23.摩尼伽様。
「真繋よっ! 俺たち、どうやら助かった様だな!」
「あぁ。火薬も持ち合わせておらぬし。野宿に凍えた身体とあっては、生きた心地がせぬよ」
月影の浜辺から数里先。松林の暗闇に松明の明かりが、列を成す。
眼前にそびえ立つ山影の麓には、集落の明かりが見える。
時刻は分からぬが、真夜中の遭難騒ぎともあって、島民たちは皆起きている様に想えた。
……私と空昉は、客人と言われつつも、捕虜の様に囲まれ歩かされていた。
左右と前方には、甲冑に武器を持つ兵の者が数人。そして、隻眼にして長身の峰高と呼ばれていた男が、長槍の矛を携えて私と空昉の真後ろに居た。
「若者は元気が良いな。摩尼伽様は、あぁ仰っていたが、私はまだ君たちを信用した訳ではない」
暗闇の地面にまで響きそうな低い峰高の声が、私の頭上から浴びせかける様に聞こえた。
だが、一つの疑問が私の頭から離れなかった。
この男の言う摩尼伽様とは、さっきの女男のことだ。しかし、見た目の装いが武人の様な出で立ちにも関わらず〝霊〟の流れ方が〝月〟──すなわち、〝女〟の様であった。が、稀に〝影男〟や〝火女〟と呼ばれる〝霊〟と〝身体〟が一致しない者たちも居る。
「峰高さん。聞きたいのですが、先程お見えになられた〝摩尼伽様〟は、女なのですか?」
「ま、真繋っ?!」
「気安く呼ばないでもらいたい。それに、君に名を名乗った訳でもないし。その事を口にして良いとでも? 侮辱する相手に、答えは無い。君は勇敢だが、命が惜しくは無いのかな?」
夜の闇にピンと張り詰めた空気が、海水で冷え切ったこの身体に突き刺す様だった。
ただの興味本意ではあったが、どうしても夢の中で視た少女と〝摩尼伽様〟が似ている様に想えて仕方がなかった。
同じ〝マニカ〟の名が、私の頭の中を巡り……。道中、離れることが無かった。
「やめとけよ、真繋! 静かに大人しくしてろって言ったのは、真繋だろうがよっ!!」
「空昉は、恵まれた体躯に似合わず臆病なのだな? それに、僧であっても死ぬのが怖いのか?」
「当たり前だろっ!! 真繋が、命知らずなだけだろっ!!」
「君たち。脅しが足らなかったか? 私語は、慎み給え。摩尼伽様やこの島の者達に害を成す者として、即斬り捨てても構わんのだぞ?」
「ウッ……」
「……」
そうやって……。捕虜同然の様にして、私と空昉は歩かされていた。月影の松林から夜の森を抜け……山の麓に明かりの灯る集落に辿り着くまで、数刻と数里。〝摩尼伽様〟が、女であろうと男であろうと、私たちの目の前から見る影もなく姿を消していたのには、秘かに放った〝陰陽〟の〝霊術〟を使役しても姿を捕らえることは敵わなかった。
♢
「先刻は、峰高が手荒な真似をして済まなかったな。あれでも、慣れれば気の良い奴でもあるんだが」
「いえ。摩尼伽様のおかげで命拾いしました。礼を尽くさねばならぬのは、私と空昉です」
「ハハハ……」
「そうか。では、改めて名乗ろう。私は、摩尼伽だ」
「真繋と申します」
「……く、空昉に、御座います。そ、僧侶で御座います。い、以後、お見知りおきを」
──山の麓にある集落。その中でも、最も大きい屋敷に通された空昉と私。
私と空昉は、この大屋敷に着くや否や……。湯浴みをする様に下女たちに案内され、泥と傷を洗い流した後、傷の手当てを受けて今に至る。
夜ともあって、薄暗い床張りの大広間には蝋燭が幾つか灯されている。目の前には、い草の匂い立つ畳の敷物が敷かれてあった。その上座に座る摩尼伽が、甲冑を脱ぎ置き、私と空昉と同じ簡素な着物を羽織っていた。摩尼伽の後ろでは、白檀の香が焚かれ……仄かな煙が消え入る。匂い立つ良き香りが、い草の香りと混じり合っていた。
「はわわ……」
「空昉? 先程から緊張しておるのか?」
「い、いや。真繋よ。ま、摩尼伽様が、美し、美し過ぎる……」
「男かもしれんぞ? それに、僧は、色即是空……。欲は禁物だろ?」
「い、いや。男だろうと、女だろうとだな」
「僧のくせに? イケる口なのか?」
「ば、馬鹿を言うなっ!!」
僧にして体躯の良い大男の空昉が、先程から顔を真っ赤にして縮こまっている。蝋燭の炎の明かりに照らされ、一層、その様に見えた。
不思議そうに首を傾げる摩尼伽を目の前にしてコソコソと。空昉と私は、耳打ちをし合って居た。
「ん? 何か言ったか?」
「ハハハ……。な、何でもない。何でもないのですよ。ハハハ……」
「いえ。空昉の奴が、僧侶であるにも関わらず、摩尼伽様のお美しさに見惚れてしまった様なのです」
「ば、馬鹿っ!! そ、そう言う事は、あぁ!! もぅっ!!」
「アッハハハ!! 聞こえておったぞ? 私が男でも構わんのか? 空昉に真繋か。……愉快な奴らめ。其方たちから見て、私はどう映る? 私からは、其方たちに強い縁を感じるが?」
暗闇に薄暗く灯る幾つかの蝋燭の炎が、摩尼伽の笑い声とともに揺れる。
しかし、夜中ともあって、はっきりとは見えぬ摩尼伽の顔つきではあった。が、見れば見るほど女の様に見えて仕方がなかった。それも、私と空昉と年齢の変わらない……。
だが、摩尼伽も妙な事を言う。
摩尼伽が、私の顔をチラリと見つめ……。それから、空昉の顔を見ていた。
しばらくすると、下女たちが近海で獲れたであろう海の幸を、膳に乗せて運んで来た。
「さぁ。腹が減っているであろう。膳を用意した。喰うが良い」
「ハッ! 有難き幸せ! では、早速この空昉。遠慮なく頂戴致しまするぞっ!」
「待て、空昉……」
「何だよ? 真繋。この期に及んで、また説教か?」
「いや。そうじゃない……。念のためだ」
「真繋。私を疑うておるのか? 無粋な真似は嫌いだが?」
「……申し訳御座いません。摩尼伽様。永く生き長らえたいもので」
毒──。
見知らぬ土地。見知らぬ者達には、当たり前の事だ。この島に漂着したものの、侵入した事には違いない。
双方の身の安全が確約されねば、獲らざるを得ない当然の処置。即刻毒殺されるか、眠らせた後に拷問を受けるかは相手次第。
しかしながら、私と空昉は、ここに至るまで生かされていた。
情報を得る為ならば、殺さずにおいた事も考え得る。
だが、丁重ではなかったものの捕縛される訳でもなく……。湯浴みも傷の手当ても受けた。では、狙いは一体、何か?
……〝陰陽〟の〝霊〟を高め、膳の上の食物を視る。物には固有の〝霊〟が流れている。それは、物から発せられる微弱な電雷に近い。〝魂〟とは少し違うのだが、もし、毒が混じり入るならば、毒のみが浮く様にして視えるからだ。
「はぁ……。興が冷めたわ。考えてもみろ。殺すのならば、何時でも殺せたはずだが。そう想わぬか? 真繋よ」
「そうですね。毒は、入ってなかった様ですね」
「何故、分かる? それに、その事を私に告げても良いのか?」
「嬉しそうですね。私を試しましたね?」
「分かるか? では、聞きたい。真繋の後ろに立つ、常人には視えぬ其方に似たものは何だ?」
「私も聞きたいのですが、摩尼伽様の後ろに立っておられる瓜二つのお人は、誰なのですか?」
「え? えっ?! な、何の事だよ!? まさか……。また、変なもんが視えてんのかよ! 真繋っ!!」




