の配置が落ち着いた雰囲気を醸し出していて、まるで学びに集中するために作られた空間のようだった。


 ついキョロキョロと眺めてしまった。ゆるしてほしい。


「こちらをご覧ください。“ファルネの葉”と“フォルニア草”の見た目の違いは非常に分かりにくいですが、香りと葉の厚みで判別可能です」


 彼の指し示す図を覗き込みながら、わたしは必死にメモを取る。


「リリーベル様は、呑み込みがお早い。実際に使う場面を想像しながら覚えると、さらに知識が定着します」

「なるほど……」

「離宮でお育てになっていた薬草をこの書物で探すのもいいかもしれません。泉と庭園には工事の手を入れないように進言していますので」

「あっ、そうなんですね!」


 道理で薬草たちが全く手つかずだったワケだ。放置されているのかと思っていたけれど、そうではなかったらしい。


(さっきも薬草のことを知っていたし……?)


 ますます、このキースという人のことがわからなくなる。今だって、リリーベルを見る目がどこか優しい……そう思い込みたいだけかもしれないけれど。


「では、離宮に戻ったら薬草園でも復習いたします」


 頷くと、キース様はふっと目を細めた。わずかに笑ったようにも見える。


「……以前のリリーベル様は、こうして学びの場に出てこられることすらありませんでした。なぜ薬学や医学を学びたいのですか?」


 わたしはキース様の言葉に肩を揺らす。

 そうだ。エマたちの事があったとはいえ、リリーベルは自分の意思であの離宮を出なかった。周りからの目にひどく怯えていたように思う。


「……先ほどもお伝えしましたが、知識を得ておきたくて」

「なるほど。しかし、それだけではないように見えますが」


 金色の瞳が、静かにこちらを探るように細められる。


 (やっぱり鋭い……)


 でも、本当の理由を話すわけにはいかない。


 『小説の世界のわたしが、病で死ぬ未来を変えたいんです』なんて言ったところで、信じてもらえるはずがない。お兄様にだって言えなかった。


「この国に何かあったとき……わたしにできることがあれば、将来役に立つかもしれませんから」


 わたしはできるだけ自然に微笑んだ。

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