37.今世。
「では、父上! 母上! 行って参ります!!」
「うむ。……気をつけてな。鼎の旅は──」
「〝来世を生む〟で、あろう? 真繋。心配せずとも良い。鼎にもマニカやツナグの居た時代の記憶は息づいておる。来世の私が保証する」
「そうか……。不思議なものだな。摩尼伽。あれから、十年余り。病に瀕していたが、鼎は来世の妙薬により命を救われた。元服も無事に終え、鼎もいよいよ今日この日を迎え──」
「父上! お話が長くなっては、いつまでも旅立てませぬ! 私には空昉様がついておられますゆえ、心配いりませぬ! 全国を空昉様と行脚した後には、彼の地へ社を建て……この鼎石を」
「フハハハ!! 案ずるでない。真繋よ。時々、この鼎島にも鼎と戻って来ようぞ? 葉由利もおることだしな? ムフフ……」
「もう、貴方ったら! ……くれぐれも、鼎ちゃんを頼みますよ? 鼎ちゃんを困らせない様に……」
「葉由利叔母様。鼎ちゃんなどと。私……鼎は、もう立派な大人になって御座います。充分過ぎるほど……」
「兄上……。泉も夜毎、月に無事を。祈りを鼎石に巫女として捧げます。兄上との想い出は一生……。うぅっ」
「泣くな泉……。私もお前を想う。私は幸せ者だ。父上に母上。それに、マヅナやマニカ……。空昉様に葉由利叔母様。今世でも来世でも、出会う人たちに感謝せねば。来世の記憶を辿って」
「来世の記憶を辿る……か」
鼎が来世の妙薬に命を救われ、十年余りの月日が経った。鼎島で子ども時代を過ごした鼎は、元服を終えた後も、しばらく。……私と摩尼伽、双子の妹の泉と過ごした。幸せな日々だった。一度目の過去世にはない心の安寧をもたらしてくれた。
しかし、鼎はある日。ツナグやマニカ……空也や葉月の居た来世の彼の地へ──。突然、赴きたいと言い出した。それに、鼎石の力を用いて全国を行脚し、人々を救いたい……と。
晴れ渡る青き空と海に浮かぶ、この鼎島。砂浜から私たちに吹く潮風が、何処か懐かしい。初めて空昉とともに来たあの日。あの夜。摩尼伽と初めて出会った時のことが想い出される。
しかし、それは──。一度目の過去世では、苦く辛いものだった。果てしない時の流れを彷徨っていた様にさえ感じられる。摩尼伽は、どうだったのだろうか。長き時を一度目は鼎とともに鼎石の中で過ごした。そして、鼎自身は──。
風が凪いで、空昉と鼎の乗る舟が静かに浜辺に揺れ停泊している。島の者達で皆こぞって旅の無事を祈り、安全を祈願して造った舟だ。もちろん、山の頂上にある〝鼎石〟にも……ここに居る皆で祈りを捧げた。その時に聴こえた神楽鈴や笛の音が忘れられない。それは不思議なことに、鼎石の中から響き渡るものであった。皆、驚いた。摩尼伽が言うには、来世のツナグが笛を……マニカが舞いを踊り鈴を打ち鳴らし──鼎石の向こう側の世界に今も居るのだと。そう言っていた。
(──立派になったものだ……)
泉は摩尼伽に似て。島に居る男たちの目を常に惹いた。が、鼎石を祀る摩尼伽と同じく。島の神──鼎石に仕える巫女として、その立場から誰もが近づき難かった。その美しさと気品は、まさしくと言って良い。
鼎は逞しく。偉丈夫として島に居る乙女たちの憧れの的であった。が、泉と同じく。鼎石を祀る直系の血を引く一族の者として敬われ……未だ独り身であった。そう言ったこともあったかも知れぬが、島を出る決意を固めたのは……来世の記憶に呼ばれたことに相違いない。日ごとに来世の記憶を口にする鼎に、その様に感じていた。
私が目を細めた先には、砂浜に立つ鼎と空昉と……浜辺に浮かぶ一隻の舟と。青き海と空に立ち昇る白き入道雲が、何処までも高く沸き立つ。
──鼎の旅は、来世へと繋がるもの……。
鼎には私の陰陽の霊術を教え込んである。私が大事にしていた『日月の聖典』も鼎に持たせた。私には、もう必要のないものだ。今日と言う日の鼎の旅の門出を占い、私は最も良い日時を陰陽の霊術にて割り出した。摩尼伽も鼎石の時の力を用いて未来を覗き……今日を鼎の旅立ちの日に選定した。摩尼伽は、「心配は要らぬ」と、私を抱いて慰めた。これからは、鼎自身が旅の安全を羅針盤代わりに──陰陽の霊術を駆使して空昉とともに……この青き海と空を渡るのであろう。
「真繋。……そろそろ時間だ」
「あぁ。摩尼伽。空昉と鼎の乗る舟を、皆で押さねば……な」
「クハハ!! 我は重いぞ? 積み荷と鼎も乗っておることだしな。押せるか?」
「まだまだ……。老いるには早いよ。空昉」
「カハハ!! 泣いておるのか? 真繋よ!! らしくもないっ!! 其方が泣けば、この空昉とて……目頭に熱きものが感じられ、くっ!」
「……貴方っ! 行ってらっしゃい!! 鼎ちゃんも……行ってらっしゃい!!」
「泉も! 待っておりますゆえっ!! 再び、兄上とともに、この鼎島で暮らせる日々をっ!!」
「あぁ……。ありがとう。泉。それから、葉由利叔母様。父上……母上……。行って参ります!!」
「案ずるな。鼎石の中より見守っておる。……心行くまで旅するが良い」
「母上……」
「……気をつけてな。鼎」
「父上……」
「私は何も心配などしておらぬ。安心して旅するが良い。……行けっ! 鼎っ!!」
「……父上っ!! ……では。皆様!! これより、空昉様とともにこの青き海を渡りっ!! 想う存分、旅して参りますっ!! くれぐれも、皆様……お身体にはお気をつけてっ!!」
凪いでいた潮風が再び……。私たちのもとへと吹いた。
心なしか何処か。ツナグの吹く笛の音と、舞い踊るマニカが打ち鳴らした鈴の音が……。山の頂上から、この鼎島に……青き海と空に。風に乗って鳴り響いたのが、聴こえた。来世からの音が……過去世の私たちを導く様に。これからも、何処までも──。この果てしない海と空を渡るように。
「……本当は世界は滅びていた。が、滅びなかった。感謝する。真繋。其方が生まれて来てくれたことを。今世でも来世でも……」
「そうなのか? が、感謝せねばならぬのは私の方だよ。……摩尼伽。この海と空は、果てしない。何処までも、青い……。ありがとう、摩尼伽」
青き海と空の──水平線の彼方まで。小さく小さくなって行く舟を見つめる。空昉と鼎の姿を見つめる。……目には視えないほどに。いつまでも、いつまでも……私と摩尼伽は、砂浜に立ち。その光景を忘れまいと目に焼き付けた。
♢
「お! 鼎に泉っ!! 大きくなったなぁ?」
「空也のオッチャン!! 今晩はっ!!」
「泉は、いつも元気があって良いなぁ。いや、オッチャンって。そんな年齢でも無いんだがよ? まぁ、そうなるか。鼎は?」
「……今晩、は……」
「あぁ……。ごめん、ごめん。空也。今年で鼎も五才になるんだけど、まだ恥ずかしがり屋さんみたいで……」
「あ! 空也くん、お久しぶりっ!! 元気してた? 今日から一週間。御世話になるよ? 『鼎神社星夜祭り』も来週に控えてるもんね。合同練習の追い込み! 余裕、余裕っと。葉月は?」
「あ。葉月は知っての通り身重でだな……。奥の部屋で休んでんだが。おーいっ! 葉月っ! マニカちゃんと繋が来たぞーっ!! 悪いな。一応、俺も祭りに参加するつもりだけど、もしかしたら……」
「良いよ、良いよ。まぁ、本家の鼎島の鼎さんには、こっちほど大きなお祭りも無いし。どっちかって言うと世間には秘密にされてるから。宮司や神主や巫女……。私たちの仕事って結構暇で。島で、のんびりスローライフ楽しんでるんだから。ね? ツナグくん?」
「アハハ……。そうだね。島じゃ、神主の仕事もそう忙しくないし。暇は暇してるよね。いつも……」
「良いよなぁ。こっちは、世間様に知られてる分だけ大忙しだぜ? 俺も神主の資格取って、入り婿になったんだけどよ。おーいっ! 葉月ーっ!! って、あんまり無理させられねぇなぁ……」
あの日を想い出す。『鼎神社星夜祭り』──。あの夜は、特別だった。あれからも、何度か毎年に渡って、僕もマニカもお祭りには参加して来た訳だけれども。
いつもの着付け部屋へと続く、鼎神社の直ぐ脇に建てられた葉月の家。その玄関。マニカの実家の大屋敷──とは言っても僕も空也と同じ入り婿なんだけど。今でも、ウタコお婆さんの御世話になってて。あの家よりかは広くはないけれど、雰囲気のある木造家屋。オレンジ色の門灯と玄関の明かりに、真新しい畳の匂いと木の香りが漂う。どうやら最近になって、葉月の出産を控えて……金森家は増改築をしたらしい。
僕が玄関に鞄を置いた途端。五才を迎える鼎が僕に抱っこをせがむ。五才前で保育園では年長さんになるとは言え、まだまだ鼎は甘えん坊で。泉もそうなんだけど、どう言う訳か、マニカよりも僕に甘えて来る。僕は少し重くなった鼎を「よいしょ」と抱き上げた。少し眠そうにしている。
「あー。お兄ちゃんだけ、ずるい!」
「……ずるく、ないもん」
泉のリクエストに応えて。僕は右腕に鼎を。左腕に泉を抱えた。
「はぁ……。鼎も泉もパパっ子だよね。ツナグくんも今や、すっかり板についちゃって。育メン? 私は楽チンで良いよ~」
「……だよな。俺も繋みたいなパパに成れんのかなぁ。今更だけど……不安になるぜ」
「いやいや。そんな、そんな……。大したことないよ」
マニカは、そう言ってくれるけど。マニカには本当に感謝し通しで。僕は頭が上がらない。実際にはサポートと言っても、どれだけマニカの助けになってるのかなんて分からないし。それでもマニカは、いつも「……ありがとう」って言ってくれるけど。きっと、空也の方が運動も得意だし。立派な父親になれると想う。
僕は、だんだん重くなる鼎と泉を抱えたまま玄関に立ってたけど。マニカは玄関の床に腰を下ろして既に寛いでいる。靴さえ脱ごうとしていた。空也が、「まぁ、上がれよ」と言った矢先。奥の部屋から、大きなお腹を抱えた葉月が、ふーっと息を吐きながら出て来た。転ばない様に、空也が葉月の手を取った。
「……久しぶり。ツナグもマニカも元気してた? あ。鼎ちゃんに泉ちゃん。……寝てる。可愛い! ──マニカは良いよねぇ。私は、これからよ? こーんなに大変なのに……。だって、マニカは双子だった訳でしょ? ちょっと、尊敬よね」
「そう? えへへ。それほどでも、あるよ? ……んーとね。楽に産むコツはね? ほら。巫女の呼吸よ? 足運びとか、お神楽舞いの呼吸っ! スーッと息吐いて、ふーっと楽にして。脱力……。結構、いけるよ?」
「アンタって本当、脳天気。人が不安になってんのにさ? 本当に、そんなで大丈夫なの? ……何? もう靴脱いで上がってんの? まぁ、良いけど……」
「まぁまぁ! ささ! 上がってくれよ! マニカちゃんに繋っ! お。鼎と泉は、寝ちゃったかー。可愛いよなぁ……」
マタニティブルーなのか。ちょっと葉月のご機嫌が斜めだ。とは言え、マニカはお構いなしの様子。それを見かねた空也が気を揉みつつ。そそくさと、僕とマニカの手荷物を持ち……。空也と葉月とは別の、僕らが泊まる奥の部屋へと案内をしてくれた。
♢
──翌朝。朝早くに目が覚めた鼎と泉が、僕とマニカを起こす。
「パパ……」
「……ママ」
「ん? 何? どうした?」
「ママは、眠いよぉ。……ツナグくん、よろしく」
「え?!」
「お外……。行きたい」
「泉も……」
眠い目を擦りながら仕方なく。
静かな家の中。空也も葉月も、家の人たちも……まだ寝ている様だ。
(起こしちゃ悪いよね……)
そう想いながら、ジャージを着たまま寝ていた僕は、そのままパジャマ姿の鼎と泉を連れて外に出た。
──季節は夏。朝の五時過ぎにして、もう日が昇り蒸し暑い。後から、僕と同じくジャージ姿のマニカが、髪だけ解いて……眠そうに瞬きしながらも、やって来た。……裸足にサンダル、草履。玄関を開けると、直ぐそこには──。あの、鼎さんが居た鼎神社が、森の新鮮な空気とともに、木漏れ日の光を浴びて佇んでいた。
「……静かだね」
「うん……」
マニカと僕との間には、手を一緒に繋いだ鼎と泉が居る。四人並んで歩く。この鼎神社の境内を。
「あ!」
その時──。
僕から手を離した鼎が、神社の境内の方を指差して駆けて行く。「待って!」と、マニカの手を離した双子の妹の泉も、鼎の後を追い掛けて走った。
「元気に育ったよね?」
「うん。マニカに似て……かな?」
早朝にも関わらず、もう蝉が鳴いていた。
(──ミーン、ミーン、ミーン……)
しばらく、マニカと二人。ブラブラと神社の玉砂利の上を歩いた。ジャリジャリと音が鳴る。
目の前では、境内の方を指差して──はしゃぐ……鼎と泉の姿があった。
「朝から元気だよね?」
「ね? ふふふ……」
……僕が呟くと、マニカが笑った。
鼎と泉が、何かを見つけたのか。僕とマニカを呼んだ。
「パパー! ママーっ!!」
「見て見て!」
何かと想いながら……。僕とマニカは、そのまま。境内の前で指を差す鼎と泉に歩み寄った。
本殿の格子扉が開き──。鎮座して祀られた〝鼎石〟が、朝日を浴びて黒い輝きを虹色に放っていた。
「僕。あの中に居たんだよ?」
「え?」
「うふふ。……そうね」
「泉も、お石の中に居たもん!」
僕が目を白黒させてマニカの方を見ると──。マニカは、嬉しそうに笑っていた。
「あ。蝉が、とまった!」
「え? 蝉? ……何処、どこ?」
「ほら、あそこ! 泉が捕まえたいっ!」
「パパは、目が悪いからねー。良し! ママが捕まえてあげよう!」
それが、この日の早朝の出来事。僕は、当然。眼鏡をかけ忘れてて。蝉を見逃して……。そーっと、境内の柱にとまっていた蝉に、マニカが近づいて。網も持っていないのに、手でフワリと見事に包み込むようにして、パッと鮮やかに捕まえた。
後でマニカに聞くと。……ほんの少しだけ〝時の力〟が使えたって言っていた。直ぐそこに──〝鼎石〟があったからって。
それから……。長い月日が経っても。僕は、この日のことも、あの日のことも……。全部、全部。忘れなかった。最初に見た夢の中のことも。鼎神社でマニカと出会った初めての夜のことも──。全部、全部。忘れなかった……。いつまでも──。
──了──




