8.不思議な夢。
──また、夢を見ていた。何度か見ていた同じ夢。……かと想っていた。
「え?」
裸足にスエット。辺りが真っ暗闇に沈んでいる。どうも夜みたいだった。寒さは感じない。
「雪?」
なのに、雪が降っている。とても静かだった。
次第に周りの風景が、輪郭を帯びてくる。まばらに降り積もる雪の白さが、暗闇をいつか見覚えのある場所に変えた。そこは、家の近くの神社。所謂、縁結びの神様。空也の親父さんが言ってた、『鼎さん』が祀られている場所だった。
「やほ!」
「わっ!」
いつもの声。聞き覚えのある声。夢の中でも何度か。現実でさえ聞いたことがあった。
「ツナグくん?」
「……マニカ?」
少し驚いてから声が出た。
艶のある長い黒髪が月明かりに反射している。暗闇の中、白い雪が降り積もる向こうに、満月の様な瞳を輝かせたマニカが立って居た。
「ちょ、どうして」
「あ! あんま、見ちゃダメ。今日は……」
裸足にスエット。マニカも僕と同じ。寝る時の格好なのか、恥ずかしそうに両腕を胸の前で組んでいた。
「私。知ってるんだよ?」
「な、何が……?」
恥ずかしそうに笑うマニカが、片方の手で指をさしたその先──。
闇の中で降り積もる雪が、『鼎さん』の祀られた神社の境内を白く光らせた。眩しかった。いつもは閉じられてたはずの格子の向こう側が……いつの間にか開かれていた。
鼎さんの神社の本殿──扉の向こう側に見えたもの。
そこには、列車の車内に佇む昨日の僕と空也が居た。
「私のこと。話してた?」
「どうして……分かるの?」
「一目瞭然じゃない?」
不思議な光景だった。地元の誰もが参拝するはずの神社の本殿──その格子扉が開いた先に。僕と空也……昨日の車内での様子が、まるで俯瞰されたみたいに映画の様に流れている。一体、マニカって……。
「素直に言ったら?」
「空也に?」
「うん……」
月明かりに反射したマニカの黒髪に、白い雪が幾つも降り積もる。片手でフワリと髪を撫でる様に振り払うマニカ。髪についてた雪がホロホロと暗がりの地面に落ちた。深々と降り積もる雪が、僕とマニカの居るこの場所を白く浮かび上がらせる。暗闇の神社の境内を照らしてた──映画みたいな昨日の僕と空也の様子。それが、流れ終えたエンドロールの様に暗くなって途切れた。もとの静かな神社の境内に戻る。いつの間にか、格子状の扉が閉まっていた。
「ほら、雪……」
「え?」
マニカの動きに呆気にとられる。
マニカが、背伸びした様に僕の頭についてた雪を振り払った。
さっと、頰に触れたマニカの手が温かく感じられて……僕は、しばらく沈黙した。また、暗闇の神社の境内に深々と雪が降り積もる。
「鼎さんはね、静かに聴いてるんだよ」
「……どう言うこと?」
「憶えて……ない?」
どう言うことだろう。心当たりが無い。いや、忘れている?
何か、胸の中にあった大事なことを忘れてしまっている気がした。いつか溶けてしまった雪の様に。
目の前に降り積もる雪が、暗闇の神社を浮かび上がらせる。けれども、次第に光を帯びて──。
夜だったはずの神社の境内に、朝日が降り注ぐ。……暗闇が剥ぎ取られていった。
僕とマニカも、白い光に包まれて……何処かへと消えてしまいそうだった。
「時間切れ。朝が来たみたい」
「え?」
そう、マニカが口にした瞬間。目の前の何かもが光の中に消えていった。
「今度は憶えていて。夢は、いつしか消えてしまうものだから……」
「マニ……カ?」
マニカの声。光の中で、消えていくマニカの姿が、声だけを残していった。
──気がつくと……ベッドの上。本当に朝だった。マニカの声が、まだ耳の奥に残っていた。
「憶えてない? 忘れてる? マニカ……」
夢の中で聴いたマニカの声。その言葉を、上半身を起こしたベッドの上で反芻する。けれども、それを空也に伝えるには、まだくぐもった声の様に胸に押しとどめることしか出来なかった。
「まずは、全部じゃなくても……空也にハッキリ言わなきゃ」
遅れて、目覚まし時計のアラームの音が鳴った。カーテン越しの朝の光を見つめながら、僕はその音を止めた。いつもの朝なのに、コップに母親が注いでくれた牛乳しか喉を通らなかった。