25.ツナグと真繋。
「ぐぉぉっ……。ぐぉぉっ!」
「……眠れぬ。空昉の奴め、大鼾にもほどがある。酔っているとは言え、よく眠れたものだ。それに引き換え、肝が据わらぬ小心者とは……私の方か」
真夜中の刻。正確な刻は分からぬ。が、とうに蝋燭の灯火は消え去り、戸の隙間より差し込む月明かりが床上にのびる。僅かな明かりではあるが、暗闇に空昉の寝相の悪さを窺うには充分だった。
い草で編まれた敷物の上に再び寝転び、獣の毛皮をかぶる。
はだけた着物では寒かろうと、空昉の奴に何度も毛皮をかぶせたのだが。諦めた私の意識が、重い瞼と疲弊しきった身体に引き摺られた。
「木造船が難破し、死ぬ想いをしたが……。今ここに居る。九死に一生。が、式神を解く訳には……」
意識が、眠りに落ちそうになる。だんだんと、式神の鬼を維持していた〝霊〟が緩まる。
摩尼伽の〝闇穴〟に消え入る力は脅威だったが──。私の今の〝陰陽〟の力量では眠ったまま〝霊〟を維持させることは、やはり困難だった。
「真繋様。よろしいのですか?」
「あぁ。どうやら、霊が保ちそうにないよ。左鬼」
「もしもの時は、我らの名をお呼び下さい」
「そうだな。右鬼……眠る事にするよ」
自分自身の〝霊〟で練っておいた式神に、人格が宿るとは可笑しなものだ。自分で自分に語りかけておいて自分に答える様なもの。
先刻は、摩尼伽に敵意を感じられなかった事もあり、疑い深い自分を慰める様に目を瞑った。
(空昉の様に、人を信じる心とは尊いものだ。……私の方こそ小物なのだ)
そう想いながらも、暖かい眠りに包まれる。命拾いした事に、夢現……。神仏に感謝を唱えた。
♢
「マニカっ!! マニカーっ!! あぁ……!!」
……誰かの叫び声が聞こえる。
どうしてだろうか。ここが夢の中だとしても、現実の様に感じられた。
私が木造船で難破した時、夜の海に放り出され……死の間際で見た──。
(──ツナグ青年? いや、繋の君……)
辺りが深い闇夜に包まれている。見上げると、月の明かり。いや、夢の中のはずだが。
私の目の前に居る〝ツナグ青年〟が、着物姿で黒の烏帽子を被ったまま……地面に泣き伏している。その彼の前に佇む、唐や倭国の建築様式に酷似した拝殿……。大きな鈴に太き縄が幾重にも綯われている。しかし、理解し難いのは、時折拝殿に光る白き明かり。彼が動く度に、点いては消えた。
(今際の間際に見た……夢の続きなのか?)
泣き叫ぶ彼の呼ぶ名。「マニカ」と聞こえた。それも、嗚咽とともに。何度も、何度も……。
月明かりに映るその姿を見、哀れに想う。確か、私は──。
(──私……? マニカ? そうだ……)
回想の内に、私は夢の中の記憶を辿った。私とツナグ青年は、同一であった。しかし、その中で見たものは……。
(ま、まさか……)
私は、泣き伏せるツナグ青年に駆け寄った。しかし、返事が無い。後ろに居る私の存在には、気づかないのか。そして、どうも触れる事すら叶わない。
私は、まるで幽霊にでもなった気がして、ただただ彼の後をつけることしか出来なかった。
──彼が貴族の履く白き足袋姿のまま、拝殿の階段を駆け上がる。
拝殿を通り抜け、本殿の前は木組みで出来た舞台であった。舞でも披露していたのか、いわゆる雅楽に用いる太鼓や笛などの小道具が置かれてあった。
……いや、私も奏者であった。
そして、心通わせた……少女もそこに居たはずであった。名はマニカ。摩尼伽と同じ。が、姿は見られなかった。
「マニカっ!! マニカーっ!! 何処に……」
咽び泣く彼の頰伝う涙が、哀れでならない。
しかし、舞いを奉納していたのはこの社に祀られていた神にではなかったか。
(私がツナグ。マニカが摩尼伽? ……だとすると。神──、子ども?)
私は、ぎょっとした。このツナグ青年と重なる私の夢で見たもの。神として祀られていた〝黒き石〟の深奥に居た〝気配〟。
いや、これは夢ではあるが現実ではないはず。現に私は、ここでは幽霊ではないか。隣では、僧の空昉が大鼾をかいて眠っていて、私もつい先刻……眠りに落ちたばかりなはずだ。
──私が考えを巡らしていた僅かな刻。目の前のツナグ青年が、本殿の格子扉をこじ開ける姿が垣間見えた。
(そうか……。よもやとは想うが、繋の君とマニカは……)
──繋の君。夢の中で私がそう呼ばれていた、目の前の青年。
彼が無我夢中で、こじ開けた格子扉の奥には──。〝黒き石〟が鎮座して祀られ……私が〝陰陽〟に用いる〝札〟が、幾重にも張り巡らされていた。
が、そこに鎮座して祀られた〝黒き石〟からは、摩尼伽の背負う〝闇穴〟と同じ……。忌まわしき闇の〝霊威〟が深く感じられた。
「マニカっ!! うぅっ……。マニカと葉月は、この中に居るはずなんだ……」
ツナグ青年が、札の張り巡らされた〝黒き石〟に、縋る様に額を押し当てている。涙が零れ、それは〝黒き石〟が雨に濡れるが如きであった。痛ましき心象であった。
「ハハ……。マニカには、もう二度と会えないのか……。葉月も救えなかった。空也、ごめん……」
〝黒き石〟を抱きかかえる様にして、ツナグ青年が泣いている。夢の中のはずだが、私も自分が泣いている様に感じられた。
もしも叶うのならば、私の〝陰陽〟の〝霊術〟を用いて封印を解いてやりたい。が、石に張り巡らされた〝札〟自体は、結界を維持させる為のもの。それに、夢の中とあっては、どうにも手出しが出来ぬ。
「僕は、僕は……。どうしたら……」
保障は無いが、単に札を剥がせば石の封印は解けるかも知れぬ。が、目の前のツナグ青年の手は、震えている様に見えた。
(──〝闇穴〟。摩尼伽の背負うもの。そして、同じく視える〝黒き石〟。もし、忌まわしきその力が、解き放たれるとしたならば……)
……ツナグ青年は、迷っているのだ。天秤に掛けて。愛しき者か、世界か。果たして、どちらを選ぶべきか。
行動の選択を誤れば、世界が滅ぶかも知れぬ。かと言って、愛しき者が居ない世界は、彼にとっては〝虚無〟であろう。
(……いや、待て。これは、夢。幻だ。ツナグ青年には同情するが……。摩尼伽が私に掛けた幻影──? 〝妖術〟の類かも知れぬ……)
謀──。
疑り深い自分が嫌になる。だが、そう言った考えを捨てきれない。しかし、夢の中であるはずなのに、涙が滲むのは何故か。
私の居る現実……。摩尼伽の妹君である〝葉由利〟の命と何か関わりがあるのか? いやいや、それも摩尼伽から聞いただけの話。何の根拠も無い。
(──見た訳でも、会った訳でも無い……)
葉由利が居ることさえ、嘘か誠か分からぬ。ここは夢の中の話。現実ではない。早計だ。
だが、一つ分かるのは──。もしかしたら、摩尼伽は〝闇穴〟の人柱なのかも知れない。そう想わせるほど、状況が似過ぎている……。
「……真繋様。真繋様。起きて下さい」
「妖しき気配が、近くに」
「……あぁ。左鬼に右鬼。何故、ここに?」
マヅナ青年が、〝黒き石〟を抱きかかえ泣き咽ぶ最中──。
突如として、目の前に現れた式神の〝左鬼〟に〝右鬼〟。
人に似せて私が作ったその姿が、跪き頭を垂れる。
──そして、背後に貼りつく様な気配を感じた。
……誰かに話し掛けられた。
その声が、妙に生々しく感じられ──。夢の中であるにも関わらず、ゾクリと肝を冷やした。
「用心深いのですね。寝ている間も鬼を侍らすなんて。けれども、私はその様な御用向きで参ったのでは御座いません。……なるほど。やはり、貴方様が唐からお戻りになられた〝霊術師〟様なのですね」




