21.仮初めの世界。
「どちらにせよ、ツナグ。僕らが今ここに居る〝時の揺らぎの世界〟──それを維持する〝器〟……『鼎石』が限界を迎えてしまったからね。僕が消えたら現実世界と、この世界が共食いを始める。それは、君も望まないことだろ?」
寂しげだった鼎さんが、フッ……と笑う。依り代にした葉月の顔で。
その言葉を聞いたマニカの霊体の身体が黙ったまま、一瞬揺らいだ。この〝時の揺らぎの世界〟の暗闇を照らす炎の様に。
「葉月の命だって、もってあと七十年から八十年ってとこだろ? 僕は、せめてこの時の揺らぐ不安定な世界を終わらせて……。父上と母上には今会っておきたいんだ。輪廻周期は、そう度々重なるものでもないからね。それに、この世での魂の滞在期間は限られてる。僕が留まれるのも残り後僅かってことさ」
霊体の僕の身体もマニカと同じ様に……一瞬揺らいだ。黙ったまま、俯くしかなかった。
マニカの中の鼎さんのお母さんの様に、僕の中にも鼎さんのお父さんが居るんだろうか?
……頭をよぎる。皆が助かる手立ては、本当に無いのだろうか──。
僕とマニカと鼎さんの居るこの場所──暗闇と灯火の空間。……僕の霊体が、深く吸い込まれてしまいそうな風の勢いを感じた。洞窟の様なこの場所よりも、もっともっと更に深い奥行きを感じる。一体、何処まで広がっているんだろう……。
(──オオオォォォ……)
その時──。その奥から、人の声の様な風の音が響くのを感じた。まるで、意識の無い朧気な影が漂う様な。
「こ、この声は……」
「人だよ。ツナグくん。さっきまで境内に居た人たちの」
「え?」
「ご名答。マニカの言う通りだよ。〝願い〟を叶えるには〝想い〟が要る。それも、傷ついた世界や時間の修復ともなると、尚更ね?」
何か、風の様な呻き声が、次第に明確な言葉として耳に響いた。
(助けて……。死にたくない……)
時間が無い──。僕の心が、焦りと不安に駆られる。
「厄災や不幸を無かったことにして、元の世界と時間に戻すには、現実世界の身体が〝生きてる〟ことが必要さ。皆の意識を帰しても、元の身体が生きてないとね?」
「ククク……」と、葉月の顔をした鼎さんが笑う。僕は違和感を感じた。人の生き死にが関わっているのに。普通なら、笑ってなんて居られないはずだ。
「何が、おかしいの……?」
怪訝そうな顔をしたマニカの表情が、強張る。マニカの透き通った霊体の身体から、不信感と憤りに震えているのが、僕にも伝わった。
「そうだ。何がおかしい? やはり、君の言葉は信用出来ない」
僕の感情も、さっきまでとは打って変わって──。鼎さんの言動に身を委ねようとしていた自分に、危機感を感じていた。
「いやね? 時間が無いとは言え、ここに居る人たち皆が、僕の居る牢獄の様なこの場所に囚われてしまったのなら……どうなると想う? 耐えられないよね? 僕と同じ苦しみを味わってみるのも、どうなのかなって」
明らかに、さっきまでの雰囲気とは違う。鼎さんのその様子に、再び戦慄が走る。何とも言い難い……悪寒の様なものを背中に感じた。
「鼎さんは、お父さんとお母さんに、会えなくなっても良いの?」
マニカの透き通る様な声が、真っ直ぐに響く。その霊体の身体は、風の中で揺れる青白い炎の様だった。マニカの突き刺す様な視線が、ジッと……葉月の姿をした鼎さんを見つめている。
「会ってるじゃないか。今も。あ、そうだ。いっそのこと、〝時の揺らぎの世界〟に現実世界を喰わせてみるのはどうだい? なら、死ぬまで皆一緒に、ここに居られるからさ? 世界中の魂でこの場所が満たされたなら、ずっと今より賑やかになるよ?」
「ハハハ!」と、葉月の顔をした鼎さんが笑う。僕とマニカの視界に広がる暗闇──その中で。……朧気に灯る炎の幾つかが揺らぐ。オォォ……と、奥から響く人の声の様な音。風が吹いていた。再び見開いた鼎さんの金の満月の様な瞳が、僕とマニカを睨む。……常軌を逸していた。
「泣いてるよ……。鼎さんのお母さん……。自分の母親を悲しませて平気なの?」
──一歩。鼎さんへと近づくマニカ。悲しげなマニカ。それは、まるでマニカに宿る鼎さんのお母さんを見ている様だった。
「母上は泣き虫だからね。じゃあ、マニカと母上。どうすれば良い? どの道、『鼎石』は崩壊してる。誰かが犠牲にならなきゃいけない。人間たちの所業と責任と事の顛末を、また僕一人に押しつける気かい?」
グッ……と、唇を噛んだマニカ。俯いたまま、何かを言い出そうとしたマニカに、心臓の鼓動が高鳴る。言わせてはならない気がした。〝大丈夫だよ。心配ないよ〟──マニカのあの時の言葉がよぎる。霊体のはずの僕の身体から、心臓が飛び出そうなほど。居ても立っても居られなかった。
「誰も、傷つかないで済む方法は、本当に無いのかっ!?」
「誰も傷つかない……か。いや、ツナグ。〝時の揺らぎの世界〟の人柱になるのは、何も僕と葉月じゃなくても良い様な気がして来てね? 母上や父上は、マニカとツナグを依り代にしても、呼び醒ますにはとても時間の掛かることなんだ。そして、目覚めさせた直後──魂の記憶を何処まで復元出来るのかなんて、本当は分からないからさ? なら、いっそのこと……」
そこまで言いかけて、突然──。鼎さんが、膝をついた。まるで、何かに抵抗するように身体を震わせている。目の前の鼎さん……急変した事態。予期しなかった出来事に、僕もマニカも目を見張らせていた。
「グググ……。カハッ!! ハァハァ……。邪魔……するな! ウッ!!」
──一瞬。身体の震えが止まり、ダラン……と、鼎さんが人形の様に俯いた。ピクリと、身体が動く。再び意識が戻ったのか、鼎さんが顔を上げた。葉月と同じ顔をして。
「……逃げて!!」
「え?」
「まさか……」
声が──、葉月だった。まるで、暗闇のこの世界に……光が走った様だった。僕とマニカは、その声に目を見開いて驚いた。
「葉月……ちゃん?」
「葉月っ!!」
再び……葉月の顔をした鼎さんの顔が、歪む。葉月の身体の中で、葉月と鼎さんの意識が、せめぎ合っているんだろうか。
激しい動悸と息切れを繰り返す様に……。僕とマニカの目の前に居る、鼎さんと葉月が苦しみ藻掻く。その散らばる様な白金の髪には黒色が混じり、まだら模様になって行く。そして、鼎さんの金の満月の様な瞳が、葉月の黒の瞳に染まっていった。
「……葉月!!」
「葉月ちゃん!!」
名前を呼ぶ。マニカと僕とで。名前を呼べば、葉月が帰って来る。キス顔は、空也に頼んであるだろうから出来ないけど……、信じていた。そう想わずには居られなかった。
「鼎さんは、私とマニカ、繋と心中するつもりよ!! この〝時の揺らぎの世界〟とともに!!」
ビクン!──と、精一杯の力を振り絞って、口を開いた葉月。その言葉の後……。再び糸の切れた操り人形の様に、葉月の身体が脱力して倒れた。
その直後。
すぐに意識を取り戻したのか、額に手を当てがい……ゆっくりと、再び立ち上がって行く。葉月か鼎さんのどちらが意識を支配しているのか……。分からない姿が、「ククク……」と笑った。
「ハハ! 父上と母上と僕! それに、依り代の葉月とマニカとツナグも手に入った訳だしさ? 親子三人水入らずってことだね! ハハハ!!」
葉月と鼎さんの意識が、明と暗……。二転三転と繰り返す──。まるで、陰と陽。鼎さんに、呑み込まれて欲しくなかった。葉月には、目を覚まして欲しかった。再び、鼎さんに意識を支配された葉月を……僕もマニカも見つめる事しか出来なかった。
絶望を覆す希望……。祈りや願いは──神様の居なくなったこの暗闇の〝時の揺らぎの世界〟の中で……誰が一体、聞くって言うのだろうか。
「ぐっ! じゃあ、外の現実世界はっ!?」
「等価交換だよ。ツナグ。厄災とか不幸とか……。現実世界で沢山の人たちが傷ついた時間を、一瞬で修復するなんて事、出来ると思う? 普通、無理だよね? けど、この〝時の揺らぎの世界〟の存在自体を贄にするなら、出来ないことも無い。それは、僕なりの現実世界へのお礼さ。ま、失敗すれば、どっちの世界も滅びちゃうけどね?」
「させないよ。鼎さんは、私と心中するの。この〝時の揺らぎの世界〟とともにね。鼎さんは私の中で、鼎さんのお母さんとともに生きれば良い。だから、葉月ちゃんを帰して!!」
「……等価交換だね。マニカ。そもそも、〝鼎石〟なんてもの……〝神様を創った〟人間の『業』。君たちには何の関係も無いけれど、背負ってもらうよ? 恨むのなら、千年前の欲にまみれた人間たちを恨むが良いよ。じゃあ、ツナグ。マニカも葉月も居ることだしさ、この世界とともに僕と心中しようよ!!」
……狂気だった。何もかもが、鼎さんの狂気に呑まれようとしていた。
鼎さんに依り代にされて、意識を奪われた葉月。
自らを依り代にして……鼎さん親子と〝時の揺らぐ世界〟で心中を覚悟したマニカ。
そして──。何も出来ずに震えている……今ここに居る僕。
空也なら、なんて言っただろうか。空也なら……空也なら……。
(……空也。空也……)
──一瞬。僕じゃない葉月の声が、頭の中に……聞こえた気がした。
「やめろ! 僕が鼎さんを救うから!」
「言ったね? じゃあ、時間をあげよう。期待して待ってるよ。ツナグ。僕の父上……」
「え?」
僕が、葉月の姿をした鼎さんに飛びついた瞬間──。
……僕の瞳の中に、何もかもが吸い込まれて行った。
「うわぁぁぁっ!!」
既視感──。再び発動した。まるで、宙に浮く様な感覚が僕を襲う。世界とか時間が、何もかもが、僕に呑まれて行く。葉月、鼎さん、マニカ……。この世界が、時間が……。目に視える全てが揺らいでいた。
(一体、僕に……何が?)
その一瞬の光景が、走馬灯の様に光る。全ての時間が巻き戻される様な感覚。世界さえも。
俯瞰して視えた……。振り向いたマニカの後ろ姿と僕の視線。マニカと目が合う。マニカと僕の身体が交錯した。
「ツナグ……くん」
「マニ……カ」
……そして、すれ違った後には──何もかもが、残らなかった。
「え?」
気がつくと──。
僕は、鼎神社の境内。しかも、真夜中の……誰一人居ない暗闇の中で、倒れていた。
見上げた視界。静かに夜空には、幾つもの星々と満月が輝く。
センサーライトが、点いたり消えたり……点滅を繰り返していた。
神社本殿の格子扉が開け放たれたまま、黒の『鼎石』──〝鼎さん〟が、元どおりの荒々しい原石の姿で──幾つもの白い鼎札の貼られた結界に祀られていた。
「葉月っ!! マニカーっ!!」
夜の鼎神社の境内に、僕の声が木霊して響き渡った。
……その後には、僕の声以外──何も残らなかった。




