32.〝隔離世〟。
〝父上……。母上……〟
「ぐっ! ……な、何であろうか。真繋よ、こ、この薄気味の悪い声は」
「……〝隔離世〟との境界が近いのであろうよ。空昉。……ハァハァ」
〝隔離世〟──。果てのない暗闇の中を歩く内に聞こえる不気味な声。この空間に飛び交っていた蛍の如き光の粒が、目の前より遠く……。ある一点に集まり、渦のような光を放っている。
〝魂〟のみの姿となり、浮遊しているはずの自分の脚が肉体同然に重く感じられた。それに、進むにつれて〝霊〟が激しく消耗し疲弊した。
「やはり。身にこたえるな……。葉由利。大丈夫か?」
「姉様……。ウッ!」
未だ肉体を保持し、歩く摩尼伽。そして、私と空昉と葉由利の三人の幽霊。
〝隔離世〟の渦の中心から放たれる朧気な光に、私たち四人の姿が誰の目にも映る。暗闇のこの空間に、透けるような葉由利の表情が苦痛に歪んでいた。美しく切り揃えられた髪の先端が揺れ、額から鼻先を伝い……葉由利から玉のような光が零れ落ちた。
「大丈夫であるか?! 葉由利殿っ!!」
「うっ……。ハァハァ。すみません、空昉様。……よもや、これまででしょうか」
「何を弱気をっ!!」
幽霊となった巨躯の空昉が葉由利に駆け寄り、咄嗟に葉由利を抱きかかえた。空昉の身体からは〝法力〟であろうか、蒸気の様な〝霊〟が立ち込めている。しばらくすると、空昉の腕の中で安堵したのか、葉由利の表情が和らいでいた。
「あ、ありがとう御座います。空昉……様。何故か、呼吸が楽に……」
「良かったのである。気にせずとも良い。このまま我の……う、腕に。や、休んで居るが良い」
「空昉……様。優しい人……」
幽霊である身体から沸騰した様に湧き出る蒸気。その空昉の〝霊〟が、抱きかかえた葉由利を包む。四人の内、〝この世ならざるもの〟に唯一取り憑かれて居ない空昉が、最も気丈に視えた。鼎石に入る前までは、空昉が最も心配であったが。嬉しい誤算であった。
「……空昉。すまぬ。葉由利のことを頼む。真繋は……どうなのだ?」
「あぁ。大丈夫だよ。摩尼伽は……」
「そうではない。真繋は……其方は、私を……愛しているのか?」
「摩……尼伽?」
耳を疑った。が、〝隔離世〟──渦の様な光に近づくにつれ……。不思議な光景が、不気味な声とともに脳裏を掠めていた。それは、唐の木造船が大破し……私が海を彷徨っていた間に見た夢。ツナグ青年から視た未来の……夢。そして、未来に辿り着く前の──過去世の私と摩尼伽と……一人の〝子ども〟とが出会う夢。
その影響なのだろうか。おそらく、私と会う以前よりずっと。この鼎石の中で、長きに渡り……摩尼伽は視ていたのであろうか。その、夢を──。〝鼎石〟の〝時の力〟を受けて。私と摩尼伽が出会う過去と、未来で出会うツナグとマニカの夢を。
が、一瞬──。突然であった。
〝隔離世〟と思しき渦の中心から、目も開けられぬほどの強烈な光が……私たちを襲った。
「ぐっ!! あ、あぁ……」
「真繋っ!!」
「摩尼……伽」
そして、その光に消え入る様な──誰かの姿が視えた。それは、未来の……ツナグとマニカと。いや、私と摩尼伽と……。ここに居る誰もの姿が、そこにはあった。
♢
──私は、倒れていた。……暗闇の中の空間。
周囲を見渡してみても、同じ様な蛍の如き光が飛び交い──。辺り一帯が朧気に照らされていた。
が、そこから見えた光景は。私が来た方向とは真逆。前方にあったはずの光の渦が、私の足もとより遥か後方で鈍い光を放ち続けていた。
そして、更に驚いた事に──。
私たち四人の他に。夢の中の者たちが居た。それは未来の──ツナグとマニカ……。それに、空昉や葉由利の……未来での生まれ変わりの姿が。……倒れていた。正気を取り戻したのは、私が最初であった。
……記憶が、淀みなく流れ込んで来る。今と成り果てては、ハッキリと分かる。
私が過去世に残した、ある後悔の念とともに──。一人の子どもが倒れている姿を、目の当たりにした。信じられなかった……。
「……鼎。鼎っ!! しっかりするのだっ!!」
「父……上。会いとう御座いました。よ、ようやく……ここへ。辿り着かれたのですね」
「すまぬ。鼎……。其方が病にて死なぬよう、石の中で生き長らえさせた私の罪だ……」
「父上の罪だなんて……。その様なことは、ありません」
「寂しかったであろう……」
「はい」
「すまぬ……」
気がつくと──。私は、過去世の姿のまま。息子である〝鼎〟を抱いていた。年齢は、十二。あの頃のままの。……幼き我が息子。病から死を遠ざける為、鼎石の人柱にされた愛しき我が子。私の犯した罪……。
私は想い出していた。これから起こる未来の出来事の全てを。未だ体験していなかった未来が、私に記憶として流れ込んでいたのは──。私がツナグ青年として生まれ変わり、既に過去を生きた魂であったからだ。
「父上……。それでも、寂しくなったのは最近の事です。それまでは、母上が居ましたから……」
「ぐっ!! か、鼎……。摩尼……伽」
我が頰に伝う涙を振り払う。──振り返ると。私と同じ〝隔離世〟の光の向こう側へ辿り着いた、摩尼伽の姿を……目にした。摩尼伽が、泣いていた。
「真繋……。鼎……。また、会えたね……」
「摩尼伽……」
「母……上。お久しゅう御座います。父上と三人。懐かしゅう御座いますね」
「百年ぶり……。寂しくさせて、ごめんね」
「母上。……泣かないでください。母上とお話が出来て、鼎は嬉しゅう御座います」
「私が鼎石の中で尽き果てて百年。……鼎には、寂しい想いをさせたね」
……泣いていた過去世の摩尼伽の姿に、未来のマニカ──。その姿が、重なり合う様にして私の目に映った。
摩尼伽とマニカとが、重なり合う瞬間。摩尼伽が私と鼎とを抱き寄せるその腕の中で……。私は摩尼伽と鼎の温もりを感じていた。それは、遠い過去に忘れた置き去りにしていた感覚……だった。
私と摩尼伽に抱きかかえられた鼎。その短く切り揃えられた前髪が、摩尼伽の息に、ふっ……と揺れた。目を細める鼎の瞳を、私はいつまでも見つめていた。
「……良かったですね。真繋さん。それに、鼎さんも。マニカも……」
重なり合う過去世の摩尼伽と未来のマニカの姿を目の前に──。
未来の私……ツナグが、私の肩に手を置いた。温もりを感じた。すると、見る見る内にツナグ青年と私との魂が繋がり──。まるで、一つになったかのような感覚を、この身に覚えた。
「マニ……カ?」
「……うん」
「鼎……さん?」
「ありがとう。ツナグ。よく耐えて……。いや、父上……」
「ありがとう。……鼎。いや、鼎さん。今日は、最後に君に会えて……良かった」
「……ツナグ。父上。ありがとう。母上……も。生まれ変わって、僕を見つけてくれて……ありがとう」
「ずっと、感じていたよ。私の中の摩尼伽さんも。鼎石の中の君──鼎さんも……」
「ありがとう。マニカ。……今日は、良い日だ。ツナグとマニカと。父上と母上。二人の〝キス顔〟。……最期に見たいかな」
「え?」
「……最期?」
──辺りを見渡すと。
過去世とは反対方向から、渦の様な〝隔離世〟の光が、僕とマニカを照らしていた。
その中に……。
葉由利さんと重なり合う葉月と。空昉さんと重なり合う空也が居た。
「病院で、葉月の名前呼んで。葉月にしがみついてたら、ここに辿り着けたぜ? ……視てたよ、ツナグ」
「早く〝キス顔〟。見せてあげなよ? 鼎さん……消えちゃう前にさ」
無言の内に。見つめ合う僕とマニカ──。マニカの瞳に、まるで摩尼伽さんの満月の様な瞳が、重なり合って視えた……。
既視感──。
その正体は。僕の魂に刻まれた過去世の真繋さんの記憶。それと、きっと〝霊術〟の。陰陽師としての片鱗が、僕に残っていたのかも知れない。もしかしたらだけど……。そして、〝時の力〟。マニカにも摩尼伽さんの記憶や体験は過去世から魂に、未来に受け継がれて──。僕がマニカを見つけるより早く。マニカが、僕を未来で見つけてくれたのかも知れない。
もう直ぐ、鼎さんが消えてしまう──。なのに、そんなことを考えて。次第に鼎さんの身体が、蛍の光みたいに散り散りになって消えて行くのを……僕もマニカも見ていた。それから──。
「……ふふ。二人とも。父上と母上と同じ表情するんだね。……父上。……母上。二人の姿が、目の前に──視える……よ」
なぜだか、悲しい気持ちとか寂しい気持ちにはならなかった。僕は鼎さんと、これでお別れじゃない気がして……。マニカと向き合う様に〝キス顔〟をした。
鼎さんとは、きっと──。もう一度、会える様な気がしていた。また、何処かで……。




