2.二人の行き先。
カフェなんて、行ったことない。
(──君は誰なの……?)
なんて聞けない空気が、黙ったまま沈み込む。
その子が長い黒髪を、前髪と一緒に耳元に掻き上げた。口もとは、黒いマフラーで覆い隠されたまま。その黒い瞳が、僕の目を覗き込む様に見つめてる。
「君は、『なんで、僕なんかと……』って、想ってるでしょ?」
僕は、またもや、コクリと黙ったまま。その子の目を見て、うなずいた。
夢の中で会ったとか、現実に隣に居ることとか。疑問が頭の中を飛び交う。
けれども、現実のその子の顔は、夢の中の彼女と一ミリも違わなかった。ハッキリと憶えてる。
「んー。やっぱ、カフェよりカラオケかな。歌える?」
二人で待っていた交差点の信号が、赤から青に変わった。大勢の人ごみの中を、僕とその子が歩き出す。
横断歩道では、盲人者用の機械音声が、夕暮れの曇り空に鳴り響いていた。
♢
「お一人様ですね?」
「え?」
カラオケ屋の店内──。来たのは、初めてだった。
少し薄暗い受付の壁に、料金表がオレンジの蛍光灯に照らされている。
バーテンダーのような格好をしたお姉さんが、レジに打ち込む。その音を掻き消す様な流行りの音楽が、絶え間なく鳴り響く。
僕は、驚いて辺りを見回した。
「い、いない……」
「2時間で、宜しいでしょうか?」
「え? あ、はい」
「──円になります」
さっきまで僕といたのに。いない。何処か行った? トイレ?
驚くのも束の間。お姉さんに案内されるがままに、僕は後をついてく。え? どう言うこと……。
(──バタン……)
僕が、個室に案内された後に──マイクやらを置いたお姉さんが部屋を出て行った。
「やほ!」
「えっ!?」
ギョッとした。
さっきまで居なかったのに──。僕の目の前に、あの子が居た。
「ど、何処から……」
「あ! このソファ、いいねぇ~。やっぱ、カラオケだよね?」
「は、はぁ……」
「じゃ、私からっ!」
まるで、子どもの様に──。って、僕もこの子も未成年か。
とても嬉しそうに。ワインレッドのソファに座ったかと思ったら、その反動で飛び跳ねる様にしてカラオケの機材やら何かをチューニングして。あっという間に、その子が曲を予約した。
「コレコレ! 今歌いたいでしょ、ナンバーワンな曲~!!」
僕に一瞬だけ。笑顔を向けたかと想うと──。直ぐさまマイクを握って、画面に向き直る彼女。
真っ直ぐに画面を見つめる彼女の視線が、キラキラ光ってる。
信じがたい光景だ。
さっき、駅の改札口で会ったばかりなのに。今、この子との二人きりの状況が続いている。非現実的過ぎる。まるで、夢の中の様な……。
(み、ミラーボールって言うの? くっ、クルクル回ってる……!?)
赤青に黄色……。原色が色を混ぜつつ、反射して。なんだか、ムーディとも言うべき部屋の照明。それが、曲の始まりとともに更に薄暗くなって。僕の様々な疑問を掻き消して行く……。
そう。少し、大人な空間に居るなんて。思ったのは僕だけだろうか。
そんなことよりも。
目の前の彼女の声……。き、綺麗だ。い、いや、その表情。
振り付けまで完璧とは恐れ入る。もはや、何処かのアイドルなのでは……。なんて想う。上手い。見とれてしまう──。
「フゥー! さ、君の番っ!……だよ?」
「え?」
僕の隣の赤いソファにドッと座り込んだ彼女。気がつくと、黒の前髪を掻き上げたその子が、僕の顔をジッと覗き込んでいた。
迂闊だった……。見上げる様にボーッと、彼女に見とれてしまってて。釘付けだった。僕は、曲を予約し損ねてしまっていた。
「……じゃ、じゃあ。こ、この曲で」
「あ! 知ってる~。コレ。有名だよね?」
「そう……」
「過去世からのヤツ? だよね?」
「うん」
「へぇー。あたしら……って、こと?」
「いやぁ。ハハ……。どうだろね?」
「ふーん」
あれ? 盛り上げようと思ったのに? は、反応が……。
何処か、画面よりも遠くを見つめる彼女の視線。それとは、お構いなしにイントロが流れ出す。
選曲。ミスった? いや、それより、彼女の言葉が気になる。あたしらって、どう言うことだろ。
この子も知ってる有名な曲。曲調から感じられるのは──交差する時間と空が流れる様に描写された歌詞。それが、歌の展開と震える様な僕の声に合わさる。思った様に、声が出せない。
隣に少し視線を向けると──、彼女が退屈そうに画面を見つめていた。いや、聴き入ってくれてるのか? 分からないけど、最後まで歌い切らなきゃ……だ。
それに、この曲の後なら、この子の名前を聞けるかもだ。なぜなら、それは、この曲のテーマだから。
「お。割かし上手いじゃん?」
「ハハ……。いや、どうも」
照れる──。よりも、歌い終えた後の彼女の笑顔は、僕を安心させた。
そうだ。それよりも、聞かなきゃいけない気がする。まさに、このタイミングは好機だ。聞き逃す訳にはいかない。
「あ、あの……」
「ん?」
「き、君は名前……なんて言うのかな?」
「あー! それ。聞くと、思った! 君。天才的だね?」
「いや。そうじゃなくって……」
「気になる?」
「そりゃ、君が誰かなんて……知らないから」
「え? そうなん?」
「なんで、関西弁?」
「アハハ!」
名前なんて──。いや。名前は、重要だ。
けれども、会話の間……なんて気にしてた僕と彼女との間に、あったかい空気みたいなのが流れる。
夢? いや。現実だ。それも、今まで逃避したかったのとは違う。もしかしたら、僕は、ずっとこう言うの……望んでたのかも知れない。
歌い終えた後の部屋の照明が、少し明るくなる。
艶のある彼女の黒髪が、そのまま明かりを反射させていて──その前髪の下にある瞳が、僕を見つめていた。唇の端が、ふっと上がり……彼女が笑った気がした。
「あー。ホームルームで紹介されたんだけど? 寝てた?」
「え?」
「宮月マニカ」
「まに……?」
「君は、上坂繋でしょ? 知ってるよ」
「な、なんで?」
「同じクラスだよ? 君って、女子にキョーミない?」
「えーっ!? い、いや。きょ、キョーミないワケじゃ……」
ま、まさか。ね、寝てた……。
早朝だったし。昨日の課題こなすのに、深夜まで起きてて……。
そう言えば、転校生が、どうのって。担任が言ってたような。
けれども、急にこの個室に現れたこととか、なんで僕に興味があるのかとか、分からないことだらけだ。
どうも、その辺を聞いてみないことには、ずっとモヤモヤが晴れなさそうだ。
そんなことを、アレコレ考えてる内に、また次の曲のイントロが始まって──ムーディな照明が僕とその子の間の空間に落ちた。カラフルなミラーボールが、クルクルと回り……原色の光を反射させていた。
……僕とマニカに。何かが始まる予感がしていた。