33.月夜の浜辺。
(──ザザーン。……ザザーン)
「……真繋よ。感傷的……であるか?」
「あぁ。鼎を想うとな」
真夜中の浜辺。月の明かりにのみ照らされた私と空昉。
波の音が響き、歩く足もとに押し寄せる。幽かに見えた波の引き際の……白き泡が砂地に消え入る。
……夜風が心地良い。潮の匂いに温もりさえ感じた。
「あの子は……」
私の手には〝鼎石〟の欠片が握られていた。
あの子の最期──。あの時。
ツナグになった私はマニカと見つめ合い……。消え行く息子の姿を目にした。……それは光の如く。空に昇る光景であった。跡には何も残らなかった。残されたのは、鼎石の前で倒れていた私と空昉……それに葉由利、摩尼伽のみであった。
目の前の黒き波が押し寄せる。空と海の境目さえも分からぬほど。何か別の……途方もなく大きな生きものの様に感じられた。世界にも鼎石にも、まるで命があるかの様に。
「……運命というものは、繰り返されるのか? 真繋よ」
「分からぬよ。だが、摩尼伽が言っていたよ。繰り返す〝時の力〟の中で、私と摩尼伽が出会えたのは初めてだと。変わるんじゃないのか?」
「むぅ……。我には〝選び取った〟様に感じられたが。……如何に?」
「〝視ていた〟からな。摩尼伽は……。鼎石の中で。そうかも知れぬよ。空昉」
巨躯の空昉が、ドカリと浜の砂地に腰を下ろした。真っ直ぐに夜の海を見据えた空昉は、この黒き海と空と……闇を何と想うのだろう。
心地良い潮風が私の頰を掠める。見上げると月……。今宵は満月であった。相変わらず波の音が夜に響く。
遠い未来では、私も空昉も生まれ変わる。それは、葉由利も摩尼伽も同じ。ならば、鼎も──。
「生まれ変わると、良いな……」
闇夜に浮かぶ満月が、光を湛え──。煌々として眩しい。月が私を見つめている。揺さぶられる。
……私は想う。今世でも来世でも……。変わらぬ者たちに恵まれるならば。私は幸せである。
が、しかし──。鼎は未だ生まれていない。
(……可笑しなものだ)
一度はこの世に生まれ、過去世を生きた私。摩尼伽と鼎の〝時の力〟に呼ばれ、来世のことさえ知らされた私。
鼎は確かに居た。生きていた。摩尼伽とのこれからも知っている。なのに──。
「何故、私と空昉は再び過去世を生きているのだ? ……空昉よ。如何に?」
「うむ。不思議……であるな。まるで、何もかもが、あの黒き石〝鼎石〟より生じた様な?」
「……そうだな。〝鼎石〟が生まれた由縁は、摩尼伽とて知らぬ。鼎石……か」
♢
──同じ場所。夜の浜辺。また、あれから……。ひと月ほど経った。今宵も月が綺麗だ。
波打ち際より少し離れた砂地に私は、ほどなく腰を下ろした。が、隣には空昉も居ない。摩尼伽とて……だ。波の音だけが静かに響く夜。見上げるほどに、月の光に心奪われた。
相変わらず摩尼伽は忙しく──。島長として、ここに棲まう者たちを治めていた。鼎石を祀りし巫女、神に最も近き者として。いや、島長とは鼎石のことだと……摩尼伽は言っていたが。
夜風に少しヒンヤリとした冷たさを感じた。が、潮の匂いは変わらなかった。
「見つけたぞ?」
「……摩尼伽?」
今宵も一人かと想い、月を眺めていたが。背後に響いたその声に温もりのある心地良さを感じた。それは、自身の身体に求めていた必要な潤いにも似ていた。夜の波間の音だけが、しばらく。……耳の内に響いていた。
(──ザザーン。……ザザーン)
振り返ると一瞬──。艶やかな着物姿が目に留まった。紅色の生地に施された金の刺繍が月明かりに映る。潮風と月の光を受けた艶のある長い黒髪を掻き上げ──。満月の如き瞳が私を見ていた。口もとには、三日月の如き笑みを浮かべて。
「よく、ここに来るのか?」
「……月に誘われてな。雨が降れば来ぬよ」
「少し冷えるか?」
「気にするほどでもない」
夜の波打ち際。渚とでも言おうか。沈黙と静寂が雲間に月を隠す様に──。私の背中が摩尼伽の温もりに覆われた。
「……真繋は温かいの」
「あぁ。……温かいよ。摩尼伽」
「いつまでも……こうして居たいの」
「あぁ。いつまでも……こうして」
「其方の事が、好きだ。……真繋」
「私もだ。……摩尼伽」
空昉が言っていた〝選び取った未来〟。それは、今のこの瞬間に繋がるもの。
……摩尼伽が私の肩に腕を回し、頰を寄せた。私も目を瞑ったまま、鼻もとを摩尼伽の唇へと寄せた。摩尼伽の柔らかな吐息と肌の温もりが私を包む。
月明かりに映る摩尼伽の白き肌。私は触れていた。まるで、水面に手を浮かべ口もとに掬う様に……。艶のある摩尼伽の黒髪が、掻き上げた私の指の間を流れ零れ落ちる。
私は、どうしてか……。鼎の最期の言葉を想い出していた。
「口吻に目を閉じるのは……摩尼伽。何故だろう。鼎はあの時……」
「愛しき真繋。……鼎。想いは唇にのせ通わせるもの……。自分の生まれて来た訳を。……寂しかったのであろうな」
「……未だこの空を、海を。……闇を。生まれ行く魂たちは彷徨うのであろうか。〝回魂の儀〟など……」
「天に還りし者たちは、我らを見ておるのかも知れぬな。……鼎も。あの世で生きておる」
「あの世で生きている……か。可笑しなものだな。……摩尼伽」
「我らとて再び生きているではないか。真繋。今世でも来世でも」
「……そうだな。不思議なものだな。これも〝鼎石〟の〝時の力〟……か」
「黄泉の世界は、生者の世界を包む。〝卵〟の様なもの。寄せては帰る〝波〟の如く……。〝時〟は暗闇の中を揺らぐ。そして、我らの〝魂〟を温め……目覚めさせる」
摩尼伽の温もりが、ふっ……と私の背中より離れた。砂地に摩尼伽が立つ音がして、静かだった波の音が再び聞こえた。
(──ザザーン。……ザザーン)
月明かりの波の……白き泡が、夜の浜辺に沁み込む。消え入った跡が濡れている。煌々として眩しい月の光は私と摩尼伽を照らす。
私が振り返るより先に──。
波の引き際の上に立つ摩尼伽を目にした。その後ろでは摩尼伽の輪郭と同じく。闇夜に、くっきりと浮かぶ……月の光が円を描いていた。それは、潮風に揺れる黒き髪を掻き上げた──摩尼伽の瞳と同じだった。
風が凪いで、摩尼伽の三日月の様な唇が幽かに動いた。
「……真繋。一人眠るのは心もとない……」
「共に……か?」
「皆まで申すな……」
「私も同じ気持ちだよ。……摩尼伽」
私は立ち上がり、月よりも目の前の摩尼伽の瞳を見つめた。
そっと、触れ合う指先に。摩尼伽の温もりが伝わる。私には摩尼伽の手が握られていた。
──月の浜辺を背に。私は摩尼伽と共に歩く。凪いでいた潮風が少し冷たく、再び私の頰を掠めた。摩尼伽と寄り添う様にして、肩を寄せ合った。
……鼎を想う。……摩尼伽を想う。この〝時〟が寂しくも、愛おしかった……。




