35.マニカの実家。
「ここが……。マニカの実家がある──真繋さんと摩尼伽さんが居た鼎島……か。相変わらず。……変わらないな。いや、千と三百年前だったはず。嘘だろ……」
──フェリー船乗り場から、しばらく。島内をぐるっと回る乗り合いバスに乗り。──と言っても、普通乗用車クラスのファミリーカーだったんだけど。舗装のされていない狭い道に土埃が舞う。ガタゴトと揺られること数十分。青空と海の眩しい光が窓辺に差し込む。冷房は効いていたけれど、風を感じたくて。乗っていたのが僕一人だったから、窓を開けた。むっとした夏の空気が潮風にのって流れ込む。
道の端には古い石垣が積まれ、草がはみ出して蔦に覆われていた。この島に住んで居たご先祖様たちが積み上げたものだ。その中に……僕。いや、真繋さんや空昉さん──それに、葉由利さんや摩尼伽さんも居たんだけれど。
(──マニカ……)
そう。不思議なことに。千と三百年前のことなのに。僕の記憶に鮮明に浮かび上がった。
既視感──。この〝鼎島〟に来て。久しぶりの感覚だった。
ぐるぐると。島の狭い道のりを乗り合いバスに揺られながら、ウネる様にして登り詰めて辿り着いた先。『国指定文化財〝宮月家〟』が、そのままバス停留所の名前になっていた。
大荷物を肩に担いだまま、何とか乗り合いバスを降りる。見上げると──。目の前には、千三百年前のあの日と変わらない……摩尼伽さんの所有していた立派な大屋敷が、青空高く……そびえ立って居た。
(……大きいよね。相変わらず。あの日のまんまだ。〝テセウスの船〟って言う哲学用語があるけれど……。ずうっと改修を繰り返しては、大事に現代まで保存されて来たんだ。……待てよ? もしかして、世界最古に近い建造物なのかな?)
玄関と言うよりは、お城の門──。重厚な黒い鉄の扉の前には、今でも甲冑を着た門番が……槍や剣を携えて立っている姿が目に浮かんだ。けれども、今は──。誰も居なかった。
僕は携帯電話を取り出して画面を開いた。
〝今、船に乗った〟
〝オッケー〟
画面の文字を見つめる。フェリー船に搭乗したら、マニカに送ることになっていた。船着き場に降りたら、マニカが待ってくれているのかと想ったけど。それから、何も。連絡が無かったから、僕は直接、マニカの実家にまで辿り着いてしまった。
(……誰も居ない……か。間違ってないよね? ここが、マニカの実家。摩尼伽さんや真繋さんが居た大屋敷。じゃあ、もう一度。……送るか)
しばらく、門の辺りを彷徨いたけれど──。呼び鈴とか、何も見当たらない。当時のままだ。宅配とか来訪者が来たら、どうやって知らせるんだろうか。
青空を見上げ、白い雲間に隠れた太陽をしばらく見つめた。
「ツナグくんやろ? ……マニカから聞いとるで?」
突然、僕の背後に響いた声──。嗄れた女性の。初老と言うよりは、少し高齢の。
ドキリとした。名前を呼ばれて、冷や汗を掻いた。急に緊張感が高まってゾワリとした。さっきまでは、無事に辿り着けるかの方が不安が大きかったから。……そうだ。僕はマニカが居る実家に──。はるばる海を渡って、小さな鼎さんが居た……あの〝鼎神社〟のある街からやって来たんだ。
僕は今更になって、事態を把握した。──恐る恐る、振り返った。
「あ、あの……」
「……よう来てくれたったなぁ。えらい遠かったやろ? マニカに早よ迎えに来るよう言うとったんやけどなぁ。マニカっ! マニカぁーっ! ……どないしょんねん、あの子は」
「は、はぁ……。あ、あの。初めまして。ぼ、僕は上坂ツナグ……」
「そや。自己紹介まだやったな……。ハハッ!! あんな大っきい家、一人で住んどったらボケてもてアカンわ! マニカの祖母の〝宮月ウタコ〟です。ほな、ツナグくん。こっちついてきぃ。重たい荷物は、よう持たんけどな?」
「は、はぁ……」
鮮やかな紫色の着物を着たウタコお婆さんが、ひょい……と。お城の門の様な立派な鉄扉の脇にあった──小さな木の扉を開けた。背中を丸めて扉を潜るウタコお婆さん。僕も身体を屈めて中に入った。中は日本庭園と言うか……大きな池があって。剪定された松の木が上品に植えられてあった。目を奪われて、しばらく見とれていたんだと想う。流石に真繋さんと摩尼伽さんの居たあの頃とは違ったけれど。そう……。やはり、家らしきものが見当たらない。当時のままだ。確か、ずうっと奥に……。
「こっちやで」
「は、はい……」
ウタコお婆さんが、お団子にした白髪の頭を下げて。カチャリ……と扉の閂を閉めた。それから直ぐに。僕に振り返る事も無く……見た目の年齢を感じさせない速さで、ウタコお婆さんはスタスタと大股開きに歩いて行ってしまった。
(わわわ……。ついて行かなきゃ……)
年齢を感じさせないその速さに、思わず置いて行かれそうになる。その……有無を言わせない、どんどんと置いて行かれる感じが。……駅前で大雪の降ったあの日に、僕の前を歩くマニカの姿と、そっくり重なった。
(う、ウタコお婆さん……。速い……。マニカが歩くの速いのって、お婆さん譲りなのか。いや。摩尼伽さんは、もうちょっと寄り添う様にゆっくり歩いてくれていた様な……)
そんなことを想いながら……。ウタコお婆さんの後をついて行った。大荷物を担いでいるとは言え──現役高校生の僕が、ウタコお婆さんに置いて行かれる訳にはいかなかった。
♢
「マニカーっ! ツナグくん来たでぇっ!! マニカーっ!! おらんのんかーっ?!」
(声が大きい……。お年寄りなのに。関西方面に住む人って、皆、こうなのかな……)
あれから……。日本庭園の様なお庭を脇目も振らずに歩き続け。鬱蒼と茂る森の小道を抜けた。そうそう。そんな感じだったんだけど。
……太陽すら覆い隠す森の樹々に鳥が鳴く。ほんの少しの木漏れ日が目に入る。
千三百年も経つと、摩尼伽さんの所有していた大屋敷が、森に呑み込まれる様な姿で建っていた。当時は、もう少し見晴らしが良かった様に想える。これは、もう……。この森とさっきの庭とこの大屋敷を含めて──敷地内全部が〝国指定史跡〟と言い換えても良いくらいだ。
僕は既視感には無い、千三百年の時の流れをしみじみと噛み締めていた。
玄関の引き戸をガラガラ……と引いて。ウタコお婆さんが直ぐ様、マニカの名前を呼んでいた。ちょうど目の前には──。温泉旅館のロビーを想わせる空間が広がる。どう言う訳か知らないけれど、大きな仏像が何故か何体も安置されている。一度には数え切れない。
けれど、見慣れた〝石〟がその一番奥に祀られていて。直ぐに目に留まった。……鼎石だ。
「アハハ! それな? 〝泉様〟。石やけどウチらは、そない呼んどる」
「泉様? 鼎様じゃなくて?」
「不思議なことにな。鼎様と泉様が摩尼伽様からお生まれになった時。真繋様が持っとった鼎石が二つに割れてな?」
「は、はぁ……。え? 双子?」
「二人が大きゅうなった時。割れた片方の〝鼎石〟を持ち出したのが鼎様。世直しの旅に出られてなぁ。海を渡られた。それから、お社を建てられてな? その時にご神体として祀られた石が〝鼎様〟。石やけど、分家のもんは皆そう呼んどる。ほんで、こっちが〝泉様〟」
「世直しの……旅? 悪い人に鼎石は持ち去られたんじゃ……」
「いやいや! 世直しっ!! 大人になった二人……泉様は、島に残られ巫女に。鼎様は空昉様のお弟子様になられ、全国を行脚したそうな」
「じゃ、じゃあ……。この島の山奥にある大きな鼎石は……」
「それも鼎様。ご先祖の真繋様が鼎様から名前を賜ってな。自分の子につけたんだと」
「へ、へぇ……。そ、そうなんですか」
……〝泉様〟? おかしい……。何かが違う。気が……する。いや。気のせいじゃない。それに、何度も出て来る〝鼎様〟の名前に頭がこんがらかる。
温泉旅館のロビーを想わせる玄関に突っ立ったまま……。僕は呆然としていた。既視感とか、真繋さんから受け継いだ過去世の記憶とかには無い、何かとんでもない事象が起きてしまった様な感覚。
担いだままの大荷物が僕の肩にくい込むけれど……。そんなことは気にならなかった。
──その時。二階の階段をトタトタと。素早く降りる音がして、床に着地した音がトンッと響いた。マニカだ。
「ツナグくーん! ……お待たせ」
「ま、マニカ……」
「マニカーっ!! 早よう来んかいなっ!! ボーイフレンドのツナグくんに嫌われてまうやろっ!!」
「ぼ、ボーイフレンド……」
「お、お婆ちゃん……」
白いワンピース姿に透ける様な白い肌。……階段から振り向き様に、僕に手を振るマニカ。夏休みに入ってから一度も会ってなかった。久しぶりのマニカだった。
けれども、ウタコお婆さんに〝ボーイフレンド〟とか言われて──。それを聞いたマニカも僕も、しばらくモジモジと俯いて固まってしまった。
「ほな。ウチは島の寄り合いに行かにゃあならんでな? ツナグくん。今日から、よろしゅう。ウチは、しばらく帰らんでな。……マニカと二人、ハハッ!! ゆっくりしてってな!」
「は、はい……。え? あ、あの、これっ! つまらない物ですが、お土産……」
「ほなっ!」
「あ、あぁ……」
「……お婆ちゃん。行っちゃったね。ツナグくん……」
ピシャリ!……と。勢い良く玄関の引き戸を閉めて。島の寄り合いに出掛けたウタコお婆さん。僕は手土産さえ渡せず……。後に残されたマニカと苦笑いをするしかなかった。
ウタコお婆さんを見送った後。しばらく、マニカとの間に沈黙が流れた。けれど、学校の時とは何か様子が違ってて……。僕はマニカから目を離せないでいた。
マニカのツインテールにされた髪が、更にお団子状にアップされている。白い素肌に浮かぶ、はにかむ様な笑顔をみせたマニカ。満月の様な瞳に三日月を想わせる唇。
まるで、夢の中で。初めてマニカと出会った……夜の鼎神社を想わせる。忘れられない時間が、僕の頭の中を支配した。
そんな目の前のマニカが、ソワソワとしている。何かを僕に言いたげな表情で満月の様な瞳を潤ませていた。そう想った瞬間──。急に僕の手を取ったマニカが、飛び跳ねるようにして笑顔を向けた。マニカの三日月みたいな唇が、凄い速さで満ち欠けを繰り返す。早口で興奮気味なマニカに、僕は圧倒された。
「歴史改変っ!……成功っ!!」
「れ、歴史改変っ?!」
「鼎さんと、泉さんが無事っ! 生まれたってさ!! 摩尼伽さんから聞いたんだよーっ!!」
「え?! ま、摩尼伽……さん? 一体、どうなって……」
「ささ! 上がって! 上がって!! ツナグくん!! 遠路はるばるお疲れだったね!!」
「う、うん……」




