29.夢と現実の間。
──摩尼伽の光る様な満月の瞳。
迂闊にも、それを見てしまった瞬間……。私は、その場に倒れ臥してしまった。
(……か、身体に力が入らぬ。〝霊〟も抜けてゆく……。こ、この感覚は)
……私の肉体から〝魂〟が抜かれ様としていた。それが分かる。
疲弊しきっていた心身では抗えぬ。摩尼伽の前では悟られぬ様振る舞ってはいたが。際どい状態を保っているのが、やっとの事だった。
(……意識が。朦朧とする。ここまでか。視界が霞む……。目も開けてはおれぬ)
暗闇が来た。よもや、死ぬ刻と言うのは、この様なものであろうか。
私には為す術が無かった。
近くに居るであろう空昉も摩尼伽も見えぬ。音さえも聴こえぬ……。ただ、身体と感じる感覚は妙に軽い。しかし、擬似的に自身で自身に〝魂抜き〟の霊術を施した刻とは明らかに違う。何もかもが暗闇にして、見えぬ……。
が、僅かに刻が過ぎ行く内に、予期せぬ事が起こった。
「なっ?!」
突然、開けた光景。……目を疑った。驚くより他なかった。
(……夢? いつかの……)
頬を伝う涙。私は泣いていた。いつかの青年──夢の中で見た〝ツナグ〟の様に。
抱きかかえた私の腕の中には、いつかの黒き石──〝鼎石〟がそこに置かれてあった。
陰陽に用いる札が幾重にも貼られた……小さなその石。
その中から、子どもの様な泣き声が聞こえる。
〝……父上。母上……〟
不気味にも聞こえるこの声……。だが、しかし、心を締めつけられる様な。小さな、小さな……声。
この声の主は一体、誰なのであろうか。
が、まさかである。この刻、もう一人の声を耳にしようとは……想いも寄らなかった。
「あの……視てました。真繋さん……ですよね?」
「……?!」
全く油断していた。隙だらけの背後から、世にも恐ろしい声を聞いた。いや、初めてではなかった。しかし……。
いつもは夢の中で、朧気に聞こえる声であった。ボンヤリと感覚的にしか聞こえて来なかった声であるのに。突然、私に話し掛けて来ようとは。夢にも想わなかった……。概ね見当はついて居たが、それでも恐る恐る……私は振り返った。
「き、君は……」
「ツナグです。〝鼎さん〟に鼎石の外に放り出された後に、貴方の夢を……見ました」
「夢? 君が?」
「はい」
──辺り一帯が静けさの闇に包まれている。目の前には、森の樹々に囲まれた社。天を仰げば、星も月も輝く夜空。それを背に……。境内には、私と同じく頰伝う涙を拭う……ツナグ青年の姿があった。泣いてはいたが、口もとに希望を噛み締め、私を見下ろしていた。
「夢? これも、夢じゃないのか?」
「分かりません。現実の様にも感じられますが。周りに居た人たちが消えて……。お祭りの最中だったんです」
「そうであったな。私からすると……ここは現実世界でもない夢の中の様にも感じられるが?」
「かも知れません。二人とも、夢を見ているのかも知れません」
「かも知れぬ……か」
私より少し年下に想えるツナグ青年……。その姿は着物姿に烏帽子と、私が唐の木造船に乗っていた刻の姿によく似ていた。対して私は、山伏の如き白装束。摩尼伽の〝魂抜き〟の儀式の刻のままであった。
「君は、〝視ていた〟……と、言ったね?」
「はい。想いも寄らない光景と時間を体験致しました。貴方の後ろで」
「なれば、やはり。摩尼伽は君の想い人……マニカだと?」
「……はい。どうも、その様に想えて」
「恥ずかしがらずとも。が、しかし。私は一切、摩尼伽に対して、その様な感情抱いた覚えは」
「そうですね。ただ……」
「ただ?」
「中に居る〝鼎さん〟の力により導かれたのかも知れません。それこそ、〝縁〟と呼ばれる様な」
「縁……か。葉由利が、そう呼んでいたな。中の子は……マニカと、もう一人」
「葉月……ですね。二人とも、無事かどうか分かりません。意識を失って……」
「なれば、急ぐよりあるまい。ここが、如何なる場所であろうとも」
「……ですね」
私とツナグは、涙を拭い去り……目の前の小さな黒き石──鼎石へと手を触れた。
それは、摩尼伽の後ろにあった巨大な鼎石とは、全く異なっていた。今にも消え入りそうな……弱々しい命の鼓動。そう、感じられる程の。
「真繋さん。貴方は、前世の僕なんでしょうか」
「分からぬ。が、なれば、其方は来世の私か?」
二人で小さな鼎石を見つめ……手を触れる内に、幾重にも貼り巡らされていた〝札〟が剥がれ落ちた。
今までの夢とも現ともつかぬ話からすれば、私とツナグは同一の人物──魂なのだろうか。それとも、違う人物と入れ替わったのだろうか。
何故、如何にして私とツナグとが会話出来るのかは分からぬ。今話している二人とて、単なる過去と未来の記憶に過ぎぬのだろうか。それとも、違う誰か……。摩訶不思議な感覚であった。
「真繋さん、霊術は……?」
「如何に霊術を用いようとも、鼎石の中には入れぬよ。道理が違う。……が、これは夢の中であるやも知れぬのだろう? なれば、願わば入られるやもだ」
「……ですね。夢の中で願うのなら、もしかすると」
「この様な刻、空昉なれば……」
「クヨクヨしない。諦めないのは、空也も同じ……」
「……で、あるな。では、参る……か」
「〝参ろうぞ!〟……じゃないですか? 空昉さんなら」
「まったくだな。……ハハ。奴も待たせて居るやも知れぬゆえ」
しかし、同じ世界に帰られる保障は無い。ツナグと私、二人とも……だ。何が待ち受けておるのか、想像も出来ぬ。とは言え、進むより他ないのも明白。
──と、想いを巡らせた後。ある事を少しばかり閃いた私は、コソコソとツナグに耳打ちをした。
「え? 今から言うんですか、それ。……時代が。わざわざ言わなくても」
「案ずる事はない。ここは君と私との夢の中の如き世界。他には誰もいまい? 恥ずかしがらずとも。……君の親友である空也なれば」
「分かりましたよ。空也なら言うんでしょうね。きっと。空昉さんも……」
「そう……。空昉も空也も。この様な刻は」
「では。参り……ますか?」
「ハハッ!! 〝参ろうぞ!!〟ではなかったか? ツナグ!」
「……意趣返しですか? ありましたね。そう言うの」
「何を申す! フフ……。可笑しなものだな。では、ツナグよ。息を整え……」
「何か真繋さん。空昉さんみたいで愉しそうですね?」
「君の憧れは、空也では?」
「……ですね。じゃあ……」
「……うむ」
私とツナグは、顔を見合わせてから……。小さき鼎石へと手を重ねた。中には、私たち二人の世界を繋ぐ者たちが居る。そう信じて。
それから──。境内を囲む樹々の葉に……。遥かに望む夜空の星々と月に……。驚くほどの声を腹に、私たち二人は力を込めて叫び放った。
夢の中であろうはずの夜の静寂に、目が覚めるほどに──。




