28.待ち受けしもの。
「南無阿弥陀仏! 南無阿弥陀仏っ!! 南無阿弥陀仏であるっ!!」
「……うるさい。頭に響く。洞の中とあっては余計にだ。……空昉よ。何も声に出して叫ばずとも。心の中で唱えれば良いのではないか?」
「意識がもっていかれるのであろうっ?!! なれば、声に出すのが定石っ!!」
「まぁ、そうではあるか。しかし、それでは、摩尼伽と葉由利の君とも話も出来ぬぞ?」
「なっ?! そうでもあるな……。では、唐で学びし真言を心深く念じよう」
「そうしてもらえると助かるよ。……光が近いな。もう少しで出口だぞ」
──天にそびえ立つ岩山の〝祠〟に入り、しばらく……。
私と空昉は、螺旋状にウネる〝洞〟の中の暗闇を赤子の如く這いずり回っていた。
最初こそ、人が通れるほどの高さであったものの。次第に狭まり、細く低くなって行く洞の中の天井。
ツルリとした岩肌は冷たくも、触り心地が良かったが……。出口に近づき登るにつれ、〝鼎石〟の〝霊威〟が強まるのを感じた。
……後ろに居る空昉は、大丈夫であろうか。よもや、摩尼伽と葉由利に襲われる心配は無きにせよ……。時折、振り返り見ては、空昉の安否を確かめる。
(……紅潮した顔色。僧侶に見合わず、嬉々とした表情。何か嬉しそうだな。凄まじき〝霊〟……いや、精力。恐るべきは、空昉の胆力だな……)
光──。出口と思しき場所。
近づくにつれ、立って歩けるほどの洞の広さを感じた。しかし、出口の手前で鏡面の様な透明の膜が、光の屈折とともに揺らぐのを目にした。
摩尼伽と葉由利の居る〝鼎石〟の結界であろうか。出口を塞いでいる。
それは、まるで──。緩やかに流れ落ちる滝の内側から、外の様子を眺める様でもあり……。時に漣が泡立ち、時に広がる波紋の様でもあり……。水面の向こう側へと、まだ見ぬ世界が広がっている様にも感じられた。
しかし、目を凝らすと、人の姿らしきものが目に映る。
(あ、あれは……)
水面に光り映る鏡の様な出口の向こう側に、揺らぎ見えるもの。
我々と同じ白装束の出で立ちに、流れる様な黒き髪。おそらく、それは──。
「待ちわびたぞ? 躊躇う事は無い。〝鼎石〟の力は抑えておいた。入って来るが良い」
──摩尼伽だ。摩尼伽が居る。
摩尼伽の言葉の後に、その鏡面の如き光る透明の膜へと手を触れてみる。
とぷり……と。それは、あたかも水桶に手を浸ける様であった。が、濡れてはいなかった。
私と空昉は、摩尼伽に誘われるがまま……。出口を潜るべく、その向こう側へと入って行った。
♢
……私と空昉が立ち入ったこの場所。狭くとも広くともない空間だが、人が入るならば十人程度だろうか。
摩尼伽の背後にある鼎石の黒き光沢に、洞の中の鍾乳石であろうか、呼応する様に反射している。……思いのほか明るい。それは、洞の中であるにも関わらず、昼間の様に。
「こ、ここは?! ハッ!! ま、摩尼伽様っ!! 昨日ぶりに御座います!! 僧侶の空昉に御座います!! この度は、恩義に報いるべく……」
「霊術師が真繋。摩尼伽様の火急の御用命にて馳せ参じました。……葉由利様のご容体は、如何ですか? 見たところ、葉由利様の姿は見当たりませぬが」
「久しいな。昨日ぶりか? が、この度は其方たちに足労を掛け、すまなかった。漂流し体力の回復もままならぬ最中、このような辺境の地に赴いてくれたこと、深く感謝する。では、早々にしてすまぬのだが……」
片膝に拳をついた私と空昉が顔を上げる。
そこには、闇夜では朧気だった摩尼伽の姿が、はっきりと光の中に見て取れた。
……嫋やかな摩尼伽の身体の輪郭線。山伏の如き白装束の出で立ちではあったが、明らかに男とは異なる女人特有の豊かな胸の膨らみ。そして、背に掛かる長き黒髪の先にある……。いや、もはや、何も言うまい。摩尼伽とて、隠す気も無いのだろう。摩尼伽は、疑うべくもなく……まぎれもない〝女〟だった。
「おぃっ! 真繋よっ! 真繋っ!」
「なんだ、空昉?」
「摩尼伽様っ! 摩尼伽様っ!!」
「あぁ……。女だな。それが、どうかしたか」
「いや、やはり! やはり……だな!」
「何をコソコソと驚いておる? 私が女であることか? もともと隠す気は無かったが? 目の前の〝鼎石〟には驚かぬのか」
……いや。驚いていた。空昉の囁く小声が、摩尼伽にも聞き取れるほど大きくはあったが。
摩尼伽の背後にある目の前の巨石──。十尺は優にあろうか。
純粋な黒き輝きを光り放つ結晶。……ただの岩ではない。それが、摩尼伽の背後の洞の奥深い場所に、そびえ立っている。埋め込まれた訳でもなく、初めからその場所にあったが如く。摩訶不思議な光景であった……。それにしても、これで抑えてあると言うのか? ……気を抜くと、私でも倒れてしまいそうだが。
「はい。夜にはお目に掛かれ無かった摩尼伽様のお美しさに、見惚れておりました。しかし、〝鼎石〟の霊威たるや……。凄まじき力を目の当たりにしていたところです」
「ハッ!! この空昉っ!! 真繋に同じに御座います!!」
「……歯が浮く様な世辞など、言わずとも良い。が、〝鼎石〟へは本来、入られるのは私と葉由利だけなのだ。葉由利の肉体はこの中に安置し、死なぬ様に〝時の力〟を注いでおる。〝魂〟のみならば楽に入られるが? それとも、少々辛いが、そのまま入ってみるか?」
私と空昉は、顔を見合わせた。頼りなさげに空昉が引き攣った笑顔を見せる。
「自信が無いのか、空昉? 何も無理することは……」
「い、いや! じ、自信があるのか無いのかは、さて置いてだな……。た、魂が抜き取られるなどと! お、想いも寄らず……。ま、真繋よ。霊術師のお主から見て、それは大丈夫なのか?」
「アッハハハ!! さしもの怪僧である空昉とて怖じ気ついておるのか? ……空昉。臆するでない。私が鼎石の力を用いれば、楽に魂が抜けるであろう。それは、未知なる至福の体験かも知れぬぞ?」
「ま、摩尼伽……様」
「何も死ぬ訳では無い。魂は痛みを感じぬ。それは、むしろ、気持ちの良いことぞ? ……空昉よ。案ずるな。気を楽にして、身をこの摩尼伽へと委ねるが良い」
「ハッ! ハハーッ!! ま、摩尼伽様っ!! では、この空昉めっ! 安心して摩尼伽様へと〝魂〟を預けさせて奉りまするっ!!」
「……やれやれだな。まぁ、その方が……」
「真繋は良いのか? 私が抜いて……」
「畏れ多くも。〝魂〟のみとあらば、霊術が用いられませぬゆえ。……何とぞ」
「そうか。それは、残念ではあるが。流石だな? 霊術師ともあらば、鼎石の中であっても〝時の力〟を寄せ付けぬ……か」
……いや。〝魂〟のみであろうとも、霊術を用いることは可能だが。〝鼎石〟の力は強大。寄せ付けぬのも〝霊〟を保持したままの肉体で、五分と五分。
だが、魂のみなどと、余りに無防備が過ぎる。それに、摩尼伽に魂を抜き取られる際に、魂の情報を読み取られるやも知れぬ。あるいは、そのまま……。
やはり、どのような状況においても私が自身で身を守らねば……。友である空昉は守れぬ。よもや、摩尼伽が今さら事を起こすなどと考えにくいが……。念には念を入れておく。
(……さて。改めて摩尼伽が事を起こさぬ様、監視しておくか。さしもの空昉とて、魂のみにならねば〝鼎石〟の中は辛かろうゆえ……。が、すまぬ。空昉よ……)
もちろん、私が空昉の魂を抜くことも出来た。が、手の内をさらけ出す訳にはいかぬ。心配が過ぎるかも知れぬが、鼎石の力で霊術を転用されては難儀だからだ。
いや、しかし──。
(……やはり。友である空昉を、よもやの危険に晒す訳にはいかぬ。万が一もあろう。なれば、私が……)
片膝と拳をツルリと光る洞の岩肌に突いたまま苦渋する。〝霊〟を維持しつつも意識を保つのに、ポタリと汗が額より伝い落ちた。
化け物……。そう感じさせるほどに、鼎石の霊威は凄まじく。その中でも平然とあっては、摩尼伽の力の底が知れなかった。
(しかし、空昉の奴もなかなかだな。私とて手を余すと言うのに。摩尼伽に嬉々として笑顔をみせるとは)
チラリと隣を見ると、空昉が私と同じく片膝と拳を突いて、摩尼伽を見上げていた。
が、その時──。
(──ドサリ……)
笑顔を見せていた空昉が、突然。その場に臥す様にして倒れた。
「空昉……!!」
「……ふむ。時間が無いな。〝魂抜き〟をして仮死状態にせねば肉体の消耗が激しい。急がねば。やはり、常人には酷であったな」
「ぐっ……!!」
摩尼伽が空昉へとフワリと歩み寄る……。その満月の如き両の瞳を光り輝かせて。空昉へと手を翳す内に、摩尼伽の長き黒髪が背の後ろで逆巻いていた。
その僅かな時……。身動きが取れずにいた私の鼓膜に、何処かで聞いた声が響いた。
〝……父上。母上……〟
「なっ?!」
それは、夢の中の。しばし、忘れていた。が、聞き覚えのある……。あの……声。
「ククク……。驚いておる様だが、其方にも聞こえたか? 〝鼎石〟は時を繋ぐ。中に入らば、実に恐ろしきものを目にしようぞ。真繋の後ろ側に立つ、誰かの姿もな……」




