31.鼎石の中の世界。
「すまぬ。摩尼伽……」
「何がだ? ……真繋」
「其方に、嘘をついていた」
「それは先刻聞いたが?」
「いや。別の話だ。魂のみの姿であろうとも〝霊術〟は使える」
「嘘は良くないぞ、真繋。が、今、正直に申した事。……心に留め置く」
「すまぬ……」
「アッハハ!! 何を暗い表情をしておる? らしくないな。これからは正直に申せば良いではないか?」
「……そうさせてもらう」
「素直に生きるが良い。私もそうさせてもらう。真繋のそう言った所、憎めぬな? ……では、〝魂抜きの儀〟──始めるぞ?」
「……」
──先刻。摩尼伽に肩を担がれた私は結界をくぐり。黒き巨大な〝鼎石〟の前で改めて、摩尼伽の〝魂抜きの儀〟を受けていた。
自身でも施せたのだが、摩尼伽へと身を委ねたくなった。回復したばかりの〝霊〟の温存もあったが、それよりも──。……摩尼伽へと身構えていた心が解けていた。そんな不思議な感情の内に、私は目を閉じていた。
「お? お? 真繋の魂が抜けておるの? これで、この空昉と真繋は……」
「うるさいな、空昉。少し静かにしてくれないか? 魂のみの姿は慣れぬゆえ……」
「ハハ!! 幽霊と言うべきか? 魂のみの姿も存外悪くは無いものぞ! 真繋!! この様にフワリフワリと、自由自在に……」
「あまり、はしゃぐなよ空昉? 長時間の魂の離脱は危険だ。時間が無い。葉由利殿の命が差し迫っている」
「そうであるな! ……真繋。急がねばなるまい?」
「ククク……。二人とも相変わらず元気が良いな? ……では、参るとしようか」
魂のみの姿となった私と空昉は、摩尼伽に見守られながら〝鼎石〟の中へと入って行く。肉体を伴っていた刻とは、まるで違った。何の抵抗もなく、スルリ……と入る事が出来たのだ。
──〝鼎石の中の世界〟。
そこは、ただの暗闇とは違う。夜よりも暗く果てが無い。が、道を照らす様に飛び交う蛍の如き灯火。それらに誘われているのか、摩尼伽が道を選んで進んでいるのかは分からぬが。
魂のみとなった私と空昉は、フワリと浮いた感覚とともに。身を寄せる様にして摩尼伽の背後をつけた。
……摩尼伽の凜とした背中と迷いのない足どり。何かを感じた。それは宿命とでも呼ぶべきものだろうか──。私と少し間を空けた摩尼伽の背後には、朧気に透けた摩尼伽の来世の姿──少女マニカの姿があった。
「……真繋。葉由利殿は無事であろうか」
「分からぬよ。だが、今は摩尼伽を信じるしかない」
「まだ会ったこともないのだが。胸騒ぎがするのは何故であろうな」
「……分からぬよ」
「それに、摩尼伽様と真繋の背後に居るのは誰なのだ? あれも幽霊か?」
「視えるのか? ……幽霊ではない。その内、分かるよ」
「んん? 幽霊ではない? その内、分かると? ……胸騒ぎが、余計に止まらぬな」
未知なるこれからに胸騒ぎがする。それは、空昉だけでなく私もだ。摩尼伽は黙ってはいるが。
それにしても。……やはりか。〝魂〟や〝霊〟においては、からっきしだった空昉が。来世の摩尼伽と私とも呼べる存在──少女マニカとツナグ青年の姿を視ているようだ。
空昉には悪いが、細かい説明は省いた。少しでも〝霊〟を練っておきたかったからだ。胸騒ぎの正体──。これから出会うであろう運命とでも言うべき事象の為に。
──半刻もたたぬ内に、摩尼伽の足どりが止まった。
目の前に映るのは……。鼎石の中を飛び交っていた蛍の如き光の群れ。ちょうど、私たちの足元の直ぐ手前で、人ほどの大きさを包む様にして眩しく輝いていた。
そして、その傍らでボンヤリと光り映るのは──摩尼伽の所有する大屋敷で出会った、真夜中の幽霊。……蜃気楼の如く立ち浮かぶ葉由利の姿が、そこにあった。
「皆様、お待ち申し上げておりました。葉由利に御座います。あ。僧侶の空昉様は初めてですね」
「ハッ! 葉由利……殿。真繋より噂は兼ね兼ね。存じておりました。……誠に麗しきお姿。この空昉めが貴殿のご容態を案じ、弓矢よりも速く馳せ参じました。滾る炎よりも熱く……」
「まぁ! ……情熱的なのですね。武人の様な逞しいお身体に希望に光るお言葉。頼もしいのですね。それに、真繋様も姉様も……」
「はい。差し迫る葉由利殿のお命。この真繋も火急にて馳せ参じました。……早速なのですが、葉由利殿のお身体。今より視させて頂きたく存じます」
「無事……か。葉由利。私とお前とて、そう何度も鼎石の〝時の力〟を用いては肉体が持たぬ。真繋、何か良い手立てはあるのか?」
魂のみの姿であっても巨躯を誇る空昉が、幽霊である葉由利の前で片膝と拳をつく。隣に居た私も同様にして頭を垂れていた。道中、終始無言であった摩尼伽が、葉由利の肉体と思しき光の群れを見つめてから朧気に立つ幽霊の葉由利へと言葉を掛けた。摩尼伽にしては重い口ぶり。緊張感が走る。その僅かな不安を掻き消す様に、私は口を開いた。……やるしかないのだ。私の〝霊術〟を込める以外には。
「〝回魂の儀〟──。魂を呼び戻すのは〝魂抜き〟と似てはいても、別次元の話になります。それを今より……」
「で、あろうな……。私には分からぬ道理。視えるのは、より深い霊や魂よりも〝超刻の世界〟。この鼎石のな」
摩尼伽が葉由利の肉体と思しき光の群れに触れると──。まるで、その光が桜吹雪が散るようにして離れ、葉由利の肉体が露わになった。死に装束ではないが、白い着物を着た葉由利の元の姿が、そこに横たわっていた。
「葉由利……」
足元の葉由利の肉体へと再び視線を落とした摩尼伽だったが、直ぐさま顔を上げ、幽霊の葉由利へと語りかけた。
「空昉を除く我ら三人には、〝この世ならざるもの〟が憑いておる。……幽霊ではない。〝時の力〟により留められた記憶──或いはその姿。過去ではない未来の」
「やはり、姉様。私の後ろにも」
「あぁ。どう言った理屈であるかは分からぬが。二人……」
「お待ちください。摩尼伽……様。葉由利殿。葉由利殿の後ろには、溶け合う二つの魂が絡みつく様な霊に縛られております」
「……そうだな。私には重なり合う様にしか視えぬが。しかし、真繋には溶け合っている様に視えると?」
「はい」
「ううむ。少女と子どもであるか? ……真繋よ。その様に視えるが、如何に?」
「……あぁ。どうやら、その様だ。空昉……」
魂のみの姿となった空昉の見立ては冴えていた。が、それにしても──。
……少女と子ども。鼎石の力の影響か。私がツナグ青年と成り代わった夢が、来世の現実に起きた事象ならば──。その因果関係が、屋敷で視た刻よりも、二つの魂と霊が癒着して混ざり合う様に視てとれる。これでは、まるで……。二つの人格が反発しあいながら同居しているような。このままだと、片方が浸食される。いや、二つとも消滅してしまう恐れもある。分離させねば──。
「摩尼伽様。一刻を争います。鼎石の〝時の力〟を用いるにも限りがあるとの事。残された機会は、そう多くはないはず。なれば……」
「どうするのだ? 真繋よ」
「葉由利殿は、〝鼎石〟の中には鏡の様に隔てられた〝隔離世〟があると申されました。摩尼伽様の住まう鼎石の中の世界が二つになったと。今より、その場所へお連れ頂けませんか?」
「ふむ。道理だな。では、更に奥へと参るが、葉由利。其方は、どうする? まだ、魂は持つか?」
躊躇いと戸惑いの表情が一瞬──。魂のみの姿となった葉由利の顔に見てとれた。
摩尼伽の「まだ魂は持つか?」との言葉。心配な面持ちで葉由利の姿を見つめるのは、摩尼伽だけでなく──。その背後に立つマニカもだった。
そして、葉由利の背後に寄りかかる……苦しみ藻掻く表情を浮かべる少女と子ども。摩尼伽の大屋敷では、葉由利は眠らずとも幽霊は気力を失わぬと聞いたが。刻の経過により葉由利の〝魂〟そのものが、衰弱して行く様子が明白であった。
「はい。姉様。改めてその場所に。参りますれば、何かが変わりそうな気がします。真繋様と空昉様とともに……」
「そうか……」
「なれば、この空昉! この世ならざる場所〝隔離世〟とやらに、参りましょうぞっ!! 葉由利殿とともにっ!!」
「ふふ。どんな刻も空昉様は明るくて素敵な御仁──いえ、僧侶様なのですね」
「ハッ! 葉由利殿の仰せのままに! 勿論に御座います!! 如何なる刻も、我が法力で葉由利殿の魂を支え癒して奉りまするっ!!」
──空昉と葉由利。……幽霊と幽霊。魂のみの姿。
片膝と拳をついた空昉が立ち上がり──。仁王立ちにして、葉由利へと言葉を叫んだ直後。ビリビリとした空昉の〝霊〟が、隣に居た私の〝魂〟にまで響く。まだ、充分ではなかった私の〝霊〟が元気づけられ、満ち行くのが手に取るように感じられた。
そして、その魂のみの姿にして巨躯を誇る空昉を目の前に。葉由利が幽霊の姿のまま着物の袖を口にあて、はにかむ様に軽やかに笑う。心なしか、幽霊であろう二人の顔色が赤く、照れ合っている様にさえ想えた。私と摩尼伽は、ただ二人を黙って視ているだけであった。
どうやら、それは──。不思議なものだが、葉由利の霊と魂にも私と同じ効果があったようだ。明らかに衰弱しかけていた葉由利が、途端に霊の巡りが良くなり魂が元気を回復している。これが、空昉の言う法力であろうか。
──が、しかし。〝隔離世〟。ここから更なる先は、〝霊〟を凝らしても見えぬ場所。果てが深い──。……踏み込まねばならぬ。鼎石の中の世界──その深淵へ。
「相変わらず、威勢と元気だけは良いのだな。空昉は」
「……しかし、真繋よ。なぜ、我が背後にだけ〝この世ならざるもの〟が憑いていないのだ?」
「それも、もしかするとだが。この度の事と何か関係があるやも知れぬよ」
「うむ。だが、真繋よ。心するが良い。〝この世ならざるもの〟と相対する畏怖。〝超刻〟による膨大な〝想い〟が頭に流れ込む危うさ。私と葉由利が〝時の力〟を持ち得ても耐え難いのは……。そう言った理由もあっての事だ」




